2010年7月11日日曜日

家探し (2)

2日目の2軒目を見た頃から私の気持ちは初日の2軒目の家に90%傾いていた。 シアトルに来てから2日で家を決めるとは無謀だと思われても仕方がないが私自身はそうは思っていなかった。 シアトルに引っ越そうと思ってから3年は経過しているし過去2年の間に3回もシアトルを訪れている。 最初は観光が目的だったがあとの2回は家探しが目的だった。 初めにこれといったいい家が見つからなかったのが幸いだった。 それから1年半ほぼ毎日ウェブサイトで家を探していた。 今の不動産サイトは便利なもので家の内外s写真は勿論のこと家のサイズ(ベッドルーム、バスルーム、Total SFT, Lot Size,)やCummunityやLocal Areaのすべての情報が手に入る。 また家の写真はマップとサテライト写真から鳥瞰図(Bird Eye-200m上空)、Street Viewといって家の前に立って360度回転して見渡せるうえそこから歩いて通りを見ることができる。 2ヶ月3ヶ月とこれを繰り返していると自ずからその地域の良し悪しがわかるというものだ。 その上この18ヶ月の間にインターネットでおよそ1000軒の内から300軒の家は見ただろう。その中で気に入った家は30件あるかないかというところ。 だからシアトルに来て的を絞ってこれという家が見つかればそれに間違いはないと確信していた。

結果はそのとうりになった。 見つけた家は何かWispering......,他の家とは全くちがった味があった。 これは言葉ではなかなか表現できないフィーリングである。 Matchingの妙といったところだろうか。 あとで思いおこすだびにLuckyだったと思った。

2010年7月10日土曜日

家探し (1)

シアトルに来て最初で最大の仕事は家探しだ。 9日午後に不動産ブローカーのDaveと会う。 今年の3月に一度会っているし以前からインターネットでやり取りしていたので気心が知れている。 興味のある家もEmailで知らせて会ったのでそれを含めてHouse Huntingをアレンジしていた。 アポを頼んでいた3軒の家を見て回った。

翌日はDaveが8軒の物件を用意していたが自分の興味のある3軒に絞った。
家のサイズは3Bed Rooms,2&1/2 Bath、Attached Garge, Deck or Patio with Back Yard
(not big size) Year Build 1970-2004,  広さは2000/10000 sftで値段レンジを絞って検索するとあることはあるが気に入った家はなかなか出てこない。 たまにいい家が出てくると大抵すぐに売れてしまう。 自分が本気で買える時期に本当に気に入った家にめぐり合う確率は少ないのである。 

場所はシアトルから20マイル程北のEdomonds, Mukilteo, Lynnwoodに決めていたしDaveは私たちの好みを判っていたのでHouse Tourのための選択は比較的楽だった。

最初の家はMukilteoにあるバンガロー風のコンテンポラリー、間取りが変わっていて使い勝手が悪そう。 森のなかにあり背の高い樹木に覆われているので昼でも暗い。 全く好みではなく早急に没。 

2番目の家は本命の一つ。Daveがインターネットで100枚の写真を送ってくれていたので大方の様子わかっている。 1987年に建てられ若干古さを感じるものの(古くても古いよさがある)玄関からファミリールーム、キッチンにいたるハードウッド・フロア、 南側の庭とデッキに向いた大きなガラス窓、オープンなレイアウトに開放感がある。 前後の庭はよく手入れされた樹木と植え込みがあり裏庭のデッキから20Mほど離れたところに高さ50メートルはあろうかと思われるアメリカ松(?)の大木が数本ありこの森の景色が谷を挟んで100-200メートル先まで続く。 3ベッドルーム、 2&1/2バスの比較的小さな家だが各部屋ともクリーンでとても気に入った。 

普通の不動産屋は格下の物件から見せて後になるほど良くなるように順番を決めて見せるのだがDaveはそんな工作はしない。 効率よく見せるためにドライブ・ルートを決めてその順で見せるという。 彼には親しみはあっても押し付けがましい説明は一切なし。 とても好感が持てる人だ。

3軒目の家は1989年築、見かけはもっと新しく見えるのは玄関から入ったすぐのリビングが大きくて全体がオープンな感じがするからかもしれない。 インターネットやDaveの写真を見てシアトルに来るまではこれが一番気に入っていたが地区全体が新興住宅地、同時に開発された地域なのできれいに見えるが人工的で落ち着きに欠ける。隣近所がすべて同じ感じなのだ。

