2009年12月29日火曜日

2009年 総括

今年はアメリカにも日本にも選挙によって民主党という名の新しい政権が誕生した。
ともに前政権から大幅な政策転換を図ろうとしているが政治的にも経済的にも厳しい問題を抱えて政策(選挙中の政策目標ー日本ではマニフェスト)遂行に苦労している。

現在のアメリカは2つの戦争を抱えている上財政赤字は膨らむ一方。 だからといって長年コミットしてきた「自由主義の堅持」という錦の御旗を勝手に下ろすわけにも行かない。 そこにアメリカのジレンマがある。
世界の政治と経済におけるアメリカの責任は日本の比ではない。 アメリカ社会は建国以来民主主義、自由主義の理想を掲げながら現実は矛盾と困難に満ちている。 けれども常に試行錯誤を繰り返しながら少しでも前進しようとする姿勢または実行力、およびその議論と実行過程が常にオープンであることは世界に誇っても良いと思う。 だから多くの敵を作りながらも未だに世界の若者の憧れの的であり続けるのだ。

さて私のブログの目的は「アメリカのよいところは見習おう」ということだ。
ここで1年間の総括としてコラムヘッドのアイテムごとに日米を比較してみたい。

<GOOD JOB> 

アメリカ 民主党政権誕生(草の根選挙でオバマ大統領が誕生し。)
日本   民主党政権誕生(自民党の賞味期限切れで鳩山政権が誕生)

<NICE TRY>

アメリカ グアンタナモ収容所の閉鎖と (オバマ政権の姿勢を示すために
     最初に手をつけた課題であったがイラク、アフガニスタンの戦況
     が好転せずアメリカ国内保守派の反対もあって収容所の移転と
     捕虜の裁判、釈放が進展していない。)
日本   社会保険庁年金記録問題
     (民主党が野党時代時追求した年金問題は昨年までの国民の
      最大の関心事であり政権交代のきっかけにもなった大事件
      だが与党になってから民主党も100%の照合は無理と
      云っている。 問題の指摘はよかったが無理なことは無理
      と認識して現実的な対応策を考えるのが政治である)
 
<NEVER GIVE UP, TRY AGAIN, KEEP GOING>

アメリカ 最大の案件は「医療保険改革」
     民主党が主体だが共和党でさえ医療保険の改革は国内最重要
     課題であることを認識している。 少なくとも1992年
     クリントン政権ができてから改革を提案したがその都度議会
     の抵抗にあって挫折している。 今回オバマ政権になって
     下院はもとより上院で無所属議員をあわせて法案可決に必要
     な60議席を見込めることよりオバマ大統領が提起し国民
     皆保険設立に向けて議論が始まり民主党内でも抵抗があり
     成立が危ぶまれたが3ヶ月かけて議論を進めやっと法案
     成立に持ち込んだ。 ただ下院と上院の法案の中身は重要な
     事項(PUBLIC OPTION)についてまとめなければならず
     来年早々の議会でも双方の歩み寄りには簡単ではなさそう。
     また国民皆保険への国民の大多数の認識・合意を得るには
     相当の年数が要るようだ。
日本   「政治・行政改革」
     判っちゃいるが実現できないのがこの問題。 改革すると
     自分も改革されてしまう政治家が多くいるのが原因。
     何度も声をあげて改革を試みる(TRY AGAIN)が
     途中で(GIVE UP)
     民主党になってから事業仕分けで予算削減を試みるが
     中途半端。
     でも議論を公開しいかに無駄が多いかを国民に知らしめた
     効果は 100点 -(KEEP GOING)-

<明快な論理>

アメリカ 当たり前のことで明快な論理と軽快な弁舌がなければ
     アメリカでは誰にも(議員、メディア、国民)相手に
     されない。
日本   国会での質疑にまともな議論がない。 問題に焦点をあて
     現実的 な解決策を見出そうというかみ合った議論ができて
     いない。 国会のみならず国民の間に基礎的な民主主義の
     教育ができていない のが原因ではないだろうか。 
     または議論を好まない国民性ゆえか、または日本の文化が
     そうさせているのだろうか?

<実行力>

アメリカ 議論だけでは何もならないーという認識は国民の間に染み付いて
     いる。だから少々ミスがあっても行動する人を尊敬する。
     だから失敗を恐れない。 成功すれば-GOOD JOB- 失敗しても
     ーNICE TRY- となるのである。 

日本   しばしば船頭多くして船山に登る。 本当の船頭がいないので
     まっすぐ目的地に着かないのかもしれない。 
     百家争鳴でも烏合の衆では何も決まらない。 
     日本の政治家が得意なのは問題の先送り。 言葉を変えれば
     わけのわからないことを声高に云うだけで実行力に乏しい。

<調整能力>

アメリカ オバマ大統領を見ていれば大いにわかるはず。 医療改革に
     つきあれほど国を分かつような議論をして議会も国民も2つに
     割れているのに結局譲歩するところは譲歩して法案を成立させ
     てしまった。 初めから何としても法案を成立させることを
     目的としているから譲歩することは当然なのだ。

日本   自党(自分)の意見に拘りすぎ。 鳩山連立政権と民主党自体
     を見ても調整能力が低すぎる。 もともと意見が分かれる寄合
     所帯ということもあろうが政権担当の基本的認識が薄いのでは
     ないだろうか。 

国会でまともな議論ができれば国民はついていけるだけの認識と覚悟は
できているはず。 それには民主党も自民党もその他の党も若い人が
一線に出てきて先頭に立たなければならない。 政治・行政改革も
自党改革から出発しなければ本来の改革は前進しないのではないだろうか。

2009年12月24日木曜日

医療制度改革 法案可決

医療制度改革法案がクリスマスイブの朝上院で可決された。 先に可決された下院の法案をあわせて一本化し民主党政権の悲願であった医療改革・国民皆保険がスタートする。
私が知る限りでも1990年代の初めにクリントン政権が改革に手をつけたが議会の反対にあって敢え無く断念したことを思い出す。 
しかし国民の6割が基本的に国民皆保険制度に反対しているので議会も制度改革の必要性は認めながらも容易に賛成票を投じるわけには行かなかったのである。 アメリカ人は原則的に個人の自由と自立を求める傾向が圧倒的に強く医療に関しても保険料と給付が自分の現状に見合った選択の自由を確保したい、 医者も患者も政府や保険会社の押し付けを嫌う。 従い政府が直接管理する保険制度には強い抵抗がある。 この点すべての国民に平等な保険制度に慣れている日本人には理解しにくい。
下院案は国が提供する安価な保険(Public Option)を主体に国民が保険を選択できることになっているが上院案ではPublic Optionを設けずに低所得層には民間保険会社が提供する保険に財政的に補助金で穴埋めし国民の保険加入率を引き上げようというもの。 両案が今後の折衝によってどのようにまとめられるかが焦点となるが最初にオバマ大統領が目指した保険改革・国民皆保険の実現からは大幅に後退を余儀なくされるだろう。 それでも国家が今後10年にわたり背負わねばならない財政負担は7.2兆ドル(約648兆円)にも達するといわれているので生半可な数字ではない。 そのために将来米国の財政破綻が懸念されておりこれが議会全体の最大の反対理由でもあるがそれでもやらなければならない改革はやるというのがオバマ流、アメリカ流であり日本の鳩山政権の先送り流とは決定的に違う点である。

2009年12月22日火曜日

沖縄返還・核密約

12月22日付け読売新聞によると「1969年沖縄返還時に佐藤栄作元首相とニクソン大統領の間で交わされた核密約文書が発見された」と報道された。
日本政府は過去40年にわたりこれを否定し続けてきたがようやく時期が来て公表に踏み切ったといったほうが正しいのではないか。 もはや国民の間でこれを信じない人はないだろうし周知の事実といっても良いほど国民の認識も深まっている。
政治には(特に外交問題では)表面的に建前というものがあり時には密約があって公表しないことも多くそのために非公開公文書の保険期間が定められている。 このような最重要機密文書は政権が変わろうとも厳重に保管されなければならない。 さもなくば大いに国益をそこなうこともでてこよう。
上記の機密文書が佐藤元首相の死後も私的に保管されていたということは大いに問題ではないだろうか。
さて1969年当時とは国際情勢が激変している。 とくに核保有をめぐっては北朝鮮、イランなど核拡散が世界の政治で最大の懸念となっており国際政治の現実に基づいた充分なる議論が必要である。 
日本の政治家は何事につけても有識者の懇談会を作って議論するというけれども自ら参加して真剣な議論を始めるべきだ。 有識者の意見を取りまとめているうちに(少なくとも6ヶ月、普通は1年以上ほどかかる。経費もかかる)世界は新たな局面に移行している。 もし有識者の意見が聴きたければアメリカの議会のように問題を担当する委員会で専門家を相手に各議員が質問する公聴会を開きその後議会で議論して結論つけるプロセスにすれば国民にもよく理解してもらえるし法案通過のスピードも速まるというものだ。
最近人気の事業仕分け作業は拙速で議論が大雑把であるが形式的には概ね似ていると思えばよい。 参加者を専門家レベルに引き上げ(議員と有識者・専門家ともに)短期で集中した議論をすれば日本の国会、議論も面白くなるだろうし国民の政治への関心も高まるだろう。

2009年12月20日日曜日

寒波と大雪

12月19日から20日の週末にかけて東北部大西洋沿岸各州は寒波と同時に5年ぶりの大雪に見舞われた。
ワシントンからボストンまでの沿岸各都市は30cmから50cmの積雪で空港閉鎖、地上も事故多発で交通はマヒ状態。 クリスマス休暇を控えて里帰りする人々にとっては最悪の事態になっている。 普通は雪が降るときは気温がマイナス1度からプラス2度ぐらいの間が多いのだがここ数日は最高気温が0度以上になることはない。 大体マイナス5度から0度ぐらいの間で推移している。
気温が低いのでダイヤモンド・ダスト現象というのか降る雪もいつもと違って細かくきらきら輝きながら空中を漂いながら降ってくる。 雪質はさらさら、 気持ちの良い雪だ。
私が住んでいるタウンハウスでは芝刈、植木の手入れ、雪かきは業者と年間契約しているので雪が止みしだい(2インチ以上の積雪があれば)雪かきをしてくれる。 10年ほど前までは一軒家に住んでおり自分で雪かきをしていたが10インチ以上降れば雪かきは大変、時にフロントのドライブウエイやアプローチが長いと30分から1時間かかる。 体力がないとできない作業で今では無理だろう。 
公道は大きい道ほど常に雪かきをしているので思ったよりも車の流れはスムーズである。家の前でも雪が止みしだい雪かきは来るので積雪の大きさに比べてそれほど生活に支障はない。
天気予報では1週間は寒い日が続くので当分周囲に積もった雪は消えそうにない。

2009年12月19日土曜日

捕鯨は不可欠なビジネスか?

時折日本の捕鯨(調査)船と捕鯨抗議船シー・シェパードの衝突が話題になる。 シー・シェパードの海上暴力行為は勿論許されるべきではないが今の時代に捕鯨が続けられていること事態が理解できないでいる。
私が小学校低学年の頃鯨は大事な蛋白源であり食料以外の原料ともなっていた。 学校の給食でも鯨のスープが供されたり家でも鯨のステーキを食べたことを覚えている。 昭和40年代(1965年)初めごろまでは鯨料理専門店もあったし鯨肉も売っていた。 しかしそれ以降鯨肉にお目にかかったことはない。 牛肉や豚肉のほうがおいしいしその他の原料としても多種多様に代替品が手に入る。 経済的に見ても国民の嗜好から見ても鯨肉の存在価値は乏しい。 鯨は種類によって生息数はまちまちだと思うが全般的に自然保護の対象であり乱獲で絶滅の危機にさらされている種類もあるというのにこんなに捕鯨に拘る理由がどこにあるのだろうか。 
たとえいかなる理由があったとしても今の時代に捕鯨を続けることによるメリットとデメリットを比較した場合デメリットのほうがはるかに大きいのは目に見えている。 国際世論に追従するわけではないが捕鯨=野蛮、動物虐待、経済優先との印象が強く日本の印象が大きく損なわれているのに日本の世論やメディアは気がついていない。 
いまどき鯨が食べないとおさまらない日本人はいないはずだし鯨で生活している人もいないはずだ。 国際会議で捕鯨をめぐって頑張るのは止めにして早く仕分け対象にしすべての予算を鯨保護に回すようにしてはどうだろう。

2009年12月13日日曜日

少子化の原因

12月6日付朝日新聞によると内閣府調査で

「結婚は個人の自由だから結婚してもしなくてもどちらでもよい」と考える人が全体で70%、40歳以下で80%を越え20代では87.8%に至った。

「結婚しても必ずしも子供を持つ必要はない」との質問に対し全体で42.8%がYes, 20台では63%にのぼった。

かねてから日本の少子化が問題となり少子化対策大臣まで設置されているが政治家のアプローチが何かしらピントはずれの感じがあったのは切り口があくまで年金制度と財政問題などの経済的側面からであり社会的文化的視点に欠けていたからだと思われる。

上記の調査結果は子育て支援や保育所の増加といった財政的支援や保育設備の充実といった対策が根本的な解決策になりえないことを示している。

時期を同じにして読売新聞の投書(大手小町)に下記のような質問があった。

「結婚を望まない男性にお聞きします。 -------20代から30代の男性で結婚を望まない方々はどのような理由からなんでしょうか?」

これに対する多くのレスポンスを読んだが結婚に関する日本人の意識、社会事情がよくわかる。

25歳から34歳までの男性の理由は概ね

1.経済的理由 (男性1人の収入ではやっていけない。 共稼ぎして二人で生活すれば効率がよく節約できる点もあるというプラス面を考えていない)

2.必要を感じない。(生活が便利になった独身でも困らないー結婚は生活の便利さで決めるものなのか)

3.自由や気楽さを失いたくない。趣味や娯楽を楽しみたい。(確かに結婚によって制約される面もあるが結婚生活にさらに子供ができた生活に楽しさを見出すことが出来ないのか)

これらのレスポンスはあまりにも寂しい。 全体から見えてくるのは小さくまとまった無気力男性とかなり観念的で頭でっかちの女性たちだ。



総合すれば結婚のメリットよりもデメリットのほうが多いと考えているひとが大勢のようだが日本の社会があまりにも物質主義、金銭主義に侵されていてすべてを損得勘定に置き換える傾向がある。 人間生活の基本的な営みの形、社会の基礎にある人間同士の繋がりを忘れているのではないか。 私たちがこの世に存在するのは親が結婚して私たちを生んでくれたからという事実を忘れてはしないか。  

結婚はバラ色でも墓場でもない。 現実に根ざした実生活のスタートである。 男性も女性もリスクなくして結婚をスタートすることはできない。 今日の幸せは明日の幸せを保証していない。 損得を考えるなら2人あわせた損得を、自分の損得よりも自分は相手に何を与えられるかを考えてみてはどうだろう。 



アメリカは結婚していようがいまいがSocial Actibitiesはカップルが原則。 男性女性にかかわらず一人では都合が悪いのでパートナー探しは非常に大事である。 異性と付き合う機会はアメリカのほうが圧倒的に多く異性を見る眼も養われる。 家族の付き合いや学校、職場で知り合い友達として付き合いを始めてお互いに恋人として認め合えば同棲もする。 アメリカでは子供のときから個人として尊重されるが同時に自己責任も要請される。 つまりリスクテーキングには慣れているがそれだけの手続を踏むことになる。同棲はお互いを深く知るための真剣な試行錯誤期間である。

アメリカでは「結婚をしていようがいまいが個人の自由である」というのは日本以上に当然のことでこれが投書の話題になることはまずないだろう。 一般にベターハーフであろうがパートナーであろうがガールフレンドであろうが差別なく受け入れられる。 一方1人者は社会的に半端者であると見られる。 だから婚活ではないが年齢の上下を問わずパートナー探しは真剣で積極的だ。



私の目には日本の若い人は生活の安定を求め小さな現状に甘んじているように見える。 社会は流動的であり今の安定は明日の安定に繋がるとは限らない。 リスクテーキング(チャレンジング)の精神においてこそ明日の発展がある。 結婚に関してもそう思ってほしい。



先の調査の結果から算術的に計算すれば近い将来日本の人口が想像以上に激減するのは眼に見えている。 出生率を上げるための少子化対策など無意味でありもっと広範囲な社会変化に対応した政策が求められるのではないだろうか。 

