2010年2月14日日曜日

続・影が薄い日本

前コラムで「良しにつけ悪しきにつけ日本の影が薄い。---アメリカでのTV露出度は0.1%以下」であると書いた。 特に政治・外交問題を頭においての私見を述べたわけだがスポーツに関しても同じことが言える。 

スポーツは強ければ意識するとせざるとにかかわらず注目されるし記録に残る。 当然のことながらTVのカメラが追いかけるのでTVでの露出度は多くなる。

昨日からバンクーバー冬季オリンピックが始まった。 しかし私自身はなんだか盛り上がらず開会式さえ見ていない。 前回までのオリンピックではたとえ日本が活躍を期待されていない種目でも熱心に見たものだ。  
今回はフィギュアスケートのようにメダルが期待できる種目もあるがそれ以外は入賞(6位以内)が精一杯ではないだろうか。 メダルの数を数えるのは好きではないけれど敢えて言うなら今回はせいぜい2個までと思う。 がんばって5回目の出場を果たす岡崎朋美選手は素晴らしいし尊敬に値する。 しかしスピードスケートのように体力と瞬発力を要する種目に未だに若い選手が追いつき追い越せないことが問題である。 

スポーツは人間の闘争本能を刺激する。 結果は勝者と敗者を決め順位を付ける。勝者は名誉と賞賛(賞金)を手にする。  記録は塗り替えられるためにある。選手はそれを目標にあらゆる努力を惜しまない。 スポーツは次々に若い選手が現れ記録を塗り替えていくことで若い世代を刺激し裾野を広げることができる。

最近の日本には何かが足りない。 闘争心不足? 決定打不足? スタミナ不足? 日本はもともと農耕民族、その上草食系が増えた!平和と飽食が続けば戦う必要性はなくなる。 だから単一保守政党が半世紀もの間政権を担ってきた。 それが今回崩れてしまった。 平和と飽食ももはやこれまでということか。 小泉内閣が本来あるべき競争原理を取り入れようとした。 平和慣れした政治家も国民も理屈は判っても痛みをこらえることができない。 バブルのアブク銭が未だに忘れられず努力して果実を得ることを忘れてしまったかのようである。 

それがスポーツに現れる。 スポーツの成績は国の勢いが現れる。
サッカー東アジア選手権でも韓国に逆転負けした。 対韓国のみならず決め手を欠く同じパターンで負けている。 オリンピックでは夏冬ともメダルの数は韓国が上。 これは経済面でも顕著に現れている。 アメリカのマーケットはビジネスのオリンピックだ。
家電製品は韓国メーカーが価格、数量、品質でも凌駕しており主役であることは間違いない。 
GDPが世界第2位などあまり意味がない。 中国に抜かれるのは時間の問題。 個人の生産性、所得水準と生活の満足度では随分前からBクラスに転落しているのだ。
行政改革、財政改革、増税など今すぐ始めなければならないことを先送りしているようではオリンピックのメダル数もサッカーW杯の決勝リーグ進出も期待できない。 

2010年2月11日木曜日

影が薄い日本

最近善しに悪しきにつけ日本の影が薄い。 以前にも書いたがアメリカでの日本のTV露出度は0.1%以下、つまりほとんど話題にならないということだ。
 
実はこのコラムを書き始めたのが1月の終わり。ハイチ大地震の被災の規模がようやくはっきりしてきた頃である。 TV報道の50%はハイチの災害ト救済の模様を伝えていた。 
アメリカ、旧宗主国フランス、中国などは地震発生後3日ほどの間に救助隊が活動を始めた。
日本は遅ればせながら2週間ほどして調査団を派遣することが決まった。
一方トヨタのリコール問題が大きくクロースアップされるようになってきた。だから冒頭に書いた「アメリカでの日本のTV露出度は0.1%以下」というのはウソになった。

日本国内でのニュースは連日民主党・小沢幹事長の政治献金疑惑と鳩山首相の政治資金問題をめぐっての後ろ向きの話ばかり。 沖縄基地移転問題、または日米安全保障問題もアメリカから見れば日本の政権交代による日本の国内問題であり大きな国際問題とは見ていない。 

