2009年9月29日火曜日

自力で飛んでいった凧

孫たちが久しぶりに遊びに来たのでかねてから用意していた凧揚げに挑戦することにした。

ワイフが一時帰国していたときに買ってきた西洋凧の構造は至って簡単、 ビニール・フィルムの本体に十字の骨組みを添えたもの。 縦の骨(支柱)はすでに組み込んであり横の骨(支柱)を両端の受け溝にはめるだけ。
中央に縦にハラビレがついていてそこにタコ糸を結びつけて出来上がり。 タコ糸は糸巻きハンドルに巻きつけてあり50mはある。 たかが凧でも充分計算して設計してあるとみえて風を受けるといとも簡単に舞い上がる。 

5歳半のK(男子)と3歳(女子)のSも簡単に飛ばせるのですぐに夢中になった。 風に乗ってぐんぐん上がる凧は大人でも楽しい。 
場所は昨年開放された新しいカウンティ・パークで中央の芝の野原にはが新宿御苑がすっぽり入るぐらいの大きさ。
周辺の散歩道をたまに人が歩いているのみで野原には誰もいないので凧揚げで誰に気兼ねすることもない。

この日は曇りだったが適当な風が吹いていて凧揚げには最適。  Kは時折手を離して凧が飛んでゆくのを追っかけて捕まえるのが面白くて広い野原を駆け回っていた。
凧は手を離すと風邪に流されるが10秒ー20秒の間に20-30m先に落ちてくる。
この広場は周囲は全部林に囲まれており北西に小高い丘があり南側平坦、西は小高い台地、全体としては緩やかな鉢の底(Basin)になっている。 この日は北西の丘に向かって緩やかな南風が吹いていた。 
Kはタコ糸を巻いたハンドルを放しては追っかけて遊んでいたがそのうち凧がなかなか落ちてこなくなった。丘の麓まで追っかけていったが凧はゆらゆらと風に乗って高度を上げるばかり一向に落ちてくる気配がない。
凧には20mほどタコ糸を垂らし一番下にはを糸巻きのハンドルがついている。 凧は自動操縦するはずがないのでそのうちに落ちてくると見ていたが丘の斜面にトンドン高度を上げ100m以上の上空を北西に向けて飛んでゆく。 まるでトンビが風に乗って舞い上がっていくように高度を上げ丘の頂上を越え曇り空のかなたに消えてしまった。

広場から丘の上にかけては確かに上昇気流が発生していただろうがドンビにせよグライダーにせよ風をうまくとらえて浮揚力をつけなければ高度を上げることは出来ないはずだ。 キツネにつままれたような現象だった。 Kは気に入った凧が飛んでいってしまったので泣きじゃくっていたが今度日本に行ってまたかってくるよと説得したら泣き止んだ。

しかし糸の切れた凧が空高く飛んでいったという話をきいたことがないのでどうして凧自体が飛べるのか考えてみた。 凧の構造と当時の状況は下記の通り。
  1. 凧の縦の中心線にそってヒレがついている。 これが方向舵の役目をする。
  2. ヒレの上から3分の1のところに糸穴がありここにタコ糸をつける。 凧に適当な傾斜をつけ斜め上に上昇する。
  3. タコ糸が20mほどついたままで端に糸巻きがついている。 

  • 凧はタコ糸と糸巻きに比べて風を受ける面積が大きく風をはらみ先に流される。
  • タコ糸は抵抗が少ないので手前に残る。 糸巻きは重たいので常にタコ糸の下端にぶら下がりタコを引っぱっているような形になる。 
  • 中央のヒレは凧とタコ糸が直角になるよう作動する。 しかもタコ糸の線は風の方向と同じになるので凧は常に風を受けるように方向を調節される。
  • 勿論凧やタコ糸・糸巻きが重過ぎてもいけないし凧から伸びる糸の長さも短くても長すぎてもいけない。