2009年12月12日土曜日

愛犬 Puddy

愛犬といってもうちの犬ではない。 息子の家族の犬である。 彼らがヴァケーション、長期出張、病気したときに我が家で預かるが平均して2ヶ月に一回、1週間から1月の滞在になるので我が家はセカンドハウスみたいなものだ。 1歳の時から預かっているので最早我が家の一員見たいなもので喜んでやってくる。 真っ白のビッション(雄犬)で名前をPuddyという。 目が可愛くハンサムだから誰にでも可愛いと声をかけられるので散歩に出るのが好きである。 私も同じ気持ち。 ほかの事は忘れても彼のことだけは忘れない。 今まで犬を飼ったこともないのに犬馬鹿の気持ちが判るようになった。


彼は11歳だから人間でいえば60-70歳とおもわれる。 歳はとっているがそれほど年寄りではない。 ちょうど自分と同じ年頃と思うだけで彼の気持ちが判りいっそう身近に感じるのである。 

犬にとっていいこととは

1.いい躾をされていること。

2.いい主従関係であること。

3.いい環境で適当な運動ができること。

だと思っている。

1.生まれた時から息子のワイフにいいしつけをされているのでこの点問題なし。

2.犬を人間同様に扱わぬこと。 犬目線で物事を判断しはっきりした意思表示をして彼に引っぱれないこと。

3.我が家の周辺は木々と芝生が多く犬の散歩には最適。

ということで私も彼の来訪を喜んで受け入れてきた。



しかし今年の夏に長い散歩を嫌がるようになり出ればすぐに帰ろうとする。 一時は途中で動けなくなってしまった。 駆け回ることも少なくなった。 やはり齢かなと思っていたが先日息子宅で彼が動けなくなり食事もできないと云ってきた。 緊急に入院したが獣医さん尾診断では赤血球が少なく血液癌かもしれないという。 点滴してもらって2日後には良くなり退院してきた。 1週間してまた具合が悪くなり再入院今度はステロイドを注射してもらい少しは元気になった。 しかしこの時もう先は長くないと覚悟した。 週末に再び動けなくなった。 仕事に忙しい息子は翌日休めないからといってその夜は彼のそばで一晩添い寝した。 翌朝息子のワイフが獣医さんのところに連れていったが臨終だった。 彼女はもう回復は無理と思い安楽死をOKし注射をしてもらった。 Puddyは死んだ。 

彼女は家から電話をしてきてPuddyが死んだことを知らせてくれた。 家内はPuddyの写真を10枚ぐらい引っ張り出しFamily RoomのBarのCounterにかざって線香をあげて声をかけていた。 それからまるで自分の幼子を失ったかのように1日中泣いていた。 

私は元気で散歩していたPuddyを思い浮かべるだけであまり悲しくもなく悲嘆にくれることもなかった。 犬の知識はあまりないが息子のワイフを除けば彼のことは一番よく知っているという自負があった。 犬を人間目線で見てはいけない。 犬は動物であり犬目線で見なければならない。 人間とは主従関係がはっきりしてなければならないことを基本に置いていた。

私は彼にベストを尽くしたと思っている。 だから涙は出ない。 

私たち二人にとってPuddyは特別の存在であった。 勿論人間ではないが動物でもないPuddy個人(個犬)として身近な存在であった。 Puddyの冥福を祈っている。

しばらく犬の顔を見たくない気持ちだ。



   

2009年12月9日水曜日

鳩山首相への失望

期待していた民主党と鳩山首相への失望は大きい。

政権発足後 3ヶ月成果を云々するにはまだ早いが組閣人事から国会運営、内閣、党内の意見調整にいたるその政治手法、政治手腕はまるで烏合の集、先生のいない小学校クラスのホームルームみたいだ。 

鳩山級長は良家の坊ちゃま、鳩山君の家はお金持ちだからお母さんに頼めばいくらでもお小遣いは出してもらえる。 気は優しくていつも友達のことを慮って自分を押し通すことが出来ない。 グループリーダーの小沢君が云うことは何でも聴いてしまう。 ガキ大将の亀井君は言いたい放題、何でも勝手にやってしまう。 自分と正反対の意見をもつ福島さんの言い分もよく聴いてあげる。 友愛精神は良いがクラスはまとまらずいつもがやがややかましく物事が進まない。
鳩山さんは成績優秀で東大からスタンフォードの大学院に進み本来ならば大学教授になっていればよかった。
幸か不幸か鳩山家は政治家の名門中の名門、はからずも最後は首相にまでなってしまったということではいけない。
大方の他の2世議員がそうであるように彼自身がもともと政治家を目指したわけではないようである。 安部ー福田ー麻生と名門政治家が3代続いたがいずれも迫力なく国民の実生活や感情を把握していなかったので首相の座はもとより自民党の凋落に拍車をかけてしまった。 鳩山さんは民主党だから違うと思っていたがどうも政治家としてぴったりこないところがある。根っこのところは前3首相と同じお坊ちゃま政治家でなければよいが。

同じ民主党でもアメリカの民主党は違う。 オバマという一世一代の大統領が保守派からリベラルまで幅広い議会をまとめ巧みな演説と周到に練り上げられた政治戦略で長年の国内問題ー医療改革に着手、何とか年内に決着するべく大詰め迎え、一方ではノーベル平和賞を受けながらイラク、アフガン戦争を推し進めている。 また気候温暖化対策ではアメリカの方針を180度転換しアメリカのみならず中国を含めた世界各国を温暖化対策に参画させ具体化に一歩踏み出した。 オバマという強烈なリーダーシップがあるからこそ超大国米国は未来に向かって舵を切り始めたのである。
寄り合い所帯でも良い。 現実世界への認識と国家将来へのビジョンそれに政治手腕としてのリーダーシップがあれば政治は良い方向へ動く。

鳩山さん。 日本の変革を託した国民の期待は大きいのです。 個人献金のことはさておきここでリーダーシップを発揮して山積する諸問題を解決に導かないとせっかく芽を吹きつつある日本の民主政治を潰してしまうことになりますよ。 政治が良い方向に動き出せば個人献金のことなど小さな問題です。 でももたもたしていると個人献金のことにかこつけて足元をすくわれ失脚することになりかねません。 少々の抵抗があっても早く決断してください。リスクを負わないと物事は前に進まないのです。

2009年12月4日金曜日

冬の入り口 NY City

今年は最低気温でさえ零度以下になったことはなく真に暖かい冬の入り口である。 マンハッタンは気温が低くなくても風があればとても寒い。 今日は気温が10度以上になり風もないということで久しぶりにマンハッタン散歩に出かけることにした。

タイムズスクエアは電光Ad.の最も眩いところ

ロックフェラーセンターのクリスマスツリー
今年はコネチカット州の普通の家庭から送られた。

ロックフェラーセンターの向かいのSacks Fifth Ave. 8F レストランでランチ、 
チョコレートはもっともポピュラーな贈り物
デパートのショーウィンドウはクリスマスの飾り付けにお金をかけ客寄せに使う。
公園は多くのクリスマスショップが並ぶ。
最近のすしブームで巻き寿司のオーナメントまで登場しているのには笑ってしまった。
クリスマス時期は観光客も多い。 天気の良い日はセントラルパークの観光馬車も大はやり。

セントラルパークのスケート場、 絵になる。

2009年11月23日月曜日

久しぶりの日本(7) ユニクロ

日本滞在中に訪れた店の中でもっとも賑わっていたのがユニクロである。
家内の実家の近くにユニクロがあったのでよくのぞいてみたが週末などは朝から夜までレジに行列ができていた。 
商品は100%カジュアル衣料、  ベーシックなものが多いがその時期の流行も取り入れている。 カラーはベーシックながら選択に困るほど多く揃えてあった。 価格はセールでなくとも絶対的に安いからひとつ買うつもりが2枚、3枚と勝手しまう。 セールは30-40%オフがあたりまえだからかなり割安感があり”まとめ買い”を促す。
いくら安くとも品質が悪ければ今の時代に通用しない。 その点ユニクロはよくわきまえていて「安くても品質は良い」という評判を自ら演出しているように思う。 ただスタイルは全般に細くて短くタイトで今の若者向き。 おなかの出ている中高年にはちょっと苦しい。 いつもはSサイズの私でもユニクロ製品はM, 時にはLを買わざるを得ない。買う前に試着を忘れないことだ。 アメリカのサイズと比較してみればタイトで短く同じサイズでも布地が70%ですむのではないかと思われるほど窮屈だ。 
現在、大多数の国民が耐久生活(消費者マインドとして)乃至は縮小均衡を迫られている状況だからユニクロの戦略は消費者の心理にマッチしている。 バブルの時代と違って実利主義の傾向が定着しつつある日本の大衆社会ではたとえ景気が回復したとしても高級差別化志向の消費者が大幅に増えるとは思えない。 安い商品を通じて可処分所得の低い若年層、ファッションには無関心だった中高年男性にファッションする機会、ファッションする楽しみを広げているように思われる。ユニクロは今の日本の文化を的確に把握している。 
一方百貨店の売上げは毎年下降線をたどっている。 百貨店が対象とする客層は縮小するばかりだから売上げが落ちても当然だろう。 ディスカウントショップと同じ手法をとっててはいっそう顧客を失うばかりだろうし赤字は増える。 百貨店は下降トレンドを追っかけるだけではなく先手を打ってドラスティックに店舗の数と品ぞろえを縮小し総合専門店志向を目指すべきだと思う。 衣料品店であろうが食料品店であろうが老舗では価格は高いが品質は保障済み、長期にわたって固定客をつかんでいる。 
百貨店のブランド商品はかなり大衆化して古びている。 しかし価格は大衆化していないしリーゾナブルといえる状態ではない。 専門店も多数入っているとはいえなんとなく時代遅れのマーケティングでちぐはぐな感じがするのである。 何でもあって品ぞろえが豊富というのが総合百貨店だというかも知れないがそれは物のない時代のきらびやかな消費の象徴であって今のように大衆がほぼほしいものは手入れることができる時代、しかも個人の趣向がめまぐるしく変化する時代では時代遅れの巨象といわれてもしかたがない。 何時までも同じ手法で量的拡大を計る時代ではないともうのだが。

2009年11月19日木曜日

マイケル・ジャックソン "This is it"

マイケル・ジャックソンのロンドン公演の8日前に亡くなってから5ヶ月、 スタッフのオーディションから最後のリハーサルまでを撮った映画ーThis is It-を見に行った。
リハーサルを中心としたドキュメンタリー映画だと思っていたがマイケルを中心としてProducer, Musician, Dancer, Choreographerや舞台裏のスタッフたちが一体となってStageを築き上げてゆくプロセスが感動の映画になっている。
映像のすべてが演出の監修や広報のための記録フィルムなので映画のための演出は全くない。 リハーサルとは言え公演間近のほぼ完成された舞台はマイケルの素顔とダンスのプラクティスが覗けてコンサート以上に楽しめる。 歌とダンスはマイケル自ら手がけたものとは知らなかったが音のわずかなタッチ、映画のスクリーンからでは判らないリズムの調整、指先の動きに至るまで自分の感性に合わせて共演者をリードしてゆく。 共演者は分身でありその他の人も自分の神経そのものだ。 ProducerでありDirectorでありSingerでありDancerである彼は自らを中心においてすべての人の才能を極限まで高める。 彼は孤高の頂点にいながらいつも仲間と同じ目線で高度な舞台を追求しているのが伝わってくる。 偉大な演出家にありがちな傲慢さは微塵もない。 そこにマイケルらしい人間性を感じるのである。 リハーサルだから実際のAudienceはいないが舞台下に集まった仲間のMusician, Producer, Dancer, Staffたちは20人にも満たないがあたかもコンサートに集まった熱狂的なファンのように彼の歌と動きに魅了されて一体となる。 彼が100%コンサートの中心であってもチームが高揚して融合しないとこのような大きな公演のプロジェクトは成功はない。
マイケルの歌とダンスがいかに卓越していようコンサートだけの映画であればこれほど感動はしなかったと思う。 この映画の中にはコンサートの演出・舞台つくりの熱情・マイケルの歌とダンスの感性の素晴らしさ、それに加えてマイケルの人間性や子供たちに対する愛情、自然保護を訴える強いメッセージが含まれていて単なるスターを追悼する記録映画に終わっていない。 芸能ドキュメンタリーでこんなに楽しみまた感動したのは始めてのことだ。 天才マイケルを失ったのは真に残念。 

2009年11月16日月曜日

NY総領事館が松井を表彰?

先のワールドシリーズでNYヤンキースの松井選手が大活躍、MVPに選ばれたことは誰もが知っている。 日本のすべての野球ファンとアメリカの在留邦人が理屈抜きでうれしく日本の誇りに思っている。 
そこにのこのこNY総領事館が出てきて松井選手を表彰するという。 NY地区の日本人に多くの希望と名誉を与えてくれたというのが理由らしいがTVの映像を見ていれば領事館の自分へのパフォーマンスであることは見え見え。 表彰するというならNY在住の各界日本人を招待しディナーパーティぐらいはするべきだろう。 せめて挨拶は生の言葉で心からお祝いの言葉を述べるべきだが初めから終わりまで下を向いて原稿の棒読み、この方がNYで日本を代表する外交官のトップであるというところに日本の外務省、外交官の質の問題が明らかに見えてくる。 
日本の大学をでて外務省に入りあちこち回って最終的にどこかの国の大使になるという典型的な順送り人事で外交官が務まると思うのは大間違い。
アメリカのように実業界やアカデミックな世界から一流の人物をスカウトして大使に任命しはどうか。 外務省は事務方として仕事をしたほうが余程有能さを発揮するだろうし国益に沿った仕事が出来るのではないだろうか。

2009年11月14日土曜日

久しぶりの日本(6) 意識が変わった

日本に滞在中必ず話題になったのが政権交代。 みなの意見は政権が変わってよかったという。 しかし民主党に変わったからといってそれほど急激な変化を期待しているようには思えなかった。 
以前には友達の間では政治の問題はほとんど話題にならなかった。 
しかし今回は選挙・政治に深く関心を持ったという人が多かった。 今まで政治は別物と思っていた人が政治が自分の生活に大きな影響を及ぼすものであり自分たちもまた政治に影響力を持っていることを認識した。 これは非常に大事なことであり政権交代以上に大きな意味がある。
私が語らう仲間はほぼ大学卒Upper Middleの社会人だ。 一般的には中道保守のクラスに入るだろうがこの人たちが自民党に見切りをつけ政権交代を選んだのは日本はもはや経済的にも政治的にも下り坂であるという認識のもと何とかしなければ日本は持たないのではないかと思い始めたようである。 日本で国民による本当の政治が生まれつつあるように思う。

2009年11月9日月曜日

久しぶりの日本(5)修学旅行

大学ゼミのクラス会で大阪城を訪れた時のこと。 近辺でOO小学校と張り紙のついた観光バスが走っていたし昼食に時に場内のうどんやで制服姿の小学生の一団といっしょになった。  かれらは修学旅行の途中なのだ。 今も修学旅行が続いていることに少し驚き懐かしくも思った。
しかし私自身の修学旅行は殆ど思い出せない。 楽しかったこともないしとくにいやな思い出があるわけではない。 小学校6年生で兵庫県西宮市から兵庫県の真ん中播州平野の田舎に引っ越したので中学にあがってからも町の子、要するに田舎に溶け込めないよそ者であった。 1学年100-200人の中で田畑がないのは数人しかいない。 農繁期休暇中に学校に行くのは5-6名だった。 町の高校に行くと今度は自分自身が田舎者になった。 クラスのみんなが優秀でスマートに見えた。  成績は悪くなかったが学校で青春を楽しんだ思い出はない。  もともと大勢で遊ぶのは好きではなかったので修学旅行も楽しめなかったのだろう。
いまも団体行動は好きではないのでグループのツワー旅行は行ったことがな

私たちの子供のころは都会と田舎の格差は歴然としていた。 滅多と出ることのない都会は(私の場合は神戸)にぎやかで眩しかった。 今のように連休だからといって遠出の旅行をすることもなかった。中学を出るまで大阪でさえ一回しか行ったことがなかった。 まして東京など知る由もない。 だから中学旅行は見知らぬ世界を見聞する重要な機会であったのだ。
いまは映像とともに情報があふれている。 子供でさえ旅行する機会が大いにあるだろう。 だから修学旅行が今も続いていることに少なからず驚きを覚えたのであった。

