2008年6月28日土曜日

A. パーマーがやって来た

アーノルド・パーマーがやって来た。

隣町のFar HillsにUSGA(US Golf Association)の本部があってその中に Gold Museum併設されている。 Bobby Jones以下歴代の名選手のMemorable Things, Collectibles, アーカイブなどが展示されているがこのたびArnold Palmerの展示室ができた。 彼は現役を退いたが今も全国のゴルフ行事に顔を出し現役以上に多忙である。 この展示室の開会式にUSGAを訪れたついでにSomerset County Park Associationの招待で最近出来たNeshanic Valley GCのローカル行事に顔を見せに来ることになった。 ローカルのパブリックコースにやって来ることは滅多にないことだし近くなので見に行くことにした。




             USGA (Far Hills, New Jersey)


彼の顔を身近に見ることが出来よかったのだが多くのファンが詰めかけるとあってボディガードに守られながらステージに登場しパーマー自身はソファーに座っているだけで役員やゴルフメーカーの長々した話があって内容的にはファンとの身近な交流もなく退屈なものだった。  彼のようなゴルファーはやはりトーナメントで18番グリーンに上がってくるときがもっとも似合っている。

ここのゴルフコースはパブリックとは思えないほど素晴らしい。 正式コースが27ホール、JRコースが9ホール、 練習場としては大きなパッティンググリーンがひとつ、 ティーグランドつき練習ホールが2箇所、 バンカーつき練習グリーンが2箇所、ドライビングレンジは400ヤード以上ありプレイヤー用と練習者用とが対面して両方にある。 レンジの広さが縦20ヤード横幅100ヤードほどあり通常その一部に20打席ほどが設けられている。打席はすべて芝生であり毎日場所を変えるのでいつもフェアウエーのような真新しい芝生の上で打つことができる。 レンジボールは$5.00《40個》$8.00《65個》$10.00《110個》  $30.00払えば球は無制限、一日中練習ホールが使えるので練習する人にとっては最高の場所だ。 $100払えばプロのコーチが指導してくれる。




Neshanic Valley GC Club House Driving Range

本格的コースを回りたければWeekday $50.00 Week End $60.00 私はシニアだからそれぞれ$40.00/$60.00 WeekdayのTwilight なら$25.00で回れる。 アメリカならではのゴルフ環境だがここだけは特別にQualityがよいし混んでいない。 まだよく知られていないからだと思うが練習場はもちろんコースもWeekdayなら予約なしでいつでもOKだからゴルファーにとっては天国だ。
しかし環境に恵まれていても腕のほうはなかなか上達しない。 希望が失望に変わらないうちに何とかせねばと焦っている。

拳銃所持をめぐって

アメリカ連邦最高裁判所は6月26日個人が短銃を所持するのを禁じた首都ワシントンでの銃規制が、国民の武器所有の権利を明記した合衆国憲法修正第2条に違反している、との判決を下した。
憲法修正第2条は、「自由な国家の安全保障」のために「規律ある民兵」の必要性をうたい、「人民の武器保有の権利を侵してはならない」としている。連邦最高裁の判決は、第2条が個人の武器保有権を保証していると初めて認定したものである。 《Jun.26 読売online》

拳銃による犯罪が多発しているアメリカ社会で長い間個人の拳銃所持をめぐって論争が続いていたが法的に一応の結論が出た。 
大統領選でも常にこの問題は取り上げられ一般的に共和党候補は拳銃所持に賛成、民主党は反対であった。 特にクリントン大統領時代に銃規制は一応の成果を挙げたがアメリカ社会の中で拳銃所持は基本的な個人の権利であるという考え方が強く民主党の中でも禁止に全面的に賛成する人は少ないと思われる。
こうした考えのバックグラウンドにはアメリカ社会の政治的・思想的・社会的保守主義 (Conservatism)がある。 キリスト教をバックボーンとする精神主義・道徳観と基本的に個人の自由を優先する自由主義的思想がある。

頭ではなかなか理解しがたいことであるがアメリカの広さを見れば直感的に自ら身を守らなければならない必然性を感じることができる。 危険は人間(強盗・窃盗)だけでなく熊やコヨーテ、ガラガラヘビなど自然動物の危険も身近にあるわけで文明社会といえどもいつでもどこでも安全が保障されているわけではない。
都市から何マイルも離れた田舎で隣家も見えないとことに住んでいる人が何百万人もいる。 助けを呼んでも何十分もかかるのでは無防備のまま裸でジャングルに住んでいるようなものである。 大都市の中でも状況は変わらない。 危険度はむしろ田舎よりも大きい。 助けはすぐ来るだろうけれど犯罪は瞬時でありすぐには対応できない。 拳銃所持は自己防衛のためであるが潜在的犯罪抑止力にもなっていると思う。

30年ほど前にテキサスで家を買うときにいろいろ売家を見て回ったがたいていの家のマスター・ベッドルームのクローゼットの棚にはピストルかライフルが置いてあった。 中には自分の車の中にいつもピストルを所持しているものもいた。 これはメキシコの田舎でも常識であった。 

