2010年2月11日木曜日

影が薄い日本

最近善しに悪しきにつけ日本の影が薄い。 以前にも書いたがアメリカでの日本のTV露出度は0.1%以下、つまりほとんど話題にならないということだ。
 
実はこのコラムを書き始めたのが1月の終わり。ハイチ大地震の被災の規模がようやくはっきりしてきた頃である。 TV報道の50%はハイチの災害ト救済の模様を伝えていた。 
アメリカ、旧宗主国フランス、中国などは地震発生後3日ほどの間に救助隊が活動を始めた。
日本は遅ればせながら2週間ほどして調査団を派遣することが決まった。
一方トヨタのリコール問題が大きくクロースアップされるようになってきた。だから冒頭に書いた「アメリカでの日本のTV露出度は0.1%以下」というのはウソになった。

日本国内でのニュースは連日民主党・小沢幹事長の政治献金疑惑と鳩山首相の政治資金問題をめぐっての後ろ向きの話ばかり。 沖縄基地移転問題、または日米安全保障問題もアメリカから見れば日本の政権交代による日本の国内問題であり大きな国際問題とは見ていない。 

初めから鳩山首相の口の軽さと取り上げる話題の飛躍さからして面と向かって切り込むことさえ難しい。 また閣内不一致、内閣と与党のすれ違いなどからしてメディアとしてもまともにニュースをフォローアップできないだろう。
日本の政治家の発言がまったく取り上げられないのははっきりものを云わないし(隠しているのか何を云いたいのかがわからない)自己の理念を明確に表現できないからかも知れない。 鳩山首相の演説をたどると「25%のCo2削減」とか「アジア共同体構想」または「人の命を救いたい」などとまるで中学生の弁論大会のようなにただ自分の理想を述べているだけで現実味が無い。 われわれが聞きたいのは(外国の首脳やメディアも同じだろう)今差し迫っている問題についてどう考えどう行動するのかという考えである。 残念ながら鳩山首相は現実問題については未決定、先送り専門のようだ。

阿部、福田、麻生と過去3代の自民党内閣がいずれも短命に終わりいよいよ満を持して民主党鳩山内閣登場となったが基本的には代わり映えがせず日本の政治は政党が変わっても同じ線上にある。 期待が大きかっただけに失望も大きい。

戦後主張することと戦うことと退けてきた教育方針のもとでは対話し議論する基本的な人間の能力を育てることができなかった。 その付けが今社会全体にでてきていのではないか。

アメリカの子供は3-4歳になれば判らないことは質問し自分の考えは主張し考えが異なれば議論する。 いささかオーバーな表現に聞こえようが語彙は少なくてもちゃんと対話の基本に沿っている。 親が常に壮であるから親のまねをしているのだろう。 

黙っていては相手は判らないし同意したととられて相手の主張どおりにことが運ばれてしまう。 国際的におとなしいのは美徳ではない。 黙っているのは不気味でコミュニケーションを阻害する。 まして政治家は弁舌が主たる道具である。 現実に根ざした政治理念に基づき政策を雄弁に語らねばならない。 最近では小泉元首相を除いて自信をもってしゃべれる首相がいない。 日本の政治がアメリカのメディアに登場しないのは当然のことである。

機会あるごとに世界各地で首脳会談が行われるが首脳会談は政策を論議する場ではなく国のトップがお互いに人物を見極め信頼関係を構築する場所である。 これがいざというときに役立つ。 国際危機(戦争も含む)を回避し国際協力を推進する基になる。

西郷隆盛&勝海舟、 ルーズベルト&チャーチル、 レーガン&サッチャー&ゴルバチョフなどの例を見れば敵対していても協力し危機を回避できる。

今の日本にそんな政治家がいるのだろうか。 またそんな政治家を首相として押し出せる力があるのだろうか。 国というのは財政的経済的な無駄遣いだけでなく国民の知識・知能・エネルギー・勇気を無駄にしている間に次第に力を失い衰退してゆくものである。