翌日の4軒目は同じ時期に同じ地域に建てられた家だが一段と大きくよく手入れされていた。 もっともきれいな家だがやはり3番目と同じでしっくりこない。

2日間の6軒を見終わる頃にはわたしの気持ちはほぼ2番目の家に傾いていた。 

2010年7月9日金曜日

引越しの旅 (17)

Chicago to Seattle No.7

Everett Station

Mukilteo Municipal Park

Edomonds Beach

午前10時ごろにEverettに着いた。 Everettはシアトル郊外北辺の町で海に面している。 つまりアメリカ大陸の西端に到着したわけだ。 私たちが家を定めようとしているのはEverettの隣町、MukilteoかEdomondsなのでほぼ目的地に到着したことになる。 ここから海沿いに南に向かって30マイル(50Km)ほど走れば終着駅、シアトルに着く。 

Puget Soundと呼ばれる大きな入海は穏やかで大きな島があちこちにみえる。 夏も盛りというのに泳いでいる人は殆ど見当たらない。 おそらくこの辺の海は寒流の影響で相当冷たいのだと思う。 

スケジュールより2時間遅れて午後12時半にシアトル駅に着いた。空気は乾いていたが思ったより暑かった。

早くホテルに入りたいがとにかく荷物が多くてタクシーには積めないので駅前のタクシー誘導係に大型Vanタクシーを呼んでもらった。 トヨタのSiennaを改造したVanタクシーにようやく積み込んでシアトルのダウンタウンを抜けて郊外のホテルに向かった。 




2010年7月8日木曜日

引越しの旅 (16)

Chicago to Seattle No. 6




3日目の朝列車は山の中をゆっくり走っていた。 夜の間にNorthern Rockyの険しいところを抜けたのか美しい高山の景色は見ることができなかった。 しかし明らかに過去1日半ほどの平坦な景色とは異なって山の合間や山肌をくねくね曲がりながら峠を越えようとしていた。 この時点で列車は予定より2時間遅れていた。 話は変わるがこのAmtrak/大陸横断列車(ニックネーム:Empire Builder)は別々に建設された3個の鉄道会社の線路と開いた時間を縫うようにして走るのでそれぞれの鉄道会社の輸送が優先され各社の都合によって大幅に遅れることがあるという。

峠を下って朝早くワシントン州に入りSpokaneに停車した。 ここでシアトル行きとポートランド(オレゴン)行きが切り離される。 Spokaneを離れるとしだいに砂漠のような赤茶けた地肌と川沿いに灌漑した畑が増えてくる。 ここからカスケード山脈までの盆地をYakima Valley という。 雨の多いシアトルとちがってここは雨が少なく気温の差が大きいので果物の栽培に適しておりリンゴ、チェリー、ブドウの大生産地である。 列車の窓から手の届きそうなところにチェリーの木があり色着いたチェリーが残っている枝も見える。またブドウ畑が山肌に大きく広がっているのも見えてワインの産地であることもうなづける。

列車はコロンビア河沿いに西に向かい(上流に向かって走る)Mt. Rainierを南に見ながらカスケード山脈を越える。 Mt. Rainierは4,392mもあり近くで見るほど大きな山だと実感する。 峠を越えると景色は一変、Dagulas Firと呼ばれる高さ50mほどある米松の森を縫って山を下る。 山の東(砂漠)と西(温帯雨林)でこれほど景色の違う山脈は聴いたことがない。 あと2時間ほどでシアトルに着くと思えばなんだかわくわくした気持ちになってきた。

引越しの旅 (15)

Chicago to Seattle No.5

旅の楽しさは未経験の経験と見知らぬ人との出会いである。 多くの駅に停車するが殆どの駅では駅舎もなく停車時間が限られているので食事をするのは食堂車に限られる。 夕食は予約が要り3時頃までに係員が予約を取りに回る。 食事時間は約90分。 6時と7時半の2回転。 食堂車は向かい合わせ2人ずつの4人がけのテーブルが通路を挟んで左右にあり大抵はカップルで来るので席に着くとお互いに挨拶をしてよもやま話になる。 アメリカ人は社交上手、話上手だから私たちが心配することはない。 初めの日はシアトル対岸のBain Bridge Islandから来た上品な50前後と思しき夫婦。 シカゴに遊びに行った帰りだった。 ご主人は日本人だったが日本語は一切話さなかった。 翌日はインディアナポリスから来た夫婦でバケーションでシアトルに住む姪御さんに会いに行く途中とか。 列車で旅するカップルは大抵明るく話し好きの人が多い。 長時間同じ席に、または小さな部屋に座っているのだからそんな性格の人同士でないと退屈してしまうだろう。