私は拳銃所持に賛成ではないが現実を見れば拳銃所持禁止に反対する気持ちは判る。 もし私がぽつんと離れた田舎家に住むことになれば拳銃を購入するだろう。 拳銃を使用するかどうか判らないがこれは警備保障システムを購入すると同じ
ぐらい家族を守るためには必要だと思うから。

2008年6月27日金曜日

米大統領選挙(28)日本の首相選び

ここ半年大統領予備選挙で感じたことはアメリカでは政権にせよ仕事にせよ自分で手を上げ自分の意見を主張してとりに行かねば絶対に自分にチャンスはないということである。
一方日本では自ら手を上げず黙っていて自分の意見があるのかないのか判らない福田さんが首相になった。
小泉元首相を除けば首相になる最も大きな条件は個人の政見や政策遂行能力ではなく自民党の派閥の有力者が話し合って最終まとまって支持することができる候補か否かによって決まるのだ。
もっともアメリカのように直接選挙で各党候補や大統領を決める公選ではないのである程度の話し合いでの候補選びは仕方がないと思うが今回福田首相は昔ながらの森元首相の自民党有力派閥に対する根回しにより親分衆の手打ちで誕生したわけで彼の政策能力や人物が評価されたからではない。 福田さんは「こうしなければ日本はよくならない」とか「こうしなければ世界に通用しない」とかのヴィジョンがないので政権の座についてもプロアクティブに政策を進めるわけではない。 あくまでリアクティブに軽度の対処療法しか取れないのである。
こんな人を首相に持ったのが不幸だがこの首相を誕生させたのがまた私たちが選んだ代議士先生たちだということは日本の政治がいかに貧弱で民主主義が未熟であるかということである。
日本の政治に対する不満は福田首相も民主党の小沢代表も含めて国民全員が持っているわけだがそれならどうしようという改革のヴィジョンと行動がどこにも見当たらない。 《行政改革とは次元の違う問題である》
つまり政治の問題は政治家だけの問題ではなく国民全体の問題で税金や医療費など個々の政策に不満を述べるだけでなく国民自身が政治の責任を自覚しないと何時まで経っても子供のおねだりをかわす程度の安っぽい政治しかできないのだ。 

最善の策はよくても悪くても一度民主党に政権を取らせることである。
ただし小沢、鳩山、菅の3人をはずさないと民主党も自民党と大して変わりはない。
民主党の若手議員よ、今こそ立って民主党に対する当初国民の期待を実現してほしい。
政治家自身も一人ひとりは政治家らしい政治家になりたいと思っているはずだ。

公費タクシー問題

公費タクシー問題のばかばかしさ

日本のニュースはオンラインで読んでいるが最近もっともばかばかしいニュースと思うのが公費タクシー問題である。 事の詳細と是非は論じるに当たらない。  

内容がみみっちいばかりでなく大メディアのアプローチの仕方がみみっちい。 
言ってみればこのようなことはビジネスでお得意さんに対するサービスの一端でよくあることで相手が官僚となるとメディアは庶民の感情を煽るかのごとく根ほり葉ほりこのような取り上げ方をする。 メディアによる“官僚いじめ”みたいで本当に指摘せねばならない事件の裏に隠れている問題を忘れはいないか。 

帰宅にタクシーの使用が認められているのは午前0時以降だ。 これが常態化しているということは常に遅くまで官庁ないしその事務所にいるということだ。 どのように仕事をしているかはわからない。 問題は仕事の内容と効率なのだ。 私の経験から言えば効率よく仕事をすれば90%の仕事は午後5時までに終わることができる。 世の中PCと通信がとめどなく進化し仕事の形態に変化が進んでいる。 IT化の進展でもっとも改革を進めることができるのが役所だが実際は最も遅れているのが役所である。 書類の無駄を省き仕事の流れを変えるだけで大幅な合理化が進むだろう。 この合理化を進めることによってタクシー経費の何十倍もの経費節約が可能である。

最近の日本のメディアは近視になって広い世間が見えなくなっている。 ニュースの人気取りが先行して世間の奥にあるものが見えなくなっている。 メディアは事実の報道だけに終わってほしくない。 報道の仕方とその裏にあるものを常に意識してほしい。 権力におもねってはいけないが庶民におもねってもいけない。 
メディアの映像と文字は社会の鏡であると同時にオピニオンリーダーである。 
最近の日本の閉塞感は50%以上メディアによって形成されてきたと思っているがどうだろう。
メディアの力を最大限にプラス方向に発揮してほしい。

2008年6月16日月曜日

米大統領選挙(27)アメリカの保守主義

アメリカの保守主義 (ブッシュが2回も大統領に選ばれた理由) 