初めから鳩山首相の口の軽さと取り上げる話題の飛躍さからして面と向かって切り込むことさえ難しい。 また閣内不一致、内閣と与党のすれ違いなどからしてメディアとしてもまともにニュースをフォローアップできないだろう。
日本の政治家の発言がまったく取り上げられないのははっきりものを云わないし(隠しているのか何を云いたいのかがわからない)自己の理念を明確に表現できないからかも知れない。 鳩山首相の演説をたどると「25%のCo2削減」とか「アジア共同体構想」または「人の命を救いたい」などとまるで中学生の弁論大会のようなにただ自分の理想を述べているだけで現実味が無い。 われわれが聞きたいのは(外国の首脳やメディアも同じだろう)今差し迫っている問題についてどう考えどう行動するのかという考えである。 残念ながら鳩山首相は現実問題については未決定、先送り専門のようだ。

阿部、福田、麻生と過去3代の自民党内閣がいずれも短命に終わりいよいよ満を持して民主党鳩山内閣登場となったが基本的には代わり映えがせず日本の政治は政党が変わっても同じ線上にある。 期待が大きかっただけに失望も大きい。

戦後主張することと戦うことと退けてきた教育方針のもとでは対話し議論する基本的な人間の能力を育てることができなかった。 その付けが今社会全体にでてきていのではないか。

アメリカの子供は3-4歳になれば判らないことは質問し自分の考えは主張し考えが異なれば議論する。 いささかオーバーな表現に聞こえようが語彙は少なくてもちゃんと対話の基本に沿っている。 親が常に壮であるから親のまねをしているのだろう。 

黙っていては相手は判らないし同意したととられて相手の主張どおりにことが運ばれてしまう。 国際的におとなしいのは美徳ではない。 黙っているのは不気味でコミュニケーションを阻害する。 まして政治家は弁舌が主たる道具である。 現実に根ざした政治理念に基づき政策を雄弁に語らねばならない。 最近では小泉元首相を除いて自信をもってしゃべれる首相がいない。 日本の政治がアメリカのメディアに登場しないのは当然のことである。

機会あるごとに世界各地で首脳会談が行われるが首脳会談は政策を論議する場ではなく国のトップがお互いに人物を見極め信頼関係を構築する場所である。 これがいざというときに役立つ。 国際危機(戦争も含む)を回避し国際協力を推進する基になる。

西郷隆盛&勝海舟、 ルーズベルト&チャーチル、 レーガン&サッチャー&ゴルバチョフなどの例を見れば敵対していても協力し危機を回避できる。

今の日本にそんな政治家がいるのだろうか。 またそんな政治家を首相として押し出せる力があるのだろうか。 国というのは財政的経済的な無駄遣いだけでなく国民の知識・知能・エネルギー・勇気を無駄にしている間に次第に力を失い衰退してゆくものである。 

2010年2月9日火曜日

Avator - Academy Award Nominee

評判の映画「Avator]を見に行った。 もともとSFや怪獣ものには興味がなかったが何しろ最新のテクノロジー・3Dの初めての大作であり見るだけでも価値はあるだろうと思ったからだ。 その上にAcademy Awardの9部門にノミネートされてるというから一応は評価されている。
結論から言えばこの映画は3Dを見せるために作られた映画であり動物や樹の枝、飛んでいるクラゲのような虫のような生き物が立体イメージとして画面から飛び出て2-3メートル先にあるような映像が創られている。 しかしこの手の立体映画は昔どこかで見たような記憶がありその時もそのためのメガネをかけたものである。 確かに精度は上がっていると思うもののその技術は目新しいものではないだろう。

この映画にはオリジナリティが何もない。 ストリーも映像も何一つ感動するところがない。 SF宇宙物、 ジュラシックパーク系の怪獣物、 インデアンが近代兵器になすすべがない西部劇、 宮崎駿風のアニメの世界などの寄せ集めの感じ。
前評判や興行成績の割には期待はずれであった。 
映画には何らかのスリル、緊張、感動が必要ではないか。 それが新しい種類のものであればなお良い。