メニューは限られており一般のアメリカン・メニューで少し割高。 美味しいディナーを期待するのは無理だろう。

引越しの旅 (14)

Chicago to Seattle No.4



大陸横断鉄道といっても乗客全員が終点のシアトルまで行くわけではない。 特にSleeper (Compartment)以外の席には途中で降りる人、乗り込んで来る人が半分占める。 平均して乗客率は60%ぐらいだろう。 夏休みなのでキャンプのグループ、 アーミッシュの家族、などグループの客も多い。枕と毛布をもって乗り込んでくる客が多くいるのは夜は冷えることを知ってのことと思われる。 わたしは夏のこととて若干の長袖シャツと綿のパーカーを持ち込んだがこれだけでは寒さをカバーできなかった。 寒さで何度も目を覚ました、というよりも寒さであまり眠れなかった。 

夜が明けても景色は全く変わらずコーン畑に時折菜種畑が延々と続いていた。 2日目の夕方まで山らしい山は見えずただ雲だけがさえぎるものもなく大きく広く見えた。

引越しの旅 (13)

Chicago to Seattle No.3





シカゴを出て30分もすると大都市の郊外を離れ田舎町の風景になる。 さらに進むと畑の区切りだけがアクセントになるコーン畑が延々と続く。 小麦か大豆か違った作物の畑も見える。 時折田舎の駅に停車するが駅の付近には何もない。 もともとこんな旅だと思っていたので少しも退屈しない。 先のことを考えずにボーっとして乗っているのが目的みたいなものだ。 なにしろ予定では46時間、停車する駅が40以上の大陸横断各駅停車の列車の旅である。

夕方7時ごろでもまだ日は高い。 ウィスコンシン州中央あたりからラクロス河沿いに夕日を見ながらひたすらに西を向いて走る。 この河はミシシッピ河上流で河口のニューオリンズから3000kmはある。 川幅は200-300メートル?と広くはないが水量はたっぷり, どちらが川上か川下かわからないほど平らでゆっくりながれている。 初めは細長い池かと思ったほどである。

ミネアポリスに到着する頃にはすでに日は暮れていた。 何時の間にか眠ってしまってミネアポリスに停車している40分ほどの休憩には気がつかなかった。

2010年7月7日水曜日

引越しの旅 (12)

Chicago to Seattle No.2

荷物はチェックインしたが発車まで2時間以上ある。 駅舎中央の大きな広場みたいな待合室でホテルで作って持ってきたおにぎりを食べながら待つことにしたが大都市の中央駅にしては人数が格段に少ない。NYのグランド・セントラル駅やユニオン・ステーションではいつも大勢の人が行き来していかにも大都市のターミナルといった雰囲気だがここは格段に静かである。これは地下鉄などの他の路線に連絡していないせいかもしれない。 

それにしても人数がすくなすぎるので出発ゲートに行ってみるとすでに多くの人が並んでいた。 コンパートメント(申し込んだ時点ではすでに売り切れ)以外は指定席ではないので慌ててゲートの待合室に移動。 しかしゲートにはマジソン(WI)行きとあるだけでシアトル行きの表示がない。 待っている乗客に聞いても要領をえない。 不安になってゲートにいる駅員に聴いたらここだという。 乗り間違えると大変なことになるので何度も確かめると駅員に否な顔をされた。

あとで判ったことだが同じゲートから異なる目的地に向かう列車がいくらかある。シアトル行きは3番目だった。 それならそれと表示があると判るのにと文句を言いたくなったがいちいち反応していては気が休まらない。 ここで一時間以上待ってやっと乗車することになった。

私たちの席は指定席ではないが2階で見晴らしはよいはずだ。 日本の新幹線を思い出して進行方向に向かって左右どちらが良いのかふと考えた。 常に西向いて走ってゆくので左側には日が当たり暑くないだろうか? 写真を撮るには右が逆光にならずいいのではないか? なにしろ2日間座っているのだから良いほうと悪いほうがあればいいほうに座ったほうが良いに決まっている。 (こんなことを考えるのは日本人?) 