2009年11月8日日曜日

久しぶりの日本(4)同期の桜ー3

私にはちょっと変わった同期の桜が2人いる。

一人は小学校の同窓生で近くに住んでいたH君。 もう一人は大学の同窓生、K君 当時それほど親しいという間柄ではなく就職してからもお互いに消息を知らなかったが2年ばかり経った頃大阪のお好み焼きでばったり会い同じ関西系の商社勤務、しかも同業であることを知った。 それから40年お互いに海外の同じ任地を行ったり来たり、時にはすれ違いもあったけれど顔を合わせてビジネスを語りゴルフをする仲になった。 結婚したのもほぼ同じ頃、子供の年齢も同年代で同じ日本人小学校に通ったこともある。

同様の経験をした人も多々あるが今も夫婦同伴でお付き合いが続いているのはこの二組しかない。 彼らが今も活き活きとした生活を送っておりそのつど魅力のある話題を提供してくれるからに他ならないがおそらく同期の桜の気安さもあって自然体でお付き合いできるからだと思う。

毎年クリスマスカードやメールで近況を知らせあっていると家族全体の動きを知って親しみが継続する。

2-3年に一度しか会わないがこの二人と旧交を温める楽しさはまた格別である。

2009年11月7日土曜日

久しぶりの日本(3)同期の桜ー2

昔の仕事の同僚と5年ぶりに会った。 前回は友人の葬儀で顔をあわせただけで実質的には25年振りである。  急に呼び出し彼の奥さんにもあいたかったので夫婦同伴で」彼の故郷岡山で会う事になった。 二人は元気いっぱい少しも変わっていなかった。 彼と私は入社以来の同僚だから顔を合わせばすぐ昔に戻る。 しかし嫁さん同士は2度しか会ったことがなくお互いに硬くならないか若干心配したがまるで旧知の中のごとく打ち解けて夫婦ともども楽しい時間を過ごしたのであった。
(海外勤務を経験するとプライベートな付き合いは原則家族単位となる。 今回会った友人は同窓会メンバーを除けば全部夫婦同伴で会った。 そうのほうが話題に広がりができて話がはずむ。)
 
彼は入社10年ぐらいで東京の機会部門に転勤となった。 もともとストレートな男で上司にも部下にも信頼され将来を嘱望されていたが40歳までに故郷の岡山にか帰ると言い出した。 東京本社に比べれば岡山支店はちっぽけな店でしかない。  彼はもともと故郷で花を咲かせようと考えていた節がある。 実際に彼は岡山に帰って大活躍していた。 岡山支店は彼の活躍で業績が伸び広島の中国支社の業績を凌駕するまでになった。 退職してからも彼の精力的な活動は衰えず肩書きが30ほどあるという。  ゴルフもやれは百姓もやる。 当日は稲刈りをしたばかりといってすこし汚れた手をみせてくれた。 都会育ちの奥さんには相当な抵抗と戸惑いがあったに違いない。 しかし本来明るくしっかりした奥さんのこと、夫唱婦随でがんばってきたことだろう。 正直なところ彼をとてもうらやましく思った。 彼は今回会った仲間のうちもっともHappyな人生を送っている。 彼の成功は自分の考え方がぶれなかったこと。 自分が活きる場所を知っていてそこに全力を傾注したことによる。 
大きな組織のなかでも流されず自分の道を歩いてきた男。 だから今でも彼の顔には自信が満ちあふれている。 
次に帰国したときはまた会いたいと思ったのであった。

2009年11月6日金曜日

久しぶりの日本(2)同期の桜ー1

3週間の滞在中に多くの人と会った。 親類を除けば高校の同級生、大学ゼミの同期生、会社の同期生、いずれもほぼ齢が同じの同期の桜である。 10年目、20年目の再開であっても同期の桜は挨拶抜きに昔に戻る。 中には45年ぶりの再会もあり学生の頃よりも親しく話が出来るのが不思議である。 一年上でも一年下でもこうは行かない。
最近は同窓会が大流行だそうだ。 高校の同窓会は地元では春秋のゴルフ会、 東京でも有志のクラス会が毎年行われている。 
大学のゼミのクラス会は毎年10月の末に東京、名古屋、大阪で持ち回りで行われているが昨年は京都になった。 私は出席できなかったが京料理に「御茶屋遊び」の体験、高台寺の夜間拝観、白沙村荘などとても面白かったそうである。 この会ではクラス会の初めに翌年のクラス会の日程を決めてしまうので出席率が極めてよい。 幹事は一年前から趣向を考え単なる観光にとどまらず随分内容的の面白い企画が出てくる。 
今年は大阪、あまり観光名所の少ないところと思うが今年の幹事はそこを面白い企画で盛り上げた。 場所は大阪南のど真ん中、なんばの駅近くのビジネスホテルに夕方集合、 食事の前に1時間ほど散策することになりアメリカ村(御堂筋の西側) 宗右衛門町、道頓堀通、千日前通を歩いて法善寺横丁のすし屋になだれ込んだ。 大阪では通算9年勤務したが南は殆ど知らない。 今回のクラス会がなければ一生大阪・南を知らずに過ごしたかもしれない。日本にいる連中も今の年齢ではまず歩くことはないだろう。 法善寺のすし屋も昔ながらの横丁にはいった庶民的な感じのするすし屋だったが味は最高。 3時間ほどしゃべって帰りに全員コーヒーショップへ、これまた老舗の美味しいコーヒーであった。 この界隈を歩きつくした人でなければこの案内は出来ない。
翌日は難波宮遺跡を訪ねて幹事の説明を聴く。 30年ほど前に道路工事の際に発見された遺跡で大極殿あとに基石の台が築かれているだけで今は広々した難波宮跡公園となっており時折イベント会場に使われている。 幹事は用意した地図と資料を基に当時の難波の都を説明してくれるので想像力を生かして1500年前の景色を頭に描く。 (幹事はここに来るまでにあらかじめ想像力を働かせるよう各自にアドバイスしていた) 名所旧跡も適切な説明があって歴史を知りながら見学すると面白い。
それから道を挟んではす向かいのNHK大阪に併設された大阪歴史博物館を訪れた。10Fが入り口で9Fにかけて大阪の歴史が時代を追って閲覧できる趣向になっている。 スタートが難波宮で始まり東側半分が難波宮大極殿を再現したもので部屋の最上部に取り付けられたTVで飛鳥時代の歴史サマリーがビデオで放映され終わると同時に窓を覆っていた幅30mはあろうかと思われるスクリーンカーテンが巻き上げられ眼下には先ほど訪れた難波宮跡がパノラマとして見えるではないか。左手には修復された大阪城が間近に見える。 博物館としてはスケールの大きい素晴らしい趣向・展示方法である。 大阪は長らく日本の商都として栄えてきたが特に江戸時代堂島で米の先物取引まで行っていたこと知って驚いた。 大阪歴史博物館はお勧めである。 博物館見学の後は隣の大阪城に入り昼食に名物太閤うどんを食べてしばらくしゃべって散会した。 大阪には何もないと思っていたのは大間違い。 いい案内人が一緒だったおかげで楽しい2日間であった。 幹事さんありがとう。

2009年11月5日木曜日

久しぶりの日本(1)クリーンジャパン

クリーン ジャパン


飛行機が成田空港に着陸すると同時にWelcome Japanの機内アナウンスが始まった。
このFlight Attendantは日本がお気に入りとみえて何度も”Beautiful Japan"を繰り返した。

成田周辺は形の良い針葉樹の林が点在し緑が多くてきれいである。 しかし都心に近づくにつれて雑然とした都会風景になり取り立てて美しい日本とは言い難い。 何が美しいかは個人の主観によるもののクリーンであることを美しさの条件に入れるならば日本は飛びぬけて美しい国になる。 空港のターミナルからバスに乗り都心のホテルへ、そこからタクシーで目黒の娘の家へ。 翌朝渋谷から原宿あたりをうろうろして横道に入ってもクリーン度は変わらない。午後は新幹線で兵庫県にある家内の実家に落着いたがこの間チリひとつ落ちていない。 このスーパークリーン度は以後2週間、大阪、西宮、岡山など親戚、友人を訪ね歩いた間パーフェクトに続くのである。 バスもタクシーも電車も新幹線も建物の内外も道も公園も例外なしに100%クリーンだった。 都内の目黒区の公園ではごみがないのに清掃している人がいる。つまり今の日本では掃除する人はいても汚す人がいないのだ。 ひと昔前は駅の線路沿いはタバコの吸殻が散らばっており、駅のホームはガムの跡形があちこちに見られたものだ。 こんなに何処ともきれいになればタバコを捨てる人は目立つだろうし捨て辛くなる。 
ここでは良貨(クリーン)が悪貨(ダーティ)を駆逐している。 江戸時代の後期に日本の国内を旅行したイギリスの旅行家が田舎に行っても日本は清潔であることに驚いている。 クリーンであることは昔から日本の文化であるようだ。 感覚的にしかいえないが清潔さは何か日本の特別の付加価値のように思える。 清潔さは日本の文化だが漫画やアニメのように商品になり得ないし輸出も出来ないのは残念だ。 中国もインドも早かれ遅かれ経済的には数字の上で日本を凌駕するだろうし生活レベルも格段に良くなるだろう。 しかしクリーンさだけはなかなかマネが出来ないと思う。 

2009年10月11日日曜日

プレジデントカップと石川遼

プレジデント・カップはアメリカ vs. インターナショナルのマッチプレーによる国際対抗ゴルフゲーム 

シーズンが終わったとはいえ世界の最高プレーヤーを集めたマッチプレーはライダーカップと同様に選手は個人とチームの面目にかけて必死でプレーするのでシーズン中のトーナメントでは見られない異常な熱気で盛り上がりを見せる。
その中にインターナショナルチームの監督であるグレッグ・ノーマンの推薦で日本の石川遼選手がプレーした。
いくら日本の賞金王になったとはいえ18才のプロ1年生にとって世界ランキングの上位を占めるトッププロとは格が違うといわれても仕方がない。
競技は4日間全5種目のマッチプレー。 最終日(個人対抗戦12試合)を除く3日間はパートナーと組んでのマッチプレーだから自分のパートナーとのケミストリーが大いにモノを云う。 また対抗相手との組み合わせが微妙に競技に影響するので面白い。
最初の2日間(木曜・金曜)はゴルフチャンネルを除いて放映されないので見られなかったが週末土曜・日曜はNBCがほぼ10時間ぶっ続けで放映したので全部競技を見ることができた。 石川選手が出ていなければこんなに興味を持ってみなかっただろうが話題のティーンエイジャー・プレイヤーが世界のヒノキ舞台でどこまでやれるか見届けたかったので最後までTVにかじりついていた。
TVカメラは成績が良かろうが悪かろうがタイガー初め人気の選手を追うことで視聴者の興味を満足させようとするのでアメリカでは無名の石川のプレイは殆ど映してくれない。 たまたま初日はタイガーの組とあたり勝負にならなかったが2日目以降は世界の一流プレーヤと比べても引けをとらない堂々とした成績であった。 特に最終日個人戦ではアメリカNo.4のJerry Perryを2&1で下しインターナショナルチームに貢献した。 特筆すべきは彼のパット。 試合の節目節目に当たる重要なパットをことごとく沈め決して引き離されることはなかった。 パットが素晴らしいのは一流選手の証拠である。
3勝2敗の成績はインターナショナルチームの中ではトップ。 物怖じしないで精一杯力を出し尽くすのは今までの日本人プレイヤーにない何かをもっている。 試合後のインタビューを通訳なしで英語で答えていたのも好感が持てる。ただインタビューの際「何が一番印象に残ったか?」という質問に対して「タイガーとプレイできたこと」と答えたのはいただけない。 この答えはまだ18歳のはにかみ王子そのものである。
「多くの一流プレイヤーと一緒にプレイできた事が一番うれしい。 特にYan選手と組んで一勝を挙げたのはYan選手のいいアドバイスがあったからだ。 大変勉強になった。 この大会に特別招待してくれたグレッグ・ノーマン監督に感謝したい」というのが優等生の答えだろう。 またトッププレイヤーとしての礼儀かもしれない。 特に今回のように選抜のチームプレーではなおさらのことである。
彼は18歳最年少のプレイヤーということで何度も紹介されていたが実力で評価される日は遠くないだろう。
近い将来アメリカに来てプレイすることになるだろうからまたひとつゴルフTVを見る楽しみが増えた。

2009年10月9日金曜日

オバマ大統領ノーベル平和賞

オバマ大統領のノーベル平和賞受賞は誰もが驚いた。 
就任10ヶ月、 内外に問題山積の中彼の精力的な政策遂行は米国のみならず世界各地で多くのポジティブな論議を巻き起こしている。 (ブッシュ政権のときは平和に対してネガティブでアメリカは孤立化を深めていった。)
受賞理由は核廃絶に対する欧州と国連での演説と国連安全保障理事会でのロシア・中国を取り込んだ全会一致のリーダーシップが大きく評価されたという。
実績的に見ればか核軍縮や中東和平はまだ何も実現していないし地球温暖化対策も具体策は出ていない。 
しかしオバマ大統領が就任以来、米国と世界の潮流が大きく変わった事は万人が認めるところだろう。
これを後押しする意味でノーベル平和賞が授与されたといえば充分納得がいくことである。

紛争の絶えない世界で平和は築くのは難しく壊れ易い。 政治の世界では表で見える以上に裏でいろんな取引や駆け引きがおこなわれているので「平和に対する貢献」の定義も難しいだろう。 近年ノーベル平和賞は夙に政治的な意図と期待がこめられているように思える。 そう考えればオバマ大統領のノーベル平和賞受賞は納得行くところだが他の世界が素直にこの意味を受け入れるかどうかは別問題である。 将来この受賞が納得できるかどうかはオバマ大統領の時代が歴史にならなければ判らない。

2009年10月5日月曜日

家売れません

家を売り出してから一ヶ月以上になる。 最初の3週間は期待以上に家を見に来る人は多かった。 中には3度も見に来た人がいてかなりチャンスがあるかと思っていたが結局オファーはなし。 9月末より殆ど来客はない。
最近はインターネットで不動産売買データはすぐに見ることが出来るので定期的に市内の競合する売り家のデータを見ているが下見に来る人の数に比べて成約は極端に低い。 特に売り急いでいる人は当然のことながら売値(リストプライス)を下げて買手の興味を引こうとしているが殆ど効果はない。 先月一ヶ月で10件のうち3軒が値段を下げたが一向に売れる気配がない。 そのうちさらに安値の新規売り家のオファーが出てますますマーケットを下げることになっている。 買手は安心して買い控える。
景気刺激策として政府はFirst Time Home Buyerに$8000のインセンティブをオファーしているが(11月までの成約対象)First Time Home Buyerということになれば当然20代から30代の若い人が殆どだろう。 彼らの収入から考えれば大半が$30万以下の住宅が対象にである。 私の家は$40万以上だからまずは自力のFirst Time Buyerの対象にはならない。
ストックマーケットがそこを脱したとはいえ全国の失業率が9.8%と一向に改善する気配がなく個人所得も増えないとなるとHousing Market は下寄せせざるを得ないだろう。 過去に2回ほど経験したが不動産価格の調整は時間がかかる。 冷静に考えればアメリカの不動産価格はまだまだ下がるのではなかろうか。
幸いに家を売らねばならない緊急性はなくこの土地が嫌いでもないので静観することにしている。 

2009年9月29日火曜日

自力で飛んでいった凧

孫たちが久しぶりに遊びに来たのでかねてから用意していた凧揚げに挑戦することにした。

ワイフが一時帰国していたときに買ってきた西洋凧の構造は至って簡単、 ビニール・フィルムの本体に十字の骨組みを添えたもの。 縦の骨(支柱)はすでに組み込んであり横の骨(支柱)を両端の受け溝にはめるだけ。
中央に縦にハラビレがついていてそこにタコ糸を結びつけて出来上がり。 タコ糸は糸巻きハンドルに巻きつけてあり50mはある。 たかが凧でも充分計算して設計してあるとみえて風を受けるといとも簡単に舞い上がる。 

5歳半のK(男子)と3歳(女子)のSも簡単に飛ばせるのですぐに夢中になった。 風に乗ってぐんぐん上がる凧は大人でも楽しい。 
場所は昨年開放された新しいカウンティ・パークで中央の芝の野原にはが新宿御苑がすっぽり入るぐらいの大きさ。
周辺の散歩道をたまに人が歩いているのみで野原には誰もいないので凧揚げで誰に気兼ねすることもない。