結局凧は風に対して適当な角度を保ちまた風の向きに対し直角になるよう調整しながらうまく風を捕らえ続けることが出来たのだと思う。 数値的に分析すれば自然に風に乗る凧が出来るかも知れない。 実証できないが以上が私の考察である。 新しい発見は何歳になっても楽しいものだ。

2009年9月24日木曜日

鳩山首相 国連デビュー

初めての外交舞台が国連総会という大舞台に立った鳩山首相の演説は内容のあるものにもかかわらず諸外国から特に注目を浴びなかった。 しかし今後国際舞台で活躍を期待させる要素が充分伺われる点には初登板として合格点を上げてもよいのではないか。

まず終始判りやすい英語で演説を通したこと。 安全保障理事会でもイヤホーンをはずして直接オバマ大統領の司会を聴いていたこと。 直接各国首脳とコミュニケーションできるのは基本であり重要な要素である。 政治理念がはっきりしていて会話に熱意が感じられること。 鳩山首相ご夫妻が明るく社交的な性格であることは外国で受け入れやすく個人的な信頼関係を構築する上で役に立つと思われる。

鳩山・オバマ会談は内容的には平凡で外交辞令の域を出ないと思われるが初回から何も突っ込んだ議論をする必要はなくスムーズな顔合わせをすることが目的であっただろう。 重要案件は今後時間をかけて協議すればよい。

昨日の国連演説で注目されたのはリビアのカダフィ大佐が90分、 イランのアフマネディジャド大統領の約3時間(?) もともとまともな演説を期待してはいなかったが我田引水の国連&西欧諸国批判に終始、途中退場する各国代表団も相次ぎ問題解決の糸口、気配さえ見せない後ろ向きの演説でうんざり。 世界は難しいと実感した。

しかし国際政治と外交はすべても国が相手であり選り好みできない。 宗教、政治体制、文化、経済力が異なる国々を相手にして国益を損ねることなく問題を解決し諸外国と友好関係を維持するには余程の外交経験と見識を必要とするだろう。 首相、外相の個人的な資質もさることながら国民が世界の現状を認識し現実的に対処する思考力と行動力を持たねばならないと思った。

2009年9月23日水曜日

鳩山内閣スタート

鳩山内閣がスタートしてからわずか1週間、期待と不安が入り混じる中、鳩山首相初め閣僚の仕事ぶりが次第に現実味を帯びてきた。

閣僚の顔ぶれを見れば各部門の政策通、専門家をそろえた適材適所といってもよいだろう。
民主党幹部、連携与党の首脳も取り入れた内閣で意見調整さえうまく行けば政策遂行は問題なさそうだ。
大きな政策転換が実効されようとしているのでかなりの調整が必要、また摩擦が避けられないがすべての人に良い政策などありえない。 国の形を変えなければならないという大命題の元に多少の不便や苦難は辛抱しようではないか。
メディアも枝葉末節のネガティブ記事ばかりかかずに「良いものは良い」 「悪いものは悪い」とストレートな記事を書くべきだ。 メディアは国民の気分・世論形成に大きな影響力があるので建設的な記事が内閣や政治を育てることを多いに認識してほしい。

鳩山首相は22日に初めての国連総会で演説、地球温暖化に関してCo2 25%削減の思い切った公約を発表したが残念ながらアメリカのメディアの露出度はゼロ、 TVの画面に映るのはオバマ大統領以外は中国の胡錦梼主席だけ。 アメリカ全体がいかに中国を重視しているかが伺い知れる。 

しかし鳩山首相は緊張はしているが違和感はない。 若いときにスタンフォード大学に留学経験が外国首脳とのやり取りに多少なりとも余裕を持たせているのではないだろうか。
今までの首相とは一味違う感じがするの。 
いずれにせよ自然体で世界に通用する日本の首相になってほしいと大きく期待が膨らんでいる。