広い平原の中を走るので景色は左右どちら向いても同じ。 結果としてはどちらでもよかった。車内は冷房が行く効いていて寒かった。 座席は飛行機のビジネスクラスのようでゆったりしており背もたれを倒して寝るにも充分の余裕がある。 しかも半日もすれば空席も目立ち始め他人がこない限り移動は自由である。 

引越しの旅 (11)

Chicago to Seattle No.1

もともとNJからシアトルまで車で行くつもりであった。 旅の情報を集め息子や知り合いの話を聴いているうちにミネアポリスからスポーケン(WA)までは町らしい町は殆どなく大平原を限りなく走りその上ロッキー山脈の北部、Gracier Mountainsを越えなければならない。 私の走行予定ではこの間少なくとも5日はかかり途中の宿泊可能なホテルも限られている。 シアトルに到着したあとで住まいの設定もしなければならず車はやめることにした。  
長距離列車(Amtrak)の旅は初めてでチケットは買っていたものの全く勝手がわからない。 しかも引越荷物の一部を運んでいるので通常の旅行のように気楽に動けない。
ちなみに一人当たりチェックインできる荷物は3個(一個当たり50lbs/23kg) 持込荷物は小型スーツケースの大きさで2個、手提袋、アツァッシュケースなどカウントされない。
我々2人で大小あわせて合計12個の荷物がある。 
当日は午前中に3年間リースした車をUnion Stationにもっとも近いディーラーに引渡しリースを解約しなければならない。 いずれも初めてのことなのでリース会社とデーラーに何度も連絡し準備万端整えた。 それでも荷物の持込が自分ではできないことがわかっているので(ひとつは詰め込み過ぎて重たく自分では持ち運びできない)前日にUnion Stationにゆき荷物のCheck Inの手続、赤帽のヘルプをどうすればよいのかなどInformationに確かめにいった。 
手順はE-Ticketを正式Ticketに機械で取得する。 これをもってInformationに行き赤帽のヘルプを要請する。 赤帽は客とともに駐車している場所に行き荷物をピックアップしてチェックインカウンターまで持っていってくれる。 書いて見ると簡単だがチェックインを済ますまでが一苦労なのだ。
当日は駅のそばに駐車することは避けて道を挟んだAMT専用駐車場に止めることにした。 跡で判ったことだが駅と駐車場は地下道でつながっており電動カーとはここを通って行き来をしていた。 インフォーメーションで赤帽を呼んでもらったらプロレスラーみたいな大男が出てきてカートに乗れと云う。 カーとは4人乗りで荷物カートを引っ張っている。 2両編成10メートルはあろうかという大きさで狭く90度に曲がる狭い地下道を運転するのはベテランでなけれえばできない仕事。 これだけでも赤帽を頼んでよかったと思った。 私は地上の駅に近い場所の駐車した。 ここまでは本来カートは行くことができない。 大きすぎてエレベーターにも乗らない。 そこで赤帽はいったん車が駐車している地下駐車場に荷物カートを持って出てそれをぐるぐる回って地上駐車場に出てきた。 大きな荷物を10個積み込んで我々を乗せもと来た地下道を駅のチェックインの場所まで運んでくれたのである。 その上10人以上並んでいる客を飛び越して直接チェックインの係員に荷物のタグをもらってつけてくれそれをカウンターの計量器につぎつぎ放り込んでしまった。 並べば30分はかかっただろう。 自分では持ちきれない荷物をかたずけてくれたのでそれだけでもありがたかった。 チップに$20あげたが金額の問題ではなかった。 