この日は曇りだったが適当な風が吹いていて凧揚げには最適。  Kは時折手を離して凧が飛んでゆくのを追っかけて捕まえるのが面白くて広い野原を駆け回っていた。
凧は手を離すと風邪に流されるが10秒ー20秒の間に20-30m先に落ちてくる。
この広場は周囲は全部林に囲まれており北西に小高い丘があり南側平坦、西は小高い台地、全体としては緩やかな鉢の底(Basin)になっている。 この日は北西の丘に向かって緩やかな南風が吹いていた。 
Kはタコ糸を巻いたハンドルを放しては追っかけて遊んでいたがそのうち凧がなかなか落ちてこなくなった。丘の麓まで追っかけていったが凧はゆらゆらと風に乗って高度を上げるばかり一向に落ちてくる気配がない。
凧には20mほどタコ糸を垂らし一番下にはを糸巻きのハンドルがついている。 凧は自動操縦するはずがないのでそのうちに落ちてくると見ていたが丘の斜面にトンドン高度を上げ100m以上の上空を北西に向けて飛んでゆく。 まるでトンビが風に乗って舞い上がっていくように高度を上げ丘の頂上を越え曇り空のかなたに消えてしまった。

広場から丘の上にかけては確かに上昇気流が発生していただろうがドンビにせよグライダーにせよ風をうまくとらえて浮揚力をつけなければ高度を上げることは出来ないはずだ。 キツネにつままれたような現象だった。 Kは気に入った凧が飛んでいってしまったので泣きじゃくっていたが今度日本に行ってまたかってくるよと説得したら泣き止んだ。

しかし糸の切れた凧が空高く飛んでいったという話をきいたことがないのでどうして凧自体が飛べるのか考えてみた。 凧の構造と当時の状況は下記の通り。
  1. 凧の縦の中心線にそってヒレがついている。 これが方向舵の役目をする。
  2. ヒレの上から3分の1のところに糸穴がありここにタコ糸をつける。 凧に適当な傾斜をつけ斜め上に上昇する。
  3. タコ糸が20mほどついたままで端に糸巻きがついている。 

  • 凧はタコ糸と糸巻きに比べて風を受ける面積が大きく風をはらみ先に流される。
  • タコ糸は抵抗が少ないので手前に残る。 糸巻きは重たいので常にタコ糸の下端にぶら下がりタコを引っぱっているような形になる。 
  • 中央のヒレは凧とタコ糸が直角になるよう作動する。 しかもタコ糸の線は風の方向と同じになるので凧は常に風を受けるように方向を調節される。
  • 勿論凧やタコ糸・糸巻きが重過ぎてもいけないし凧から伸びる糸の長さも短くても長すぎてもいけない。

結局凧は風に対して適当な角度を保ちまた風の向きに対し直角になるよう調整しながらうまく風を捕らえ続けることが出来たのだと思う。 数値的に分析すれば自然に風に乗る凧が出来るかも知れない。 実証できないが以上が私の考察である。 新しい発見は何歳になっても楽しいものだ。

2009年9月24日木曜日

鳩山首相 国連デビュー

初めての外交舞台が国連総会という大舞台に立った鳩山首相の演説は内容のあるものにもかかわらず諸外国から特に注目を浴びなかった。 しかし今後国際舞台で活躍を期待させる要素が充分伺われる点には初登板として合格点を上げてもよいのではないか。

まず終始判りやすい英語で演説を通したこと。 安全保障理事会でもイヤホーンをはずして直接オバマ大統領の司会を聴いていたこと。 直接各国首脳とコミュニケーションできるのは基本であり重要な要素である。 政治理念がはっきりしていて会話に熱意が感じられること。 鳩山首相ご夫妻が明るく社交的な性格であることは外国で受け入れやすく個人的な信頼関係を構築する上で役に立つと思われる。

鳩山・オバマ会談は内容的には平凡で外交辞令の域を出ないと思われるが初回から何も突っ込んだ議論をする必要はなくスムーズな顔合わせをすることが目的であっただろう。 重要案件は今後時間をかけて協議すればよい。

昨日の国連演説で注目されたのはリビアのカダフィ大佐が90分、 イランのアフマネディジャド大統領の約3時間(?) もともとまともな演説を期待してはいなかったが我田引水の国連&西欧諸国批判に終始、途中退場する各国代表団も相次ぎ問題解決の糸口、気配さえ見せない後ろ向きの演説でうんざり。 世界は難しいと実感した。

しかし国際政治と外交はすべても国が相手であり選り好みできない。 宗教、政治体制、文化、経済力が異なる国々を相手にして国益を損ねることなく問題を解決し諸外国と友好関係を維持するには余程の外交経験と見識を必要とするだろう。 首相、外相の個人的な資質もさることながら国民が世界の現状を認識し現実的に対処する思考力と行動力を持たねばならないと思った。

2009年9月23日水曜日

鳩山内閣スタート

鳩山内閣がスタートしてからわずか1週間、期待と不安が入り混じる中、鳩山首相初め閣僚の仕事ぶりが次第に現実味を帯びてきた。

閣僚の顔ぶれを見れば各部門の政策通、専門家をそろえた適材適所といってもよいだろう。
民主党幹部、連携与党の首脳も取り入れた内閣で意見調整さえうまく行けば政策遂行は問題なさそうだ。
大きな政策転換が実効されようとしているのでかなりの調整が必要、また摩擦が避けられないがすべての人に良い政策などありえない。 国の形を変えなければならないという大命題の元に多少の不便や苦難は辛抱しようではないか。
メディアも枝葉末節のネガティブ記事ばかりかかずに「良いものは良い」 「悪いものは悪い」とストレートな記事を書くべきだ。 メディアは国民の気分・世論形成に大きな影響力があるので建設的な記事が内閣や政治を育てることを多いに認識してほしい。

鳩山首相は22日に初めての国連総会で演説、地球温暖化に関してCo2 25%削減の思い切った公約を発表したが残念ながらアメリカのメディアの露出度はゼロ、 TVの画面に映るのはオバマ大統領以外は中国の胡錦梼主席だけ。 アメリカ全体がいかに中国を重視しているかが伺い知れる。 

しかし鳩山首相は緊張はしているが違和感はない。 若いときにスタンフォード大学に留学経験が外国首脳とのやり取りに多少なりとも余裕を持たせているのではないだろうか。
今までの首相とは一味違う感じがするの。 
いずれにせよ自然体で世界に通用する日本の首相になってほしいと大きく期待が膨らんでいる。

2009年9月21日月曜日

NY 近代美術館

金曜日のフジコ・ヘミングさんのピアノリサイタルの前に時間があるのでNY MOMA(近代美術館)に行くことにした。 

金曜日の午後4時以降はディスカウント・ストアのターゲットがスポンサーで入場無料(入口でティケットをもらう)ということで多くの人が並んでいた。 私たちもこれ幸いと並んだが人の列が53丁目の中ほどから6番街ので折り返すほど並んでいて入り口に辿りつくまで20分はかかっただろうか。 一階ロビーはさすがにごったがえしていたが2階以上の展示場では適当に込んでいるという状況であった。 前以て展示の詳細を調べていったわけっではないし時間も限られていたので一番ポピュラーな1800-1900年代の近代絵画の展示をみることにして3階まで上った。
初めの部屋からずらりとピカソの絵が並んでいた。 時折同時代の画家の絵も混じってはいるもののピカソのオンパレードといった様子。 こんなにふんだんにピカソの絵を見るのは初めてだ。 一人の画家の作品を沢山集めて展示すればその画家の真髄と変遷とが予備知識がなくとも判りやすい。 
いとも簡単に展示されている絵を解説と共にデジカメで写真をとっている人が沢山いる。
本来美術館での写真撮影は禁止のはずだがここはいたって気楽なもの。 人が多いにもかかわらず原則ルールとエチケットは守られているのはさすがである。 とにかく他人との体が触れ合うことなく展示絵画との間に好きなだけのスペースをとって各人が自分のペースで干渉できるのはありがたい。
展示絵画の殆どがNYの富豪の寄贈か、またはコレクションからの借り物で展示のテーマが決まればすぐに100-200の作品が集まるのはさすがNYである。
 
数年前に東京国立博物館で唐招提寺宝物展を見に行ったときの人の多さを思い出した。 超満員の電車に乗っているようなものでベルトコンベアーに乗ってそろりそろりと動いているようなものでゆっくり鑑賞するべくもなかった。 また東京大丸の秦始皇帝の墓・兵馬桶坑の出土品展示会は一目見るだけでも価値のある興味深い展示品ばかりであったが身動きできないほどの混雑で30分も経たぬ間に押し出されてしまった。 主催者側が少し気をきかせて入場者のコントロールをすればもう少しゆったりした鑑賞ができると思うのだが。

2009年9月19日土曜日

NY ピアノリサイタル

Fujiko Hemming ピアノ・リサイタル

昨日のフジTVでフジコ・ヘッミングさんのNY公演まえのインタビューを放映しティケットがまだあるというので急遽いくことにした。 彼女のことは日本に滞在中にNHKのTV番組で知ったが彼女が不遇な過去からカムバックして世界から注目を集めるようになった人世の機微、ピアノの演奏はもとより彼女独特のファッション、 ピアノ以外あまり注目されてはいないが彼女描く絵画は忘れられないものがあった。 ピアノの演奏はCDで聴く以外知る機会もなかったがたまたま横浜のそごう内の画廊に彼女の絵画を見たときに彼女独自の芸術を見る気がした。 マチスのような色使いと明るい雰囲気があるように思った。

リンカーンセンター アリス・タリーホールでの演奏は私の想像通りすばらしかった。 彼女は風邪を引いて体調は厳しかったようであるがそれをものともせずエネルギーいっぱいのダイナミックな演奏は音楽通でない(音楽ファンともいえない全くの素人)私でも飽きることなく楽しめた。  テクニカルなことは判らないが虫の羽ばたき寄りも早いかと思われるような小刻みな指の動き、ゆっくりとしたテンポの時はそれなりの柔らかい音、 激しいときは鍵盤が折れないかと思うほどのダイナミックな音、  20分のインターミッションを含む2時間の演奏はこれぞフジコ・ヘミングといわんばかりの個性あふれる演奏であった。 
芸術とは人生(人格と思想)と個性の表現でいい芸術に合うことが出来るのはいい人世の経験でもある。

2009年9月17日木曜日

NY 交通手段

私の住んでいるBedminster, NJからManhattan, NYまで約45マイル(75km)でNY Cityへの通勤圏のほぼ限界地域に位置する。 Midtown まで車で行けば約1時間強、ただし交通状況に大きく左右されてあまり計算できない。 電車は時間的には確実で計算できるがExpressがなくしかも3回も乗り換えなければならないので車以上に時間がかかる。 バスが42nd Streetまで直通なので時間も早く便利だがBedminsterからは朝夕通勤用の各3本しか出ておらず私のように昼にNYへ遊びに行く人間にとってはいささか不便であった。
結局殆どの場合自分で車を運転してゆくことになるのだがだんだん混雑するManhattanを運転するのが億劫になりしかも食事をしたりして帰りが夜遅くなる場合特に疲れる。
そこでもう一度アクセス可能なバス路線を調べてみると近郊各地からNY 行きの多くの路線があることがわかった。
いずれにせよバス停までは車で行かねばならないので
1. パーキング・スペースが充分で安全なパーキングがあるか。(勿論無料でなければならないー私の知る限り全部無料である)
2.充分な便数があって夜遅くても帰ることができるか。
以上が主な条件である。
Park & Rideと表示のあるところは100-200台ほど駐車可能な大規模なパブリック・パーキングで夜通し煌々とライトが点っている。 一番安全で殆どいっぱいになることはない。
しばしば大型ショッピング・モールまたは小型ショッピング・センターに隣接している。
料金は乗り場により異なるが$9.00前後、シニアとこどもは半額。
NYへ直接車で行く場合はハドソン川を渡るのに(橋かトンネル)$8.00 Manhattanでのパーキングに時間により$20.00-$40.00かかる。
バスと車の損得勘定は一人ならバス、二人ならとんとん、3人以上なら車が得ということになる。
私と家内の二人ならシニアの割引も考えればバスが安くて楽ということになったのでこれからはバスで行くことにした。 

2009年9月12日土曜日

衆議院総選挙(6)

新しい政治の芽吹き

総選挙の興奮がさめて2週間がたち民主党新政権の形つくりに関心が集まっている。

総選挙に対する私の期待は「議員の若返り」であったが結果は50%達成といったところである。 民主党では若い議員さんが大量に当選したので90%達成、一方自民党では老若押しなべて大量落選したもののベテラン議員が比例区で復活したので以前にもまして老朽化してしまった。 結果として自民党の再生がいっそう困難になってしまった感がある。 健全な二大政党政治を目指すならば数も年齢もバランスしなければならない。

しかし今回の選挙の総括の中で各地当選者の個人個人のエピソードが伝えられるにつけ日本にも新しい政治の芽吹きが感じられるのはうれしいことだ。

個々の内容は別にして前回郵政改革反対を唱えて自民党からはずされ裸で4年間の地道な活動をへて無所属で出馬、民主党も自民党も破って当選した城内実、 民主党とはいえ名ばかりで党の支援も受けず自力で保守王国の神奈川17区で当選した神山洋介、31歳で逗子の市長になり2期勤めたあと予想通り中央に打って出た神奈川4区の新鋭、長島一由、 巻土従来当選した兵庫6区の市村浩一郎、 すでに知名度は高く毛並みも良い河野太郎は自民党に吹く逆風にも臆せず動ぜず従来の政治姿勢を貫いて当選。 自民党の中では一匹狼。 民主党でも自民党でも かまわない。 国を思う若い人でなければ改革なぞ出来はしない。
彼らに共通しているのはこの国を何とかしなければならないという純粋な政治に対する情熱でありそれを支持した選挙民は候補者と共に今まで遠くにあった国の政治を自ら手にした国民である。 新しい動きが全国にひろがりつつあるのを頼もしく思う。

2009年9月9日水曜日

医療制度改革

夏休みが終わり今週火曜日(9月8日)から 新学期が始まった。 
同時に議員さんたちも休みが明けて地元からワシントンに戻って来た。 しかし議員さんたちにとって今年は地元に帰ってバケーションを取る暇もなくオバマ大統領が提案する医療制度改革をめぐって地元でのタウンミーティングで選挙民との激しい議論に明け暮れたので夏休みどころではなかっただろう。 
昨年の大統領選挙中にも医療制度改革は国内の重要課題としてあげられていたがこれほどまでに激しい議論展開にならなかった。 この議論は主に共和党が反対しているとはいえ民主党の中にも反対意見が多くあり党派間の争いというのではない。 アメリカ社会の原則論がからんでいるので議会のみならず国民の間でも大きく意見がわかれている。 医療制度は複雑に利害が絡み合っており一般的に現行の制度自体も理解するのがむずかしい。 右よりの人達から意図的に曲解された情報が流されていることもあり国民の間で誤解が生じていることも事実である。
反対派の論拠は政府がサポートする公的医療制度は
1.自由主義社会、市場への介入である。(Intervine of Free Market)
2.個人の選択の権利を奪うことになる。(Freedom of Choice)
3.巨大な財政負担を後世に残すべきでではない。(Cost of $750 Bil.)
アメリカ人の気質から上記を懸念することはもっともなことだ。

さて今夜8時から医療制度改革をめぐってオバマ大統領の両院議員総会での特別演説が行われた。 通常ならば一般教書演説(State of Union Address)が行われるときに全議員が集まるのだが今回のように途中で再度召集されるのは異常である。 これは同法案が議会で多くの反対にあい可決される見通しが立たないのでオバマ大統領が潮目を変えるべく全議員と国民に医療改革の重要性を訴えるために召集したものだ。
オバマ大統領の演説の骨子は次のようなものである。
医療改革(Health Care Reform)はT. Roothbelt以来アメリカ100年の課題であり議論はこの辺で終わりにして実行に移さねばならない。 この問題について議論するのは私が最後の大統領になりたい。 4500万人(人口の約15%)のも無保険者がいるのは先進国中アメリカだけである。 現行の医療制度が問題であるのは誰もが認識しているところであり誰も改革に反対する人はいない。 ただし多くの誤解があり私の提唱する保険制度が正しく理解されていないと思う。 
  • まず既存の保険保険には何も制限は加えないし変更もない。
  • しかし高額の保険料を引き下げるため競争導入し無駄使いを省かなければならない。
  • 現行では保険を買えない人達に易い保険を提供しすべての国民に安心と健康的な生活を保障する。
  • 国の負担は一切増やさない。