2009年9月21日月曜日

NY 近代美術館

金曜日のフジコ・ヘミングさんのピアノリサイタルの前に時間があるのでNY MOMA(近代美術館)に行くことにした。 

金曜日の午後4時以降はディスカウント・ストアのターゲットがスポンサーで入場無料(入口でティケットをもらう)ということで多くの人が並んでいた。 私たちもこれ幸いと並んだが人の列が53丁目の中ほどから6番街ので折り返すほど並んでいて入り口に辿りつくまで20分はかかっただろうか。 一階ロビーはさすがにごったがえしていたが2階以上の展示場では適当に込んでいるという状況であった。 前以て展示の詳細を調べていったわけっではないし時間も限られていたので一番ポピュラーな1800-1900年代の近代絵画の展示をみることにして3階まで上った。
初めの部屋からずらりとピカソの絵が並んでいた。 時折同時代の画家の絵も混じってはいるもののピカソのオンパレードといった様子。 こんなにふんだんにピカソの絵を見るのは初めてだ。 一人の画家の作品を沢山集めて展示すればその画家の真髄と変遷とが予備知識がなくとも判りやすい。 
いとも簡単に展示されている絵を解説と共にデジカメで写真をとっている人が沢山いる。
本来美術館での写真撮影は禁止のはずだがここはいたって気楽なもの。 人が多いにもかかわらず原則ルールとエチケットは守られているのはさすがである。 とにかく他人との体が触れ合うことなく展示絵画との間に好きなだけのスペースをとって各人が自分のペースで干渉できるのはありがたい。
展示絵画の殆どがNYの富豪の寄贈か、またはコレクションからの借り物で展示のテーマが決まればすぐに100-200の作品が集まるのはさすがNYである。
 
数年前に東京国立博物館で唐招提寺宝物展を見に行ったときの人の多さを思い出した。 超満員の電車に乗っているようなものでベルトコンベアーに乗ってそろりそろりと動いているようなものでゆっくり鑑賞するべくもなかった。 また東京大丸の秦始皇帝の墓・兵馬桶坑の出土品展示会は一目見るだけでも価値のある興味深い展示品ばかりであったが身動きできないほどの混雑で30分も経たぬ間に押し出されてしまった。 主催者側が少し気をきかせて入場者のコントロールをすればもう少しゆったりした鑑賞ができると思うのだが。

2009年9月19日土曜日

NY ピアノリサイタル

Fujiko Hemming ピアノ・リサイタル

昨日のフジTVでフジコ・ヘッミングさんのNY公演まえのインタビューを放映しティケットがまだあるというので急遽いくことにした。 彼女のことは日本に滞在中にNHKのTV番組で知ったが彼女が不遇な過去からカムバックして世界から注目を集めるようになった人世の機微、ピアノの演奏はもとより彼女独特のファッション、 ピアノ以外あまり注目されてはいないが彼女描く絵画は忘れられないものがあった。 ピアノの演奏はCDで聴く以外知る機会もなかったがたまたま横浜のそごう内の画廊に彼女の絵画を見たときに彼女独自の芸術を見る気がした。 マチスのような色使いと明るい雰囲気があるように思った。

リンカーンセンター アリス・タリーホールでの演奏は私の想像通りすばらしかった。 彼女は風邪を引いて体調は厳しかったようであるがそれをものともせずエネルギーいっぱいのダイナミックな演奏は音楽通でない(音楽ファンともいえない全くの素人)私でも飽きることなく楽しめた。  テクニカルなことは判らないが虫の羽ばたき寄りも早いかと思われるような小刻みな指の動き、ゆっくりとしたテンポの時はそれなりの柔らかい音、 激しいときは鍵盤が折れないかと思うほどのダイナミックな音、  20分のインターミッションを含む2時間の演奏はこれぞフジコ・ヘミングといわんばかりの個性あふれる演奏であった。 
芸術とは人生(人格と思想)と個性の表現でいい芸術に合うことが出来るのはいい人世の経験でもある。