2010年7月4日日曜日

引越しの旅 Day10

アメリカでJuly 4th(独立記念日)といえば花火にきまっている。
たまたまシカゴにいるのでミシガン湖畔で打ち上げられる花火を見に行くことにした。
当日は100万人の人がでかけるというので早めに、大いに早めに郊外の駅から列車に乗った。 シカゴのUnion Stationに着いたのは花火打ち上げ(9時PM)の7時間前。 さぞかし混雑していると思いきや中央コンコースは人影まばら。 地下を通って外に出ると右も左も銀行ばかり。日曜休日とあってすべてのビルが閉館、NYと全く違って人の姿が見えない。 それでも花火会場のミシガン湖をめざして15分ほど歩くと湖畔にはピクニックをかねた家族やカップルの姿がみられほっとする。 花火はMusium ParktとNavy Pierの間の2キロほどの公園のそばの湖上で打ち上げられるが公園は広くNavy Pierの長さも1キロほどあるのでスペースには余裕があり日本やNYのように場所取りをする必要はない。 花火が始まるまでは人々は湖畔で遊んだりPierで食事をしたり思い思いに時間をすごす。 しかし7時ごろになるとさすがに人手も多くなりPierや公園もにぎやかになった。
私たちは大きい人に挟まれて花火が見えないと思いスナックつきのクルーズを予約して湖上から花火をみることにした。 湖上から見ると花火だけでなくダウンタウンの夜景も見ることができると思ったからだ。 湖岸では予想していたような人並みはなく花火を見るには船上で見るのと変わりなくなんだか騙されたようなきがしたが夜景はうつくしかった。
花火は東京やNYとくらべて全く見劣り、逗子で見た花火のほうが盛大とも思えるほどおそまつだった。 

帰りはWater Taxiで運河の上をUnion Stationまで回遊したがこれが圧巻。 高層ビル(高級アパート)の明かりのともるパノラマビューのなかをボートで進んで行くと巨大なスクリーンの中に吸い込まれるような錯覚に落ち入った。 ボートが駅に着いたのは列車が出た後で最終便の12:40AMまで2時間も駅で待たねばならなかった。駅と運河の間の広場でワイフと所在なく待っていた時間は半日待っているような気がするほど時間がたつのが遅かった。 帰りは各駅停車。 夜の駅には明かりがなく駅名が見えない。 周りの客に駅名を確かめながら指折り数えて目的の駅に着いた。 夜中の2時だった。 

2010年7月3日土曜日

引越しの旅 Day9

Chicago/Lombard

シカゴ郊外のLombardのホテルに泊まっている。 9日目とあって今日は休養日。
昼は日本食に決めて近所の日本人シェフがいる日本食レストランに行ったが時間が早いためか一台も車が止まっていない。 私の感ではダメと決め付けてアメリカンレストランが並ぶショッピングエリアに行きこれまた感で一番車が並んでいるKona Grillに入った。 これが当たりで寿司が結構いける。 周りのアメリカ人も全員が寿司を食べていた。 その後数軒離れたBakeryに入りコーヒーとケーキを注文。 これが大当たり。 われわれのシカゴの評価が一段と上がったのである。

2010年7月2日金曜日

引越しの旅 Day8

Chicago

Nvay Pier
Water TaxiでMillennnium ParkからVary Pierへ






シカゴには5泊6日いる予定だが特に見る行くところを決めているわけではない。
ただ7月4日(独立記念日)の花火をミシガン湖から見るためにクルーズを予約している。 当日は100万人が湖畔の公園に集まるらしいので下見のつもりでダウンタウンとNavy Pierにゆくことにした。 本格的な夏のバケーションが始まりシカゴのダウンタウンからNavy Pierにかけて観光客でごった返している。 Pittsburg, Cleveland, からIndianapolisなど主要都市を回っても人影はまばらでなにやらさびしかったがここはNYと一緒、さすがに大都会。 快晴の夏日、Water Taxiに乗って湖からみる眺めは素晴らしかった。

2010年7月1日木曜日

引越しの旅 Day7

Indianapolis to Chicago


        コーン畑のなかに風力発電の風車が数知れず並んでいる。

        途中のRestareaで一服。

Indiana はどこまで走っても平らでコーン畑が続く。 Indianapolisより3時間北に向かって走り続けると東西の大動脈I-80/90に合流する。 I-80はNY/NJよりSan Franciscoまで、I-90はBostonよりSeattleまで大陸を横断する主要幹線道路。 はじめはNJよりSeattleまで車で移動するつもりだったが年齢と時間、引っ越した後もセットアップのためにかなりの労力を要すると思ったので車はChicagoで切り上げあとはAmtrak(鉄道)で行くことにした。
I-80に入るとさすがに車の量が違うしHighwayも入り組んでいて運転も簡単ではない。 ここでもナビが大活躍。 郊外のLombardのホテルにたどり着くことができた。