今日演説は選挙のときよりも就任演説も年頭教書の時よりも一番熱のこもった演説であった。

最近経済指標が芳しくなく失業者も増えつつある。 オバマ大統領の支持率が急落しており特に経済政策についてはApproveが40%を下回ってしまった。

ここがオバマ大統領の踏ん張りどころであり何としてでも医療改革は通さねばならないとの意気込みが感じられた。 しかし資金面での確たる裏付けもないので過半数の賛成票を得られるかは明日以降の大統領と議会での折衝にかかっている。

オバマさんの医療改革・国民皆保険に対する情熱はひょっとすると貧しい時代にお母さんを失ったことに起因しているかも知れない。

2009年9月4日金曜日

鳩山民主党政権

9月2日のコラムで森元首相の「でしゃばり」を批判したが民主党でも同じことがおきつつある。 言わずとしれた小沢一郎氏の幹事長就任である。 こちらは衆参第一党の実力幹事長となるので影響は大きいだろう。 総選挙大勝の功績が顕著とはいえ選挙はあくまで選挙に限られ政策立案、政策実行能力とは別問題。 
小沢氏が本当に民主党の成長と安定、ひいては日本の2大政党政治を臨むのであればくれぐれも自制し幅の広い政策議論と透明性を示すよう自ら範を示すべきであろう。

2009年9月3日木曜日

衆議院総選挙(5)コミュニケーション

パブリック・コミュニケーションの重要性

麻生首相の失言癖や漢字の誤読が揶揄されているが広くパブリック・コミュニケーションの見地からすれば麻生首相一人が非難されるべきではない。 安部さんだって敬語の使い方は全くデタラメで聴いているほうが恥ずかしくなったものだ。 福田さんは他人の話を辛抱強く聴いて説得するタイプではなくぶっきらぼうで対話が苦手なように見えた。 細かいことで突っ込まれると切れてしまい最後は話にならない。 本来政治家のタイプではない。

民主党と言えば小沢新幹事長は自他ともに認めるしゃべり下手。 舞台裏で工作するのが得意なパブリック・コミュニケーションとはほど遠い存在。 管代表代理は何でもアグレッシブにしゃべりすぎ。自己主張ばかりしていては議論にならない。 岡田幹事長はもう少し砕けたしゃべり方をしたほうが聴く方もリラックスする。  鳩山新首相はしばらく様子を見ることにしよう。

いずれにせよ要人の発言は日本の顔として一時一句が報道されるから国内的にも国際的にも影響は大きい。 しゃべり方の巧拙によって真意が伝わるか、好意的に受け止められるかが決まる。 しかし政治家としてスマートなしゃべりかたが出来る人は殆どいないのは真に残念である。 対外的にも日本は随分 損をしていると思う。
しゃべるのが大事な仕事であるのはメディアのキャスターや評論家、またコメディアン、落語家だけではない。 政治家は議論と演説と対話がベースの仕事である。 選挙民との対話はもとより政治家同士、対官僚などコミュニケーション技術を磨けば彼らの仕事ももっとスムーズにはかどるだろうし国民の支持も増えるだろう。 このところ東国原宮崎県知事や橋下大阪府知事がもてはやされるのは政治的手腕よりもむしろ彼らの発言による政治的インパクトが大きいからだと思われる。 つまり常に県民・国民へのインパクトを意識しての発言だからである。

選挙を通じて感じたことは日本人はもっとコミュニケーション技術(特に政治家のパブリック・コミュニケーション)を磨かねばならないと言うことだ。 

追記; Yomiuri Online 9月4日によれば文化庁の国語に関する世論調査で

”言葉で伝えるより察し合って心を通わせる事を重んじる人がこの10年で1.4倍に増え全体の3割を越えたことが判った。 控えめな言葉を好む傾向も伺え同庁は「KY(気配が読めない)といわれることをおそれ、場の雰囲気に合わせようとする風潮の表れでは」と指摘している。”

これでは日本はダメになる。 国語教育を読み書き中心から話し方中心に変えなければならない。 話し言葉の教育は社会と人間そのものにかかわる教育であるから簡単ではないが。

2009年9月2日水曜日

衆議院総選挙(4)自民党は

自民党が惨敗して古参議員が大量に落選した。 にもかかわらず比例復活でかなりのベテラン議員が帰り咲いている。 せっかくの新規出直しのいい機会であるにもかかわらず復帰したベテラン議員がまたも党の要職を占めるようなことがあれば自民党は復活再生の大きな機会を逃してしまうことになるだろう。

危惧したようにまたもや森喜朗元首相が再び後継総裁選びのまとめ役をかってかって出ようとしている。 安部ー福田ー麻生と過去3代の総理選びも森元首相がキーパーソンではなかったか。 彼はその責任を負って最初に退陣する人物であるにもかかわらずまた主役を演じようととしている。 人物を見る眼もなくただ自民党派閥の長がその器の中で派閥の論理で総裁選びを取り仕切ろうと画策する。 なくなんとなく派閥(の首領)が合意を形成して押した人が日本の代表・総理大臣に就任する。 こうした党首選び、首相選びのプロセスが自民党をダメにし日本をダメにした原因ではないだろうか。

アメリカの大統領はその地位を降りると同時に政界から引退することになっている。 日本の首相経験者も退任すれば政界を引退することにすれば政界の若返りの加速すると思われるのだが。

2009年8月31日月曜日

衆議院総選挙(3)理に基く政治

情緒政治から理に基づいた政治へ

選挙から一夜明けて勝者敗者の映像がTVに写る。
日本の選挙は連呼、お願い、握手が主流で選挙中に候補者の人間性、政治信条、重点政策を知ることは難しい。 それはせいぜい政党マニフェストやポスターを通じて知ることが出来るにしてもそれでは小選挙区と比例代表選出の区別の意味がなくなってしまう。 日本のように短期間の選挙で候補者を選ぶのは本来その人の履歴、政治信条、実績をベースに選ぶべきで地縁、血縁、金縁がベースの日本の選挙は以前として前近代的要素が多いといわざるを得ない。 
一般には「00先生」と呼ばれる代議士が選挙の時だけどうして土下座してお願いするのか。 皆さんのためというのは誰の利益を意味するのか。 本当の国民のために政治家を志したのであれば甘い言葉だけを並べて「お願いします、助けてください」などと土下座して選挙民に訴えるようなみっともない選挙はやめるべきである。 「いい国を造るために全力を尽くしてください」とお願いするのはわれわれ国民のほうである。
いい加減に情緒社会を脱して理に基づいた政治議論をしなければならない。 これは国民の義務である。 今回の選挙がそのきっかけになることを望んでいる。

2009年8月30日日曜日

衆議院総選挙(2)世代交代

若手中心の政治に期待する

夕方外出から帰りパソコンを開けて日本の選挙結果の詳細と解説を読んだ。

長年続いた自民党支配から民主党への政権交代が出来たことは真に喜ばしいことであり日本社会の活性化に必要不可欠な要素であった。 なお詳細を見てみれば自民党の重鎮、閣僚経験者、党内実力者が数多く落選している。 言葉は悪いが私の期待どうり自民党の古株が大量にアウトになり自民党は否が負うにも若手が党の再生のをかけて新しい政治を構築しなければならなくなった。 一方民主党も何時までも小沢代表代行の威をかりて政局を展開することや元自民党や元社会党の古参議員に依存することをやめて若手が中心となり新しい国つくりに邁進することが求められている。 双方とも若手中心なら情緒を捨て理に基づいた議論が可能となるだろう。
その時初めて日本で2大政党による民主主義議会が成立したということができる。

衆議院総選挙(1)政権交代

朝から選挙速報を見ている (日本時間と米国東部時間は13時間の時差がある)

民主党の圧勝が予想されていたとはいえ都道府県別に党別の当選者が色分けされて表示されると民主党の圧倒的な当選者数にあらためて驚いている。 国民の政権交代への期待が如実に現れていると云えよう。

政権が交代したからといって日本の現状がすぐに変化するわけではない。

年金・社会保障、景気対策、行政改革、財政再建、外交・安全保障、地方分権、教育・少子化問題など問題山積で先行き楽観はできない。 ただし唯一予算を必要とせずすぐ超党派で取り組める問題がある。 しかも国家改革の基本となる政策ですべてに関係する問題、それは行政改革である。 すぐに始めてほしい。

現在の各党の「少子化対策」ほどばかばかしい政策はない。 自民党も民主党も国民も全員が「少子化」の認識の仕方に問題がある。 少子化は文化・(親を含んだ)教育の問題であって諸外国を見れば文明の歴史的必然であることが判る。 

少子化を経済や財政の面からアプローチするから「子育て手当て」などの補助金・助成金をベースにした政策が唱えられるのであっていくら金をつぎ込んでも効果は上がらないだろう。

少子化の解決策としては移民受入れしかない。 日本は基本的に移民アレルギーのように思われるがすでに多くの外国人が日本の国内で就業しておりこの受入れを特定国に限定せず一般化し移民の質的向上を目指すべきだろう。 新政権には新移民政策をぜひ検討してほしい。

2009年8月28日金曜日

家を売ります(2)

オープンハウス

家を売るための一番大きな行事はオープンハウスである。 不動産業者のAgent仲間と不特定多数の家探しをしている人達に一度に物件を見てもらうためだ。 指定のAgentが自社のWebsiteに載せたりチラシをメールしたりして集客する。 
オープンハウスの準備は2-3週間前から家の内外の掃除、窓ガラス拭き、細部の補修などその都度してきたが直前にはプライベートなItemsをすべてしまいこんで出来るだけ室内はシンプルにしておく。 オープンハウス(家を売るためには)は色や飾りを出来るだけNeutralにしておくのが鉄則という。 気になるのは家の”におい”である。 今の家を買う際にいろいろ見て回ったが家のにおいが気になった。 インド人の家はカレーのにおい、中国人の家は中華料理のにおい、韓国人の家はキムチのにおい。 住んでいる人には判らないがエスニックが違うと気になるものである。 日本人の家はあまりにおいがしないと思っているがある人によると醤油のにおいがするという。 自分でも自分の家のにおいは判らないのでAgentに聴いてみた。 彼は「においはしないので問題ない」といっているが念のため各部屋にポプリを置き2-3日はにおいのキツイ料理は避けるようにしている。 

オープンハウスは日曜の1:00pmから4:00pmと決まっている。 
客足は天候によって大きく左右されるので日曜日の天気が気にかかるがハリケーンの進路によって影響があるかも知れない。

接客にはAgentがあたるのでこの間私たちは外出。 久しぶりに家内とショッピングにでも出かけることにしている。

2009年8月24日月曜日

家を売ります(1)

先週から家を売りに出している。 現在住んでいる家の住易さや環境 はとても気にいっているしどこかに引越しせねばならない特別な理由はない。 「ではどうして?」と聴かれればNJに住んでから20年にもなるし現在の家にも11年住んだ。 「新しい刺激を求めてそろそろ引っ越してもいい時期だ」というのが理由といえば理由になる。 そんな状況だから売れた時が引越し時期である。 このことは2年前から(日本から戻って来たときから)考えていた。

さて家を売るためには不動産業者(Agent-Realtor)を使用するか業者を通さずに自分で売るか(By Owner)2通りの方法がある。 何しろAgent Commissionが通常6%なので$50万の物件であれば$3万ドルと金額がはる。 近頃はインターネットで自分で売る人も増えている。
自分で売ればセーブできるが交渉や手続はすべて自分でしなければならず面倒なのでプロに任せることにした。 しかし過去の経験から私は原則的に不動産屋を信頼していない。
そこでAgentを決める前に少なくとも3社をインタビューすることにした。
インタビューの主題は 
1.いかに価格設定するのか?(高すぎても安過ぎてもいけない) 
2.我が家のセールスポイントはどこか? (不利なところも認識する必要あり)
3.販売力(ノウハウとAgent個人の人柄)

2社は全国ネットの大手(C社、R社) 1社はこの町だけのローカル不動産屋(H社)。 このローカル業者には日本に滞在中の3年間管理を任せていたのではじめはここに任せるつもりでいた。 H社はHandling Commission 3.9%というLow Commissionで売手の興味をそそり多くの物件を集めている。 大手はデータ管理とネットワークを駆使した販売力に強みがある。
私は自分で数社のインターネットを通じ市内にリストアップされている物件を買手の立場で物色してみた。 私が住んでいる地区は殆どがタウンハウスで似たような物件が数多くあるので比較がし易い。 全国的に強くともこの町で弱くては意味がない。 比較検討の結果C社はリスト(売手側Agent), ソールド(買手側Agent)ともトップ、 R社は全国的には強いがローカルではベスト3には入らない。 H社はリストは大手並みに強いがソールド(販売ネットワーク)が弱い。 大手と競争し買手の興味を引くために低価格戦略に徹している。 つまり自分のCommissionを1%犠牲にすることを強調しているが売手にも3%-4%低く価格設定させている。 
急ぐ必要もないので一ヶ月あまりマーケットを見ながら検討した結果C社のTomに任せることにした。 彼は同じCommunityのなかのOne UnitのOwnerでもありRentの管理もしている。
副業でHouse Inspectorもかねているので申し分ない。 いいAgentを見つけてよかったと思っている。 家の売り買いには時間をかけて準備することが大切と思った。

2009年8月18日火曜日

デンマークの教育

JMMの投稿メンバーの一人にデンマーク在住、高田ケラー有子さんという造形作家がいる。 彼女はデンマーク人の夫と二人の息子さんの4人家族だがその生活ぶり綴ったコラム「平らな国デンマーク 子育ての現場から」を読むのがとても楽しい。
特にデンマークにおける社会システムと教育環境は私にとっては幼児、幼年教育の理想であり日本の教育改革のお手本になるのではないかと思っている。
私自身は子供が成人しすでに家庭を持っている状況なので直接関係はないのだが孫たちが6歳、4歳 1歳なので改めて子供の教育に興味を持ち始めた。
  1. デンマークでは小学4年生まで殆ど教科書がない。 (知識よりも社会性を身につけるための基礎訓練)
  2. 5年生以上で教科書は出てくるが学校からの借物なので教科書は何代にも渡って使われる。 教科書は家に持ち帰らない。
  3. 授業は週27時間、そのうち3時間の英語の授業がある。
  4. 子供主体のグループでの実践授業が多い。 先生は出来るだけ口出ししない
  5. 何でもやれるが自己責任、自己負担 (リゾート、キャンプ、遊園地、プール、その他の習い事)

日本は数年前に「ゆとり教育」を始めたがいつの間にか立ち消えになってしまった。 教育はすぐに成果が出るものではないし、まして「ゆとり教育」などは方針であって個々の目的などはないはずである。 大人が(家庭が)本気で教育の原点を考えなければ「ゆとり教育」など空念仏に過ぎない。

2009年8月17日月曜日

医療保険改革

今年アメリカでは大統領はじめ政治家には夏休みはない。
アメリカ最大の国内問題ー国民健康保険ーをめぐって国中が喧々諤々、オバマ大統領は選挙公約でもある医療保険改革(国民皆保険)を強力に推し進めようとしているが議会や国民の強烈な反対に会っている。

何しろ無保険者が全米で4,600万人もいるというから尋常ではない。 皆保険を実行するには莫大な費用がかかる。
反対の理由は次のようなことがあげられる。
* 政府予算が莫大になるというのはつまるところ税金が高くなる。
* 保険選択の自由がなくなる。 (保険の種類ー給付と保険料、 医師、病院などの選択)
* 政府にシステムをコントロールされるのはいや。(医師も国民も)
* 保険会社は政府が介入することで市場の自由競争が阻害される。(政府の保険と競争しても勝ち目はない)
* 既存のメディケア(老齢保険)、メディケード(低所得者向け保険)など既得権のベネフィットが削られる恐れがある。