2009年9月17日木曜日

NY 交通手段

私の住んでいるBedminster, NJからManhattan, NYまで約45マイル(75km)でNY Cityへの通勤圏のほぼ限界地域に位置する。 Midtown まで車で行けば約1時間強、ただし交通状況に大きく左右されてあまり計算できない。 電車は時間的には確実で計算できるがExpressがなくしかも3回も乗り換えなければならないので車以上に時間がかかる。 バスが42nd Streetまで直通なので時間も早く便利だがBedminsterからは朝夕通勤用の各3本しか出ておらず私のように昼にNYへ遊びに行く人間にとってはいささか不便であった。
結局殆どの場合自分で車を運転してゆくことになるのだがだんだん混雑するManhattanを運転するのが億劫になりしかも食事をしたりして帰りが夜遅くなる場合特に疲れる。
そこでもう一度アクセス可能なバス路線を調べてみると近郊各地からNY 行きの多くの路線があることがわかった。
いずれにせよバス停までは車で行かねばならないので
1. パーキング・スペースが充分で安全なパーキングがあるか。(勿論無料でなければならないー私の知る限り全部無料である)
2.充分な便数があって夜遅くても帰ることができるか。
以上が主な条件である。
Park & Rideと表示のあるところは100-200台ほど駐車可能な大規模なパブリック・パーキングで夜通し煌々とライトが点っている。 一番安全で殆どいっぱいになることはない。
しばしば大型ショッピング・モールまたは小型ショッピング・センターに隣接している。
料金は乗り場により異なるが$9.00前後、シニアとこどもは半額。
NYへ直接車で行く場合はハドソン川を渡るのに(橋かトンネル)$8.00 Manhattanでのパーキングに時間により$20.00-$40.00かかる。
バスと車の損得勘定は一人ならバス、二人ならとんとん、3人以上なら車が得ということになる。
私と家内の二人ならシニアの割引も考えればバスが安くて楽ということになったのでこれからはバスで行くことにした。 

2009年9月12日土曜日

衆議院総選挙(6)

新しい政治の芽吹き

総選挙の興奮がさめて2週間がたち民主党新政権の形つくりに関心が集まっている。

総選挙に対する私の期待は「議員の若返り」であったが結果は50%達成といったところである。 民主党では若い議員さんが大量に当選したので90%達成、一方自民党では老若押しなべて大量落選したもののベテラン議員が比例区で復活したので以前にもまして老朽化してしまった。 結果として自民党の再生がいっそう困難になってしまった感がある。 健全な二大政党政治を目指すならば数も年齢もバランスしなければならない。

しかし今回の選挙の総括の中で各地当選者の個人個人のエピソードが伝えられるにつけ日本にも新しい政治の芽吹きが感じられるのはうれしいことだ。

個々の内容は別にして前回郵政改革反対を唱えて自民党からはずされ裸で4年間の地道な活動をへて無所属で出馬、民主党も自民党も破って当選した城内実、 民主党とはいえ名ばかりで党の支援も受けず自力で保守王国の神奈川17区で当選した神山洋介、31歳で逗子の市長になり2期勤めたあと予想通り中央に打って出た神奈川4区の新鋭、長島一由、 巻土従来当選した兵庫6区の市村浩一郎、 すでに知名度は高く毛並みも良い河野太郎は自民党に吹く逆風にも臆せず動ぜず従来の政治姿勢を貫いて当選。 自民党の中では一匹狼。 民主党でも自民党でも かまわない。 国を思う若い人でなければ改革なぞ出来はしない。
彼らに共通しているのはこの国を何とかしなければならないという純粋な政治に対する情熱でありそれを支持した選挙民は候補者と共に今まで遠くにあった国の政治を自ら手にした国民である。 新しい動きが全国にひろがりつつあるのを頼もしく思う。