2010年2月4日木曜日

朝青龍の引退

横砂審議会が朝青龍に引退勧告書を送ることを決定した。これはあて先が間違っている。 引退勧告書は民主党の鳩山首相と小沢幹事長に送るべきだ。

朝青龍は貴乃花が引退した後の相撲界を盛り上げた最大の功労者ではないか。 彼の明るい性格と奔放な行動は土俵以外でも常に話題を提供した。 
彼のキャラクターからして時には反抗的または突っ張ったように受け取られ憎まれ役になったかも知れないがそれが彼のキャラクターである。 いくら相撲が国技とは言え横綱の「品位」とやらにこだわり型にはまった人間しか認めないのはいささか時代がかった権威主義といわざるを得ない。
あえて言わせてもらえば歌舞伎だって国芸である。 七之助が酔って朝青龍以上の暴力事件を起こした時でも謹慎にはなったが追放にはならなかった。

相撲だって人気商売。 土俵の中だけでなく一般社会でも楽しい話題を提供してくれる朝青龍のようなタレント性のある人間が居るほうが面白い。 朝青龍は相撲界の巨大な広告等みたいな人だった。 朝青龍を失った相撲界は経済的にも大きな損失だ。

相撲界に限らず日本の社会は形にこだわり将来のビジネスチャンスまでつぶしてしまう悲しき性格がある。 日本の社会全体がもっとFlexibilityとOpennessを持たないと将来の展望は開けないのではないかと危惧している。

2010年2月3日水曜日

トヨタたたきが始まった

トヨタのリコール問題が激しさを増してきた。

リコールは毎年どこかのメーカーで起こることであり珍しいことではない。 しかし今回のリコール騒ぎは尋常ではない。 たいていのリコールはメーカーのアナウンスがあればそれが最終段階ということであるが今回はリコールが発表されたあとTVで取り上げられる頻度が増しリコール車の緊急安全対策から議会への招問、挙句の果てにラフード運輸長官の「リコール車は問題解決まで運転するべきではない」との異常発言(後で取り消し)まで飛び出しヒートアップするばかりである。

問題が直接命にかかわるブレーキにありそれまでに他の原因ですでに大掛かりなリコールをアナウンスしたばかりでいっそう問題を大きくしてしまった。 トヨタが問題をどの程度シアリアスに受け止め早急に対処したのかわからないが時節柄政治的な背景があってトヨタをたたくと同時に日本バッシングしているのではないかと勘ぐっている。

昨日発表された自動車販売台数でもわかるようにFordは順調に販売を伸ばし会社更生法のGMも10%以上販売が伸びて順調に業績回復の兆候が見られる。 アメリカ政府としては巨額の資金をつぎ込んだ自動車産業には是が非でもがんばってもらわねばならない。 自動車産業がうまく行かねばミシガン、オハイオ、イリノイなどで失業率は改善しないし全体でこれ以上失業率が悪化するとオバマ政権の命取りになりかねない。 今年11月には中間選挙を控えておりオバマ人気だけでは民主党は議席を維持できない。 トヨタの失策はアメリカ自動車メーカーが回復する絶好のチャンスであるばかりでなくアメリカ政府にとっても渡りに船である。 アメリカは国益に沿うとみれば官民一体でプレイする国である。 トヨタがリーコール対策を完全にやりとげたとしても今回失った信用とマーケットシェアーを取り戻すのは容易な事ではないだろう。 トヨタの業績が落ち込むことはまず確実である。  トヨタの落ち込みはトヨタだけの問題に止まらず日本全体に大きくボディブローのように効いてくるのではないだろうか。 Made in Japan の神話崩壊の始まりにならなければよいが。

まったく憶測の域を出ないけれども普天間基地問題の先送り、鳩山首相の煮え切らない発言と夢物語のような政治理念(外国ではまともに取り上げられない)に苛立っているアメリカが必要以上に(トヨタの失策を利用して)トヨタたたきをしているように思うのは考えすぎだろうか。