国民も医療関係者も政府も議会も改革せねばならないことでは一致しているが利害が複雑に絡み合っており「個人の自由」と「税金」には極度に敏感なアメリカ国民だけに一筋縄ではいかない。
そこで大統領は得意の対話戦術に出て時間のある限り各地に出向きタウンミーティングを重ねている。 毎日こんなに演説をする大統領を見たことはない。 難問に手を突っ込んだだけに大統領の支持率も急落、医療保険改革については支持率が43%まで下がってしまった。 
オバマ大統領は公約をひとつひとつ片付けていくのは予定の行動であって公約がいかに難題であっても先送りしないのはさすがである。 
地元に帰った議員さんも意見の分かれる地元選挙民への説明と対応で大変だ。 議会でも侃侃顎顎で結論を持ち越したままで今度は地元民の意見を総括して議会が大統領とまた話し合わねばならない。 そこにアメリカの議員さんの国民の代表としての大きな役割を果たしているのを見ることが出来るし民主主義のシステムが作動しているのが見えるのである。 
時間をかけて自由な議論をすることが最大の解決策なのだ。

2009年8月13日木曜日

アメリカのスピード(2)

昨日コラムの投稿を長期にわたり休んだ理由に「自分で書くより他人のコラムを読むほうが面白いから」と書いた。 

私が読む日本のメディアは一般ニュースはYomiuri Online、 日本の出来事を知るにはこれだけで充分。
それに日本の諸問題に関する提言を集めたNikkei BP Net それと村上龍が主催するJapan Mail Media(JMM) を読むのが私の日課である。

私が好きなコラムニストは日経BPnetでは田原聡一朗、大前研一、財部誠一の3人
田原さんは朝日TVのサンデープロジェクトでおなじみ、充分な取材をベースに国民の目線(しかしハイレベルで)で鋭く切り込むインタビューは他局のインタビュアーには真似できないセンスがある。 
大前さんは数字を駆使して日本、アメリカ、世界の経済・社会の分析を判りやすく解説、大胆な思考による新しい社会のモデルを提案しておりいつも感心させられる。 若干視点が大きすぎて一般にはピンとこないかもしれない。 
財部さんの評論はビジネスを通じて日本の経済と社会を見ているだけに身近で共感するところが多い。
3人とも将来の日本の国の形を念頭に置きながらさまざまな具体策を提唱をしている。 早く彼らの考えが現実の政治に反映される事を期待している。  

JMMには世界各地からローカルでしかもコスモポリタンな寄稿が集まって面白い. 北京のふるまいよしこ、韓国のアンヨンヒ、ケニアの滝田明日香、デンマークの高田有子、オランダの春具(はる・えれ)、アメリカの冷泉彰彦   

とくに冷泉さんはニュージャージーのプリンストン在住の作家。 住環境が同じで見ているTVもほぼ同じ、アメリカ社会の見方も感じ方も同じなので私の言いたいところ読みやすい言葉でセンスあふれる解説を綴っておられるので同じようなコメントをわざわざ私がすることもない。 (私がコラムの投稿を休んだ一番の理由がここにある。) 職業は作家となっているが本来は政治・社会学者のようで研究のためにプリンストン大学にこられているのかもしれない。 とにかくアメリカの生社会をライブに近い形でコメントが出てくるので事件が起るたびに氏のコラムを読むのが楽しみである。 
          

2009年8月12日水曜日

アメリカのスピード(1)

ちょっとコラムの投稿を休もうと思ったら早くも4ヶ月経ってしまった。
休もうと思った理由は端的にいってアメリカのスピードについていけなくなったこと。 自分で書くより他人のコラムを読んでいるほうが面白いからである。  自分で書いて公表するからにはある程度事実と数字の確認をしなければならない。 それが意外と時間がかかる。

オバマが大統領になってからわずか200日だが就任時には国内国外共に問題山積、特に経済は恐慌寸前かといわれるほど深刻で景気対策は一刻も余裕がない状態であった。 国際的にはイラク戦争、イラン核開発問題、北朝鮮核・ミサイル問題など一朝一夕に解決できない問題ばかり。 しかしオバマ大統領は経済に対してすばやく手を打ったあと東奔西走、すでにカナダ、メキシコの近隣諸国、欧州、ロシア主要国を訪問しすべての案件に方向を示している。
経済が一応落ち着きを取り戻し回復基調を見せ始めた今、いよいよ最大の国内案件ー医療制度改革ー手を付け始めた。 議会は夏休みに入り議員は自分の選挙区に帰ったが各地でタウンミーティングが開かれオバマの提唱する国民皆保険制度をめぐって各地で侃々がくがく、国が割れそうな騒ぎになっている。

先週CNNでオバマ大統領の最初の200日に対する成績評価が行われたが5段階の評価で言えば専門家の意見としてはB-,国民はC+といったところ。 景気の回復が思うように進まず失業者が増え続けていることで国民の評価は厳しくなっていると思われる。
私の評価は未曾有の難局を切り抜けて一応安定させているだけでAをあげたいがあまりにも早すぎて放蕩の評価はできないというのが本当の気持ち。

オバマのスピードのついていけないのは私だけではない。 アメリカ人の90%はそう思っている。 先週はメキシコ、グアダラハラでアメリカ、メキシコ、カナダの3カ国対麻薬戦争対策、今週はノース・カロライナ、ニューハンプシャーで医療保険改革のタウンミーティング。 毎日世界のどこかで対話か演説している。 オバマのやっていることは彼しか出来ないしすこし早すぎるが間違ってはいない。 ニューリーダーに期待するところは大きい。

2009年3月19日木曜日

AIG Bonus-新たな展開

Bailoutを受けたAIGのボーナス支給が全米の激怒を買っている。
3月18日の下院金融小委員会でのAIGボーナス問題に対する公聴会は全米注視の中で行われた。 世界規模の保険事業、ウォールストリートの金融事業の実態を知る上でも大変参考になった。 
公聴会に召還されたのは現CEO、Edward Libby氏。 彼は昨年9月にAIGの破綻が問題になったときにポールセン前財務長官に依頼され就任したCEOで経営再建請負人のような立場にある。 過去の巨額損失の直接の経営責任者ではない。しかし先週末418人のAIG Executivesに支払われた$165Mil.の巨額ボーナスの背景をしるトップ責任者である。
 
午前中は保険事業とAIG Operationの実態を知るための準備公聴会みたいなもので格付会社のStandard Poorはじめ4社から事情聴取が行われた。 事前にブリーフィングを行わねばならないほど保険事業の内容は複雑で理解が難しいということだ。 現実に保険のオペレーションするとなると株式や商品の取引とは違って専門的な知識とHandling (推測だがデリバティブ)が必要となる。 実務的には他人がオペレートしているポートフォリオを即座に引き継ぐことなど不可能である.  充分に内容を把握しないで引き継ぐようなことになればオペレーションの規模が巨大で世界のマーケットに広がっているだけにオペレーションの混乱と市場の崩壊を招く危険性がある。
直接オペレーションに携わっている社員と役員はこのことをよく知っている。 彼らは所詮AIGのオペレーションは縮小、解消するものと思っている。 Libbyの証言でこれらのことが明白になった。 彼らはAIGに恩義を感じたりはしない。 出来るだけ早く次の職場を見つけることに関心が向くのは当然のことだ。 この辺事情はアメリカで若干なりとも市場オペレーションを経験したものでなければ理解しがたいとおもわれる。 今回のAIGのボーナスがPerformance BonusやNon-Performance BonusでなくすべてRetention Bonus(社員の引きとめのため)であることが当事者の心境をあらわしている。この取引の仕組みをよく知っている人、また内容を知れば知るほどAIGのオペレーションが崩壊した場合の市場の混乱と金融市場崩壊を危惧したと思われる。 こが今回のボーナス事件の核心と背景である。
だからオペレーションのキイマンを引止めるため昨年と同様のボーナスを保証し今後1年の間にAIGの損失と市場のダメッジを最小限に食い止めながらオペレーションを縮小、または解消することを約束させたものと考えられる。 

ここまでは私個人として理解できる範囲であるが新たな疑問が持ち上がった。 
昨年と同額のボーナスを保証したということは昨年も同じ巨額のボーナスが支給されていたという事だ。 勿論市場・会社経営状況が違うが昨年も$165Mil.のボーナスが支給されたという事実はAIGという会社のCompensation Plan(給与制度)に実態がどのようなものなのか解明する必要があると思う。 おそらくこの業界では過去永い間にこのようなボーナスを含む報酬システムが出来上がったのであろう。AIGだけではあるまい。 Wall Streetの金融界全体が一般には理解しがたいほどの異常なCompensation Systemであるに違いない。
 
巨額の報酬を得る人はWall Streetだけでなく他にも多くいる。 Bill GatesやWarren Buffetsのように自分の資金と自己責任でオペレーションする人ならいくら稼いでも非難する人はいない。 しかし特別の専門知識をもちあわせているとしても自己責任のない人が(自分が損失を被らない人)数百万ドルの報酬を得ることは納得できない。
公聴会席上でLibby会長は$10万以上ボーナスを受け取った社員は50%返還すること同意していると述べた。 しかし基本的な問題はこれでは解決しない。 国民が疑問に思い問題にしているのは

それほど巨額の報酬を払う根拠はどこにあるのか?  (ボーナスの金額は正当か)
社員との契約があるからといって破綻する会社がそもそもボーナスを支払わねばならないのか? (契約優先)
Bailoutした金で社員にボーナスを支払う正当性はあるのか? (税金投入・救済の正当性)

倒産と失業の嵐が吹き荒れるなか国民の怒りは収まりそうにない。 下院は地元住民の考えに敏感であり怒りが頂点に達しているのを知っている。 しかも議会とAIGの間でボーナス返還交渉を開始してもAIG自体が社員と交渉しなければならないので時間のかかる交渉である。 また当然双方弁護士を通じての交渉だから事態が急速に進展するとは考えられない。
こんな中で下院の対応は早かった。
支給されたボーナスに対して90%を課税することを即日可決してしまった。 公聴会でボーナス返還の意見が出てから24時間も経っていない。 立法府の面目躍如といったところだ。
上院下院とも全員が今は非常事態であり後ろ向きな事件に長くかかわっている時期ではないと思っている。  (ただし共和党の一部はガイトスナー財務長官の辞任を要求)
公聴会が終わりどうのような形にせよボーナス返還の目途がついた時点でAIGボーナス事件そのものは山を越したような印象を受ける。 しかしメディアと国民はまだまだ納得していない。したがってこの事件はPrivate Company に対する議会と政府の基本的な関わり方に焦点を移し財務長官の引責問題に発展するかもしれない。 まだまだ政治的には一波乱ありそうだ。

2009年3月17日火曜日

倒産でも巨額のボーナス

アメリカに長い間住んでいるがこのところ最も腹立たしい日が続いている。 先日のMadoffの史上最高額の詐欺事件(ねずみ講)に続いてAIGのボーナス問題だ。 世界最大の保険会社が世界最大の負債を背負って倒産しそうなのであるがその影響があまりにも大きく米国のみならず世界の保険制度や金融制度が崩壊しそうなので潰せない。 米国政府も倒産させるわけに行かず$180Billionもの公的救済資金を注入し存続させた。
ところがその中からAIGは$165Millionものボーナスを400人のExecutivesに支払ったというのだ。  Top 7人は$400万を超え、100万ドル以上が73人、平均が40万ドルという。 金持ちが尊敬されるアメリカでもさすがにここまで破廉恥な経営者はきいたことがない。 オバマ大統領以下、ガイトナー財務長官、政府関係者はもとより議会の全員、国民全員が激怒している。  
AIGは今回の大不況の原因となった金融界一翼を担う巨大会社。 しかもリスクマネージメントを本来の業務とする保険会社。 経営の失敗で政府の資金援助を受けている巨大企業がこともあろうに巨額のボーナスを経営責任を問われるExecutivesに支給するとは開いた口がふさがらない。 本来ボーナスとは業績に付随して支払われるものと大抵の人は思っている。 政府の援助がなければボーナスの代わりに全員失業手当を受け取っていた人達なのに。
不況のあおりで失業したり倒産した経営者はこのままでは収まらない。大きな政治問題に発展しそうである。 資金を安易に提供したオバマ政権の責任を免れない。

AIGがボーナスを支給した理由が振るっている。 約束どおりボーナスを至急しないと優秀な人材が流出し再建が出来ないとなると国家にとっても損失であろうと。 もし本当に優秀で経営に長けた人材であればこれほどの失態を重ねなかっただろうと思われる。 厚顔無恥とはこのことだ。最近の金融界のトップはここ十年ほどで堅実な銀行マンタイプの経営者が追い出されブッシュ政権の自由化が招いたバブル経済の勢いで単に向こう見ずな“行けいけ”路線に乗っかった向こう見ずな経営者が実力を握っていたといわれている。 CitiBank, Merrill Lynch, Lehman Bros. AIG などがそうだ。 
日本なら債務不履行に追い込まれた経営者はひたすら謝り辞任せざるを得ないところで税金の投入で生き延びた会社の経営者が巨額のボーナスを手にするなど天と地がひっくりかえってもありえない。 単に日米の感覚の違いといって済まされる問題ではない。
オバマ政権はとんでもない問題を抱え込んでしまったものだ。

2009年3月13日金曜日

日米レイオフ事情

失業は最大の社会悪-日米レイオフ事情

不況が深刻化する中で日米とも人員削減が広がっている。 
特にアメリカでは不景気ともなればすぐにレイオフに走るのは通常の手段で今回の場合は金融、製造業、サービス業などほぼ全産業にわたり企業の大小を問わず大幅なレイオフが行われている。 失業率が26年ぶりに8.1%と示すとおり経済は急速にに縮小しつつある。 
NJは比較的ましなのか身の周りに失業者がいないのでそれほど実感はないが産業全域に不況が拡がっているのでレイオフされた人は以前のようにすぐに他の職場が見つかるわけではない。 本人は収入を閉ざされるだけでなく保険も失い生活は破壊されてしまう。 本人のみならず子供も学業を放棄しなければならないのは悲劇だ。失業の数字はAverageだが失業した人は99%を失いそうでない人との差は天と地ほどの違いが出てしまう。 失業は最大の社会悪といってもよい。
レイオフはアメリカの企業で日常茶飯事、合理化の常套手段といえどもセンシティブな問題に変わりなく下手すると訴えられるがゆえにレイオフには神経を使う。 最も一般的に行われるのがSeniority Rule といわれるもので入社年度の若い人から順番にレイオフするわけだ。 これなら基準がはっきりしていて問題は起らない。 つまり解雇に際して訴訟問題を避けるために優秀で重要なポジションにいる人材でも入社暦が若ければレイオフの対象になってしまう。 会社が伸びていて毎年採用をしている状況であれば一般的に従業員の平均年齢は若く保てるがSeniority Ruleでレイオフを繰り返していると年配の従業員ばかり残ってしまう。 現在会社存続の危機にあるGMがよい例である。 恒常的に経営困難にさられレオオフを繰り返している航空各社にも同じことが云える。 企業のリノベーションが成功するには内部にそのリノベーションを受け入れるだけの柔軟さがあればこそで、GMには経営者にも従業員にもUAWにもその柔軟さは認められない。 GMはうまく破綻(管理倒産)するしか生きる道はないだろう。 文字どうりご破算で再出発を願わなければならないのだ。

日本では派遣切りが問題となっている。 私は派遣制度そのものが悪いと思っていない。
派遣は短期的に必要な労働力を効率的に使うシステムであって採用側も応募する側にもメリットがある。 私はアメリカで採用する側にいたが初めはパートタイマーで雇って仕事をさせたあと優秀であればよく正社員として採用したものだ。 アメリカでは時間をかけて従業員を教育するような余裕もなく一般に即戦力を採用するからしばしば期待を裏切られることが多い。 一旦採用するとすぐ首を切るのは難しいから初めにパートで試してみてよければ正社員にするほうがリスクが少ないのである。 アメリカでは労働の流動性がありは働く方にとってもチャンスとチョイスが多くある。 
派遣制度でも正社員に採用されるチャンスが開けており途中入社でも能力に応じて社内で相応の給与が支給されるというのであれば問題はないはずだ。 要は会社側がいつでも外部の人間を採用できるだけの柔軟性を持ち合わせているかどうかの問題である。 単に派遣切りはいけないといるのでは日本の労働問題は一歩も前に進まないと思う。

正社員も聖域でなないと思うが今のところそれほど深刻とは思えない。 しかし不景気がもっと深刻になれば正社員の首切りも始まるだろう。 この場合はアメリカと逆で高給取りの年配者が対象になることが多い。 なぜならば日本の会社ではまだ年功序列が一般てきだから年配者ほど給料が高い。 経営効率だけ考えれば高給者をレイオフするほうが人件費を削減できる。 
永い間日本の会社はなるだけレイオフを避けできる限り雇用を維持してきた。 それは自体は悪くないが年功序列と平行して維持されてきたためきわめて労働効率はわるかった。 バブル崩壊後実力主義・実績主義が叫ばれ試行錯誤されてきたが日本の社会と日本人のセンチメントには合わないのかあまり成功例を聴かない。 労働のインフラ・労働市場の概念を政治的にも観念的にも転換しないと欧米の制度だけ真似ても実効はないだろう。
派遣制度、年功序列、定年制、医師 看護士不足、医師のインターン制度、 残業問題、移民受入れなどすべて労働にかかわる問題が山積している。ワーキングシェアーを含めて早急に労働(力)問題を考えなおさなければならない時期にきている。

2009年2月28日土曜日

早く総選挙を

日本の政治改革は早期の総選挙しかない。 麻生政権の支持率が10%内外になり国民に見放された以上政権運営は無理なことは明白だし予算案が可決されれば早急に解散するしかない。 
勿論自民党に勝ち目はない。 民主党に期待するというよりは自民党が完全に崩壊しあたらしい政治の形を作り出すことが政治改革への出発点だ。 出来るだけ多くの自民党議員、なかでも高齢議員が落選することが望ましい。
でなければ自民党の再生、ひいては日本の政治改革は難しい。
一旦民主党に政権がわたれば民主党自体も現在の何でも反対党より脱皮して現実的な政策運営党に転換するかもしれない。 さもなければまた新生自民党に政権が移ればよい。
そのときこそ日本に2大政党政治が出来たといえるのではないだろうか。

2009年2月24日火曜日

Obama: 最初の年頭教書

世間では毎日のように大企業の」大幅赤字決算発表と大量解雇の暗いニュースが続く中、年頭教書に集まった両院の議員、招待された人々の間に今まで以上にオバマ大統領への熱い期待と支持が感じられた。 これほどまでに個人的に親しみを感じさせる大統領はいない。 この大統領は何時でも国民の目線で物事を見ているためだろうか。 


大統領は冒頭に国民に対して現在の経済の深刻な危機を認識しそれを必ず克服しようと呼びかけた。 ”We will rebuild. We will recover the United States of America. We will emerge stronger than ever before."