2009年9月9日水曜日

医療制度改革

夏休みが終わり今週火曜日(9月8日)から 新学期が始まった。 
同時に議員さんたちも休みが明けて地元からワシントンに戻って来た。 しかし議員さんたちにとって今年は地元に帰ってバケーションを取る暇もなくオバマ大統領が提案する医療制度改革をめぐって地元でのタウンミーティングで選挙民との激しい議論に明け暮れたので夏休みどころではなかっただろう。 
昨年の大統領選挙中にも医療制度改革は国内の重要課題としてあげられていたがこれほどまでに激しい議論展開にならなかった。 この議論は主に共和党が反対しているとはいえ民主党の中にも反対意見が多くあり党派間の争いというのではない。 アメリカ社会の原則論がからんでいるので議会のみならず国民の間でも大きく意見がわかれている。 医療制度は複雑に利害が絡み合っており一般的に現行の制度自体も理解するのがむずかしい。 右よりの人達から意図的に曲解された情報が流されていることもあり国民の間で誤解が生じていることも事実である。
反対派の論拠は政府がサポートする公的医療制度は
1.自由主義社会、市場への介入である。(Intervine of Free Market)
2.個人の選択の権利を奪うことになる。(Freedom of Choice)
3.巨大な財政負担を後世に残すべきでではない。(Cost of $750 Bil.)
アメリカ人の気質から上記を懸念することはもっともなことだ。

さて今夜8時から医療制度改革をめぐってオバマ大統領の両院議員総会での特別演説が行われた。 通常ならば一般教書演説(State of Union Address)が行われるときに全議員が集まるのだが今回のように途中で再度召集されるのは異常である。 これは同法案が議会で多くの反対にあい可決される見通しが立たないのでオバマ大統領が潮目を変えるべく全議員と国民に医療改革の重要性を訴えるために召集したものだ。
オバマ大統領の演説の骨子は次のようなものである。
医療改革(Health Care Reform)はT. Roothbelt以来アメリカ100年の課題であり議論はこの辺で終わりにして実行に移さねばならない。 この問題について議論するのは私が最後の大統領になりたい。 4500万人(人口の約15%)のも無保険者がいるのは先進国中アメリカだけである。 現行の医療制度が問題であるのは誰もが認識しているところであり誰も改革に反対する人はいない。 ただし多くの誤解があり私の提唱する保険制度が正しく理解されていないと思う。 
  • まず既存の保険保険には何も制限は加えないし変更もない。
  • しかし高額の保険料を引き下げるため競争導入し無駄使いを省かなければならない。
  • 現行では保険を買えない人達に易い保険を提供しすべての国民に安心と健康的な生活を保障する。
  • 国の負担は一切増やさない。

今日演説は選挙のときよりも就任演説も年頭教書の時よりも一番熱のこもった演説であった。

最近経済指標が芳しくなく失業者も増えつつある。 オバマ大統領の支持率が急落しており特に経済政策についてはApproveが40%を下回ってしまった。

ここがオバマ大統領の踏ん張りどころであり何としてでも医療改革は通さねばならないとの意気込みが感じられた。 しかし資金面での確たる裏付けもないので過半数の賛成票を得られるかは明日以降の大統領と議会での折衝にかかっている。

オバマさんの医療改革・国民皆保険に対する情熱はひょっとすると貧しい時代にお母さんを失ったことに起因しているかも知れない。

2009年9月4日金曜日

鳩山民主党政権

9月2日のコラムで森元首相の「でしゃばり」を批判したが民主党でも同じことがおきつつある。 言わずとしれた小沢一郎氏の幹事長就任である。 こちらは衆参第一党の実力幹事長となるので影響は大きいだろう。 総選挙大勝の功績が顕著とはいえ選挙はあくまで選挙に限られ政策立案、政策実行能力とは別問題。 
小沢氏が本当に民主党の成長と安定、ひいては日本の2大政党政治を臨むのであればくれぐれも自制し幅の広い政策議論と透明性を示すよう自ら範を示すべきであろう。

2009年9月3日木曜日

衆議院総選挙(5)コミュニケーション

パブリック・コミュニケーションの重要性

麻生首相の失言癖や漢字の誤読が揶揄されているが広くパブリック・コミュニケーションの見地からすれば麻生首相一人が非難されるべきではない。 安部さんだって敬語の使い方は全くデタラメで聴いているほうが恥ずかしくなったものだ。 福田さんは他人の話を辛抱強く聴いて説得するタイプではなくぶっきらぼうで対話が苦手なように見えた。 細かいことで突っ込まれると切れてしまい最後は話にならない。 本来政治家のタイプではない。

民主党と言えば小沢新幹事長は自他ともに認めるしゃべり下手。 舞台裏で工作するのが得意なパブリック・コミュニケーションとはほど遠い存在。 管代表代理は何でもアグレッシブにしゃべりすぎ。自己主張ばかりしていては議論にならない。 岡田幹事長はもう少し砕けたしゃべり方をしたほうが聴く方もリラックスする。  鳩山新首相はしばらく様子を見ることにしよう。

いずれにせよ要人の発言は日本の顔として一時一句が報道されるから国内的にも国際的にも影響は大きい。 しゃべり方の巧拙によって真意が伝わるか、好意的に受け止められるかが決まる。 しかし政治家としてスマートなしゃべりかたが出来る人は殆どいないのは真に残念である。 対外的にも日本は随分 損をしていると思う。
しゃべるのが大事な仕事であるのはメディアのキャスターや評論家、またコメディアン、落語家だけではない。 政治家は議論と演説と対話がベースの仕事である。 選挙民との対話はもとより政治家同士、対官僚などコミュニケーション技術を磨けば彼らの仕事ももっとスムーズにはかどるだろうし国民の支持も増えるだろう。 このところ東国原宮崎県知事や橋下大阪府知事がもてはやされるのは政治的手腕よりもむしろ彼らの発言による政治的インパクトが大きいからだと思われる。 つまり常に県民・国民へのインパクトを意識しての発言だからである。

選挙を通じて感じたことは日本人はもっとコミュニケーション技術(特に政治家のパブリック・コミュニケーション)を磨かねばならないと言うことだ。 

追記; Yomiuri Online 9月4日によれば文化庁の国語に関する世論調査で

”言葉で伝えるより察し合って心を通わせる事を重んじる人がこの10年で1.4倍に増え全体の3割を越えたことが判った。 控えめな言葉を好む傾向も伺え同庁は「KY(気配が読めない)といわれることをおそれ、場の雰囲気に合わせようとする風潮の表れでは」と指摘している。”

これでは日本はダメになる。 国語教育を読み書き中心から話し方中心に変えなければならない。 話し言葉の教育は社会と人間そのものにかかわる教育であるから簡単ではないが。

2009年9月2日水曜日

衆議院総選挙(4)自民党は

自民党が惨敗して古参議員が大量に落選した。 にもかかわらず比例復活でかなりのベテラン議員が帰り咲いている。 せっかくの新規出直しのいい機会であるにもかかわらず復帰したベテラン議員がまたも党の要職を占めるようなことがあれば自民党は復活再生の大きな機会を逃してしまうことになるだろう。

危惧したようにまたもや森喜朗元首相が再び後継総裁選びのまとめ役をかってかって出ようとしている。 安部ー福田ー麻生と過去3代の総理選びも森元首相がキーパーソンではなかったか。 彼はその責任を負って最初に退陣する人物であるにもかかわらずまた主役を演じようととしている。 人物を見る眼もなくただ自民党派閥の長がその器の中で派閥の論理で総裁選びを取り仕切ろうと画策する。 なくなんとなく派閥(の首領)が合意を形成して押した人が日本の代表・総理大臣に就任する。 こうした党首選び、首相選びのプロセスが自民党をダメにし日本をダメにした原因ではないだろうか。

アメリカの大統領はその地位を降りると同時に政界から引退することになっている。 日本の首相経験者も退任すれば政界を引退することにすれば政界の若返りの加速すると思われるのだが。