現在の不安な社会の中で国民に自信を取り戻すよう呼びかけられるのは大統領以外にない。 まず金融危機を脱しなければ教育改革もエネルギー問題も医療保険の問題も解決しない。 オバマはなぜ大きな予算が必要か論理的かつ具体的に説明し彼のStimulus Packageの理解を求めた。

とにかく今の金融・経済危機を脱却するには国民の理解と政府に対する信頼が必要である。   大統領の演説はこの一点に絞られたと見てよい。 そしてそれが成功したのは演説後の高い支持率になって現れている。 今後も連日のごとく新しい政策を打ち出してくると思う。

同日バーナンキ連銀議長が議会の公聴会で「2009年中に経済は回復に向かうだろう」と発表しマーケットはすぐに反応し236pts 上げた。 

実態経済はすぐには反応しないだろうが早く自信を取り戻してデフレ・スパイラルに歯止めをかけてほしいものである。

2009年2月18日水曜日

学級委員長のない小学校

日経BPNetのコラムより
「学級委員長」の復活と本当の平等
ー記者は小学校教育のあり方にベーシックな疑問を投げかけているー

Quote
[鳥取県の公立小学校で20年ぶりに「学級委員長」が復活するらしい。]
[asahi.com の報道によれば「学校現場の『平等主義』」の例として、徒競走や学芸会が伝えられているし、J-CAST でも「全員が同時にゴールできるように」とあるのだ。]
[学芸会では主役は交代で…….]
Unquote

私が小学校を卒業したのは半世紀以上前、子供は海外で教育を受けたので日本の小学校で学級委員長がないことを知らなかった。 しかもそれが『平等主義』というれっきとした思想に基づいていることを。

最近の日本の政治の世界を見ればリーダーシップがなく政治が混迷を続けているのは誰もが知っている。
国民の大半は豊富な情報を持っており政治や社会に対する批判力も旺盛だ。しかし誰もリスクを負って行動しようとする人はない。
国際的な組織のトップにたって活躍できるひとは緒方貞子さん以来見かけない。 

このコラムを読んで日本社会のリーダーシップ不足はこんなところに原因があったのかと改めて日本の教育のゆがみを認識した。
人間は3人以上集まれば自然にリーダーが出来てしまう。 そのリーダーの良し悪しとグループメンバーの結束によってそのグループ(社会)の優劣が決まってゆくのです。 所詮人間は動物同様競争社会で暮らさねばならない。 しかし人間は個人にせよ社会にせよ国にせよそれぞれの個性や文化がある。 そんな相違を認識し尊重しながら生活する。 それが社会性というものでしょう。 特に小学校ではそれを教えなければならないと思います。

2009年2月15日日曜日

GMー破産以外道はなし

GMとクライスラーの再建計画提出期限が火曜日に迫っているが肝心のUAWが退職者のベネフィット削減提案を拒否して交渉が行き詰っている。

アメリカ国民は会社の内部事情に精通しており倒産すれば大量の失業者を放出しさらに経済が悪化することは認識しながらもBail Outには批判的である。
車は高い買物であり毎日使用、命を預けている。 経営が危機に瀕している会社が作っている車をいくら値引きしたからといって喜んで買うだろうか。 事実両社の車の販売は月ごとに下降線をたどっておりBail Out Planが通過したとしてしても顧客を取り戻すのは難しいのではないか。

冒頭のニュースに対して国民の反応は90%以上が破綻やむなし、いやむしろ当然と見ており最大の救済策(?)はChapter 11 (会社更生法)だとしているから遅かれ早かれ手続きが取られるだろう。 

Economy Stimulus Packageは昨日議会を通過しオバマ大統領に提出された。 大統領は火曜日にサインし早急に実施に移そうとしている。 しかし自動車産業に関する限り国民に見放されて実効は期待できず大金の無駄遣いに終わる可能性が高い。 不況の対策は出ても実態経済はまだまだ底は見えずむしろこれからもっと深刻化するかもしれない。

クリントン国務長官訪日

2月15日の読売新聞によれば
 [民主党の小沢代表は15日、和歌山市で記者団に、クリントン米国務長官との会談をいったん断った理由について、「私が別に会いたいと言って申し入れたわけではない。2月中とにかく全国を全部回りたいと思っているので、日程上、当初、彼らが言ってきた時間では遠くにいるので間に合わなかった」と説明した。]

小沢代表は自民党との大連立の話も今回のクリントン国務長官との会談の設定経緯といい本来公表してはならない舞台裏の事情をすぐにもらしてしまう。 しかも事実はともあれさも自分が仕掛けないで相手が頼んできたからあってやろうというような態度では政治家としての基本的な資質と信頼に欠けるといわざるを得ない。 このような人物が首相になり外交を展開すると思うと日本の品位を貶めるだけではなく国際的な信頼を失ってしまうだろう。

ちなみに今回の訪日はクリントン国務長官の最初の訪問国であり日本を重要視している現れであると伝えている日本のメディアがあるがそれは的外れである。 アメリカの報道ではアジア外交の重要性を説きながらも日本訪問の目的については全く触れていない。 日本を訪問することさえ触れていないメディアもある。 アジア訪問の目的は短期的にも長期的にも中国と朝鮮半島であり政治的にも経済的にも中国の重要性は増すばかりである。 

アメリカ政府は長年の経験で与党にせよ野党にせよ日本の首脳と会談しても世界をリードするような意見は聞けそうもないし“金”以外に実力はないことを充分知っているから日本訪問はいわゆる儀礼的訪問で充分と考えているだろう。これはアメリカのメディアの報道の仕方を見れば良く判る。  残念ではあるが事実である。

2009年2月11日水曜日

アメリカの議会に学べ

1月28日に下院に上程されたStimulus Packageは$8150億にトリムされて可決された。一方上院では共和党の抵抗にあい法案(絶対)可決に必要な60票の獲得に見通しがつかず採決が遅れていた。 昨日やっと共和党議員3人の賛成票を得て61-36でオバマ案に近い$8380億で可決、後は上院案と下院案をまとめて大統領に提出することになるがここでまた両院の交渉が難航した。 つまり上院が下院案に歩みよるためにはさらに幾ばくかPackageをカットしなければならない。 下院は議員数も多く選挙区の事情もさまざまでせっかく両党でまとめた法案を再検討するのは大変なエネルギーと時間を必要とする。 
自体は切迫しており何としても今週中にはStimulus Packageを成立させ大統領のサインをとり発効させねばならない厳しいスケデュールである。
すべての議員さんは出来るだけ早く法案をまとめねばならないことは承知しているので共和党の主張に配慮して総額$7890億.に圧縮し上下両院の合意が成立した。

注目すべきは法案賛成に回った3人の共和党議員- Arlen Spector(Pennsylvania) Olympia Snowe(Maine) Susan Collins (Maine) である。 
彼らの言葉を借りれば「現在は国家的危機であり今何をせねばならないかを考えたとき法案を速やかにパスさせ経済救済に全力を挙げることである」 
つまり党の基本的な考えや救済金額の大小(出費の詳細)より政策の実施が大事だということだ。 彼らの賛成がなければ法案は立ち往生するところであった。 この3人の行為に対して共和党内部からの批判、または懲罰はありえない。 批判、非難は採決前の討議で行われるべきもので討議を重ねた後の投票は個人の信ずるところに委ねられる。 
アメリカの議会で党議拘束があるのかどうか知らないがTVで議会の採決を見る限り掲示板にはいつも民主党 賛成00票 反対〇〇票、 共和党 賛成〇〇票 反対00票、 合計 賛成00票 反対00票と表示される。 つまり殆どの法案では党の方針よりも議員さん個人の考え方(または選挙区住民のMajorityの意見を参考に)で投票する。 

ここで日本の国会に向けて提案がある。 自民党でも民主党でも各議員の個人ベースでは法案ごとに賛成・反対はあるはずだ。 議員は本来自分の考えに沿って行動したいと思っている。 自民党も民主党も同時に党議拘束をはずし自由投票にすれば議員個人も各法案に対して本格的に勉強するだろうし自由で建設的な意見も出てこよう。 国会は一夜にして活性化する。 こうなると本当に政治家として見識と資質のある人が前面にでてくる。 こうした人たちの議論はかみ合って国民の納得する政治が生まれてくる。 
00村のボス政治から早く脱却して市民社会に相応しい議会民主主義を確立してほしい。

2009年2月10日火曜日

帰ってきた Helen Thomas

昨夜のオバマ大統領の記者会見で久しぶりにHelen Thomasをみた。 しかも長年そうであったように最前列の中央に席をとりオバマにアフガニスタンとパキスタンとの対応についてするどく質問をあびせた。 
Helen Thomas と聴いてすぐに誰だか判る日本人は少ないだろう。 しかし顔を覚えている人は少なくない。 彼女の顔=ホワイトハウス記者会見と誰もが思い出す。 彼女はホワイトハウス付記者団の顔なのだ。 何しろJ. F. Kennedy大統領(1961-1963)以降歴代大統領の記者会見に出席しGeorge W. Bushの2006年3月21日の記者会見まで続いた。 
その日彼女はブッシュにどうしてイラク戦争を始めたのか次のように聞いた。

“I'd like to ask you, Mr. President, your decision to invade Iraq has caused the deaths of thousands of Americans and Iraqis, wounds of Americans and Iraqis for a lifetime. Every reason given, publicly at least, has turned out not to be true. My question is: Why did you really want to go to war? From the moment you stepped into the White House, from your Cabinet—your Cabinet officers, intelligence people, and so forth—what was your real reason? You have said it wasn't oil—quest for oil, it hasn't been Israel, or anything else. What was it?”

ブッシュは“War & Terror”について語りサダムが査察を拒んだからだと真面目に答えた。 しかしそれ以降彼女はホワイトハウスの記者会見の席はなくなった。 
彼女は1920年生まれ。 この時86歳。 もう引退したと思っていた。
大統領番付記者は殆どが30‐40代の若い記者ばかりである。 昨夜の記者会見では13人の記者が質問した。 オバマのホワイトハウスは記者会見の場でさえメディアの大小にかかわらず男性も女性も老いも若きも全員が一同に集まって仕事をするという雰囲気がある。 誰にでも均等に質問の機会があり(おそらく前以てアレンジされていると思う)オバマは誰にでも丁寧に答えた。 オバマは単に記者の質問に答えるのではなくTVを通じて自分を見ている国民を常に意識している。

Helen Thomasは今年で89歳だが今なお現役で記者会見に臨むことが出来る。 何時までも仕事が出来るのはいいことだ。 昨夜の記者会見に出席、質問の機会を得たのはオバマ大統領の優しさからだろう。 

オバマ大統領 東奔西走

オバマ大統領が就任3週間で東奔西走している。 まるで大統領選挙のキャンペーンの続きのようだ。
2月9日昼は失業率が最も高いインヂアナ州Elkhartでタウンミーティング、夜はホワイトハウスで記者会見。 2月10日はフロリダ州Ft. Meyerでタウンミーティング。
大統領としては未曾有の経済危機に対応するため$850Bil.の包括経済救済法案(Stimulus Package)を提出し一刻も早く実施しようとしているが議会の承認が遅れている。 毎日フォーチュン500の大手企業が1000人単位のレイオフを発表、失業率は月末で7.5%に達した。 ダウはじりじり下げてついに$8,000を割り込んだ。 大統領の言葉通りStimulus Packageの実施が遅れれば遅れるほど経済は逆スパイラルにブラックホールに落ち込み回復には時間がかかる。

大統領のワシントン以外での遊説や早期の記者会見はライブで放映されすぐ後に解説者や識者のコメントが放送されるので国民を啓蒙するには最も有効な手法である。 同時に議会に早期法案可決を促すプレシャーにもなる。 彼の目的は一日でも早くStimulus Packageを通すことにある。
オバマ大統領は経済救済法案のみならず自分の政策目標がはっきりしており現状と具体策に精通しているのでいかなる質問にも具体的に答えるので一般市民にとてもわかりやすい。 それにしても彼の演説は説得力があり誰でも味方にしてしまうような魅力が感じられるのはどうしてだろうか。 またメディアの使い方が実に上手である。
Stimulus Packageが実施に移されても即翌日から経済効果が現れるわけではないので国民の理解と辛抱が大切だがオバマの演説を聴いた人は彼ならやれるとまず信頼をよせるであろう。 不況脱却にはまず人々の心理が上向きに転じることが肝心だ。 それにはイラクやアフガニスタンでの戦争を収拾しロシアやイランとの対話を始めることも必要だ。 すでに双方その兆候は見せている。 国際環境が落ち着いてエネルギーや環境問題に本格的に取り組めるようになれば経済は回復基調に転じるだろう。

2009年1月29日木曜日

「いま」日本ができること、やるべきこと

大前研一 「いま」日本ができること、やるべきこと (日経Online)

大前さんの説明は数字とグラフを駆使してわかりやすく論理明快、しかも他国(特にアメリカの)内部事情に明るい。 説得力がある。
悲観主義者の集まりの日本の中で「日本は、変わるための手段(資金や技術)をすべて内側に持っていて、外国から借りてくる必要がない。現在、こういう国は日本だけである。」という積極的な意見を持っているのはお前さんだけだ。
「変わるための手段を持っている日本が、実際にこうしたことをやるかどうかは、リーダーシップ次第である。・・・・・日本の、そして世界の救済に入ると明言してくれるリーダーの出現を、今年はいつも以上の期待を持って待つことにしよう」といわれるがここが問題である。 
待っていても良いリーダーは現れそうにない。  森元総理がキングメーカーになって送り出した3人の首相の体たらくを見れば今の政治の貧困の原因がわかる。 森さんのような人が日本の政治を牛耳っているようではまだまだ日本の将来は開けない。自民党では渡辺喜美元行革大臣クラス、(もう自民党ではないが)民主党では前原誠司元民主党党首クラスがトップになって政治を行えるようにしなければならない。
全国の有権者よ 自民党でも民主党でもかまわない。具体策は次回の選挙で長老クラスを全部落選させて新人に置き換えることだ。 次回の選挙は自民党が勝つか、民主党が勝つかが問題ではない。 日本の国民が本当に国の将来を見据え自分たちの生活を守れるかどうかは国民一人ひとりの市民度による。 愚痴ばかりこぼしているときではない。 大事な一票を行使して今こそ Change! “Yes We Can”  

2009年1月23日金曜日

オバマ政権の実務と演出

オバマ政権 実務と演出

大統領就任式の翌日1月21日には上院でクリントン新国務長官が圧倒的多数で承認され1月22日には早速国務省入りしてホールに国務省の職員を集め、オバマ大統領のもとでバイデン副大統領や国防省、CIAなどと一致協力して国家の安全と国益を守るため外交を進めてゆくと基本方針を演説した。
この日の彼女は笑顔がいっぱいの晴れやかな顔をしておりロビーの階段の中段から時折ジョークを交えながら1000人を超える職員に呼びかけた。 
“I believe with all of my heart that this is a new era for America," Clinton told her colleagues. "President Obama set the tone with his inaugural address. ... Robust diplomacy and effective development are the best long-term tools for securing America's future.”
何度も言うがヒラリー・クリントンの抜きん出た頭脳、不屈の闘志、ねばり、卓越した弁舌は予備選キャンペーン中に証明済、しかも弁護士、アーカンソウ州知事夫人、クリントン大統領夫人、NY州選出上院議員と30年近く政治の中枢にいて人脈も豊富。 国際的にも最もよく知られた有能なアメリカ人女性でありいかなるポジションにつこうと右に出るものはいない。 特に内外とも厳しい情勢にあって彼女は国務長官として最適であり実績を上げるものと期待している日とは多い。
今日の圧巻は午後3時ごろオバマ大統領とバイデン副大統領が国務省を訪問しクリントン国務長官が新任のミッチェル中東問題担当大使(N.アイルランドとイングランドの紛争を仲介・調停を纏め上げた)とホルブルック・アフガニスタン・パキスタン担当公使(全国連大使、国務省次官)を紹介した。その後バイデン副大統領が外交問題の重要性を力説しミッチェル大使とホルブルック代表がそれぞれ豊富を語った。 いずれのスピーチも示唆に富み経験豊かな専門家であることを確認した。 上の5人がひな壇に並べば圧巻である。 これ以上強力な外交チームはありえない。 オバマ大統領の外交への意気込みが感じられ国務省の職員は大いに鼓舞されたことと思う。
最後に演壇に立ったオバマ大統領は一般外交演説とも取れる重要な演説を行った。 
-ブッシュ時代の一国主義を退けて国連および諸外国と協力して世界の問題解決にあたること。 
-イスラエル・パレスチナ共存を支持しそのための援助は惜しまない。 ハマスの暴力は断固退ける。 
-テロとの戦いのキーはアフガニスタンの対タリバン・アルカイダにあり早期に作戦を展開する。

これに先立ってオバマ大統領は国際的に評判の悪いキューバ・ガンタナモ基地にあるテロリスト収容所を閉鎖することを発表した。 リスクを冒して収容所を閉鎖するのはアメリカは変わろうとしているまず最初に印象ズけるためだと思われる。 イラクにせよアフガニスタンにせよ諸外国の協力なくしては解決できないし財政的にもアメリカに重い負担なっている。 まず自ら率先実行し相手を協議に引き込もうとするオバマ流のやり方だ。

いずれにせよオバマ政権は矢継ぎ早に政策を実行に移しアメリカ国民と世界にアピールしている。 心憎いばかりの演出である。 いくら良い政策を策定しても国民の理解と支持を得なければ実効は難しい。 オバマ政権は実務と演出を見事なスピードで実行している。

このようなオバマ新政権を見て麻生首相、内閣、自民党、小沢民主党はどう考えているのだろうか? 普通の人ならこうありたいと誰もが思うはずだが何が原因で彼我の差がこんなにあるのか? いずれの新聞論説やコラム、ブログの意見を見ても日本の政治の体たらくを嘆くばかりで政治を変えるためにどうすればよいのかの具体案を提唱する人はいない。
行動できる人も今は渡辺元行革大臣のみ。 これではいつまでも日本にChangeはやってこない。

2009年1月21日水曜日

ベッドミンスター 冬    (雪景色)

1月20日 オバマ大統領就任式の日 Bedminster New Jerseyは昨夜からの雪もやんで朝から薄日が差し始め時間が経つにつれて青空が広がった。 首都ワシントンの熱気はないが町の人々は静かにこの日を祝っているのが軒下や道端に星条旗が掲げられていることで伺われる。














2009年1月20日火曜日

就任式と就任演説

就任式と就任演説

1月20日 オバマ大統領就任式。 ついにこの日がやって来た。
 
2007年の9月に候補者のディベートが始まったとき バラック・オバマという1人の黒人候補がいることを知った。 初めはスピーチも滑らかでなくあまりシャープとは思わなかったし当時の私の頭では黒人候補が民主党の指名を獲得することさえ難しいと思っていた。
ほぼ1年前の2008年1月3日 最初の予備選アイオワ・コーカスで大方の予想をひっくり返して1位に躍り出て一挙に注目を集めた。 アイオワは中北部の農業が中心の白人州である。 保守的な田舎の州というイメージがある。 そこで1位になった理由はどこにあるのだろうか。
コーカスとは少人数の集会でペーパーの投票ではない。 各候補者の支持者がお互いに支持する理由を話し合って自分の支持者を絞ってゆく。 (詳しい選挙の方法はここでは省くが)対話という民主主義の原点がここにある。 
オバマは人柄が穏やかで一方的に自己主張するタイプではない。 対話が得意だ。 直接話を聞いたわけではないが自然に引き込まれる人間的魅力があるといわれている。 町から町へオバマは対話を繰り返した。 権威を振りかざすことなく他人に耳を傾ける。 若者に人気があるのは当然だろう。 その若者たちが地道に草の根運動を展開した。 今までにない大統領候補だった。 予備選で1位になっても驕らず負けても変わりなく選挙民に媚びずあくまで信条を訴え挑発に乗らず中傷にめげず常に落ち着きぶれない候補だった。 ついに大統領の地位を勝ち取った11月4日、誰もが歴史的瞬間だと歓喜の渦に巻き込まれていた時さえオバマは一人厳しい顔をしていた。 大統領になると決まった瞬間から厳しい試練が待っていることを自覚しているような雰囲気であった。 しかし”Change”は言葉だけでなく本物になったのだ。
 
昨日の氷雨がすっかり上がって気温は零下ながら朝から冬の空は晴れわたった。 早朝から歴史的な大統領就任式を自分の目で確かめようとする人が集まってくる。 宣誓式が始まる2時間前にはCapital Hill(国会議事堂)まえのThe National Mall広場からLincoln Memorial広場にかけてすでに200万人の人で埋め尽くされた。 

宣誓式が終わると注目の就任演説が始まった。 
演説はレトリックもフレーズもなく予想されていたリンカーンやM.L.キング牧師の演説からの引用もなかった。
理想よりも現実に目を向け精神よりの方針を説いた。 就任演説というよりも施政方針演説(State of Union Address)に近かった。 現在の経済への対応や世界情勢への対応は一刻の猶予もない。 経済の厳しさを国民と共に理解し克服する。他国とは文化や宗教の違いを理解して対話する。しかしテロなど破壊主義者とは対決する。 特にイスラム世界に直接メッセージを送ったのには驚いた。 それだけ本気でイラク・アフガニスタン問題とパレスチナ問題を解決しようという姿勢の表れか?- 現実主義のオバマ方針を如実に表現した演説だと思う。

「さあ明日から一気に仕事にかかるぞ!」といわんばかりの明確に方向を示した演説であった。

2009年1月18日日曜日

オバマさんの手紙

オバマ大統領就任式が後2日に迫った。 ワシントンではすでに就任式の祝賀行事が始まっている。

本屋やスタンドではオバマの関連の雑誌がぎっしり並べられ雑誌の表紙はオバマさんの顔ばかり。 
全米どこでも日曜版の新聞におり込まれている”Parade"という小さな雑誌がある。わずか24ページの雑誌だが発行部数は全米No.1 紙面の半分はコマーシャル・広告で占められているけれどその時々のトピックやスター・有名人のゴシップとニュース、料理、健康、漫画、クイズと盛りだくさんで結構見るところがある。 コラムは短いので読みやすい。

今日の”Parade"の表紙はオバマ一家、”What I Want For You-And Every Child" -A Letter to My Daughters- By President-Elect Barack Obama
このコラムはParade用に書かれたのもと思うが一読に値する。 

<拙訳>
Dear Malia and Sasha

この2年間、二人とも選挙キャンペーンに参加したりピクニック、パレード、収穫祭に行ったり親としては進められないいろんなジャンク・フッドを食べたりして楽しかったと思います。

2年の長い間私は家を空けていたから穴埋め新しい子犬をかってあげるのではありません。 私自身も君たちに合えずに寂しい思いをしたのです。 

今日は君たちになぜ私が家族一緒に次のたびに出かけるのか説明しようと思う。
私が若い頃は世界は私のためにあって私の道を進んで成功しほしいものを手に入れる、それが人生だと思っていました。 ところが君たち2人が私の世界に現れたとき君たちの好奇心、いたずら、笑顔などすべてが私の心を満たし私の人生を明るくしてくれた。 同時に私の大いなる願望などたいして重要ではないと思うようになりました。 私の人生の喜びは君たちの中にあることに気がついたのです。 私が君たちの幸福と満足を保証できなければ私の人生は意味がない。 同じようにこの国のすべての子供にもできなければと思った。 これが私が大統領選挙に出た理由だよ。

私はすべての子供が身の回りにある世界の不思議に挑戦しやる気をだし知識を吸収できる学校に通うことを希望しています。 そして家が貧しくとも大学に進学することを希望しています。 いい給料が支払われ健康保険などの福祉厚生がととのっているいい仕事、子供たちと過ごせる余裕と品位のある余生が送れるような仕事を得ることを希望しています。 制約を取り除いて新しい技術と開発を推し進め生活の改善とクリーンで安全な地球を実現する。 また人種、宗教、性別、地域ヲ乗り越えて最善状況にもって行きたい。 
時には国を守るため若者を戦場や危険な地域に送らなければならない。 しかしそのときは正当な理由がなければならず平和的な解決を目指して最大の努力をはらい兵士の安全を確保します。 私はすべての子供たちにこの兵士たちを祝福するのは無償ではないことを知ってほしいと思う。 偉大な国家の市民になることは大きな責任を伴うことを知ってほしい。
私が貴方と同じ齢のころ君たちのおばあさんは(アメリカ)独立宣言のオープニングの部分を読んで平等を掲げてデモ行進している人々は200年前にここに書いてあることを信じて行動しているのだと教えてくれました。 おばあさんはアメリカが偉大なのは完全であるからではなく常に良くなるように努力しているからだと、まだ達成されていない仕事が私たちに引き継がれ私たちの子供に手渡され年代を追って理想のアメリカに近づいていると。
君たちが間違いを正しながらこの仕事を引き継ぎまた他の人にもチャンスを与える。 それは私たちの家族がその恩恵を授かったからではなく君たち自身の(人間としての)義務なのです。 そして自分自身がより大きな自分になるためにチャレンジする時に必要になるでしょう。 
君たち二人には限りない夢と目標を持ち、この世界に思いやりとを持って成長することを期待しています。 そしてすべての子供たちが同じように学び夢見ることが出来る、また豊かに生活できることを希望しています。 これが私の家族をこの冒険に連れてきた理由です。
私はあなた方をとても誇りに思っています。 私は君たちが思っている以上に君たちを愛しています。 私は君たちがじっと辛抱したり、すましていたり、優雅に振舞っていたり、冗談を言い合ったりしているのをみていると毎日が楽しくなります。 さあホワイトハウスでの新しい生活に入りましょう。
<拙訳終わり>

オバマ大統領の就任演説を聴けるのは明後日だが就任演説を聴かずとも上記の手紙を読めばオバマさんの意図するところは充分にれ理解できるしどの親にしても気持ちは同じこと。 
アメリカ国民がオバマ新大統領を支持してアメリカ再建に取り組むことを願ってやまない。

2009年1月15日木曜日

クリントン新国務長官

1月20日に発足するオバマ新政権で最も重要な閣僚は国務長官と財務長官だろう。
1月13日に新国務長官に指名されたヒラリー・クリントン承認のための公聴会が上院外交委員会で行われた。 
大統領予備選では民主党の指名獲得をめぐって熾烈な選挙戦を戦ったオバマ大統領のライバルであり未だに強い影響力を持つビル・クリントン元大統領夫人であること。 しかも次期上院院内総務の候補にも挙がっている実力派上院議員とあっては国内のみならず海外からも大いに関心を集めていた。
大方の懸念は実力上院議員であり個性の強いヒラリーがオバマ大統領の下で一元化したアメリカ外交を展開できるのだろうかというところにあった。
指名を受けてから1ヶ月が経つがイラク&アフガン戦争以外にもイスラエル・パレスチナ紛争、ロシア・ウクライナ石油輸送問題、アフリカ各地の民族闘争・内乱など国際情勢が厳しさを増している。 この間ヒラリーは殆ど姿をみせず発言もしなかった。
夫ビル・クリントンがクリントン・ライブラリーに集めた海外からの巨額の寄付金が夫人であるヒラリー国務長官の職務に影響を及ぼさないかという懸念はあったもののほぼ国務長官就任は確実視されていたのでおそらく新スタッフの採用と国務省の運営構想に時間を費やしていたに違いない。 また日々変化する国際情勢を踏まえながら多くの国務省スタッフからブリーフィングを受けなければならない時期だ。 公聴会に現れたヒラリーの顔は額にしわをよせ目の下に隈をつくっていかにも疲れた様子だった。 国務長官はスタート前から激務である。 
新外交委員長J. Kelly以下各委員は彼女の基本的な外交姿勢やイラク・アフガニスタン・イラン・北朝鮮に対する対処の仕方など広範囲にわたって突っ込んだ質問をしていたものの総じて友好ムードで外交委員会としても党派を超えて政権と国務長官をサポートしようという姿勢が感じられた。
ヒラリーは外交政策の基本姿勢と具体的な対処は大統領と国防省との関係もあって明確な答は避けていたが大統領や補佐官、国防長官との連携を強調して外交政策の一本化を確信させるに充分であった。 国務長官の自身のアプローチの仕方についてはさすがに雄弁さを取り戻し持論を展開した。 外交は本来地味な仕事であって常に国益を前提に発言、行動しなければならない。 表に立つことが好きで個性の強いヒラリーがオバマ大統領の考えに沿って柔軟な外交を展開できるかどうか心配する向きが多いが私は目標がはっきりしているかぎりヒラリーは有能さを発揮すると思う。 ヒラリーはイデオロギー色が薄くブッシュJr.のような自由主義、カーターのような人権重視を押し付けることはしないだろう。国益重視の実務外交に徹することが今のアメリカに最も大事で外国にも判りやすいのだ。 ヒラリーは適任だと思う。

2009年1月8日木曜日

オバマ新大統領の本質

オバマ新大統領の本質を右か左かで論ずることは正しいアプローチではない。 彼の本質は原点(サウスサイド・シカゴでの活動)がコミュニティ・オーガナイザーであったように問題を国民の理解と協調によって解決しようとする基本姿勢があるので選挙中にも“対決よりも融和”を訴えてきた。 したがって組閣にあたっては政権移行を円滑に行い新政策実行に最も適した最大公約数を選んだわけでイデオロギー的な考えは非常に薄い。 勿論人種・性別のバランスや大統領選での論功行賞的な面も含まれてはいるがおおむね実務内閣といっても良いと思う。

国内/世界の経済問題、イラク・アフガン戦争・中東紛争、教育、エネルギー、移民などかってないほど根深い問題が山積しているがアメリカ国民の理解と意識変化なくして問題は解決しない。 オバマ新大統領が目指すのは政権の“チェンジ”だけでなくアメリカの“方向転換”と国民意識の“チェンジ”だからアメリカは当然内向きになるだろう。
アメリカがイラクから手を引いたあと世界はもっと多極化し混乱と紛争が多発すると思われる。日本は経済が比較的ましだからといって無為無策で過ごしていると混沌の世界情勢の中でますます地盤沈下してゆくであろう。