民主党の大統領候補が事実上オバマに決定し大統領選挙は両党の党大会を待たずに本選モードに入っている。 しかしいまひとつ共和党・マッケーンと民主党・オバマの対立点がはっきりしない。 両党とも政治の焦点が対外的にはイラク撤退、国内的には不況対策と医療問題と絞られていて現状認識は同じで対処の仕方が違うだけ。
だから今回の選挙は政策よりも個人的な信条とか人格が投票のキーとなる可能性が大いにある。

今回の大統領選挙のテーマは両党とも当初から“Change”であった。何がChangeの対象かといえばまず8年間続いた“ブッシュ政権”だ。
民主党は勿論のこと共和党までも予備選の最初のころは“Government is Broken”とキャンペーンを展開していた。
ブッシュの支持率が史上最低で実際にブッシュ政権になってからろくなことはない。
-京都議定書の批准には積極的に反対した。
-誤った情報の元にイラク戦争を始め収拾がつかなくなっている。
-中東を混乱に貶めモスリム対キリスト教の対立を先鋭化させた。
-巨大な戦費の支出でアメリカの財政が疲弊、ドルの信用が弱まっている。
-石油安定供給を崩し石油価格の異常な高騰を招いた。 
(このコストインフレは世界中に波及し人々の生活を脅かすだろう。 本格的インフレと価格調整はこれからだ)
-国の基礎になるインフラの整備、保守および教育投資に資金が回らず体力が弱まっている
-唯一のスーパーパワーであったアメリカの力を一気に弱め世界の秩序を混乱させた。

ブッシュ大統領は高い見識や教養を感じさせることもなく演説はもっとも下手な部類に入る。
ではなぜこんな彼が1回ならず2回も大統領に選ばれたのであろうか。
この問題の背景にはアメリカのConservatism《保守主義》がある。

私がこの問題に注目したきっかけは1月初めの共和党のディベートでミット・ロムニーが“自分はMost Conservativeでマイク・ハッカビーはliberalである”と非難したことに始まる。 ハッカビーが猛烈に反論したがそのときにアメリカの保守と革新は日本で言う保守や革新とは意味合いが違うことに気がついた。

アメリカ社会の背景にあって日本にはまったくないのが宗教問題で“キリスト教の倫理”に関わる問題である。 平たく言えば妊娠中絶賛成か反対かということだ。 候補者は立候補する際に自分の立場をはっきりさせるしディベートでも基本的な問題として再三確認を求められる。 

アメリカの保守主義者(Conservatives)とはキリスト教の倫理をベースとして伝統的価値を重んじ思想的には自由主義、政治的には"小さな政府"を標榜する人々である。 政治的区分けでいえば共和党がこれに当てはまるがIndependentsでも民主党の中にもこのようなSocial Conservativesは数多くいる。
Social Conservativesという範疇で捉えればアメリカの国民過半数はConservativesだと思う。
ブッシュ政権の中核をなすいわゆるネオコン(Neo-conservatism)は(Political or Philosophical) Conservatism の右派に属する人々で「アメリカは民主主義を世界に広げることを国家としての目標にすべきで、世界を民主化するためにアメリカの圧倒的な軍事力を活用すべきだ」と主張する。 ブッシュ大統領はこれに感化されてイラク侵攻に踏み切ったとされている。
ブッシュ大統領は根っからの保守主義者でもなく自由主義者でもない。 キリスト教の倫理に忠実な典型的南部のお人よしだ。 せいぜいテキサスのMidland (ブッシュ出身地West Texasの田舎町)の市長ぐらいが一番よく似合う平均的なアメリカ人と思うが名門の長男かつ大統領の息子ということでネオコンに担ぎだされ取り巻きのチェイニー副大統領やラズムフェルド元国防長官に引きずりまわされる能天気な大統領になってしまった。 

共和党のみならずアメリカ国民のMajorityはキリスト教をベースとして
家族道徳などを強調する保守的な価値観、倫理観を持つSocial Conservativesであるから2000年の大統領選挙ではモラル面で乱れたクリントンのアンチテーゼとして自分たちと同じ価値観を持つブッシュを大統領に選んだのである。 2004
年に再選されたのは対イラク戦争の途中だったからだ。 国家の安全が脅かされている時期に大統領がそれを理由に支持を得るというのはよくあることである。

共和党の中で最も右派に位置するネオコングループはごく最近までジョン・マッケーンの支持に抵抗していたがマッケーンが指名をほぼ確実にしたので今後は党団結のためしぶしぶ協力せざるを得ないというのが実情だ。 だから共和党が一枚板というわけではない。 

民主党も最後までオバマとクリントンが激しいデッドヒートを展開して二つに割れた党を修復するには時間がかかる。 だから中間層や独立派がマッケーンとオバマをどのように評価するのかが決定要因となるだろう。 

2008年6月6日金曜日

米大統領選挙(その26)クリントンの敗因

ヒラリーの敗因

1年前はダントツの1位で指名が確実と思われていたヒラリーはどうして指名を獲得できず、ほぼ無名に近かったオバマが指名を獲得したのか分析してみると面白い。

ヒラリーの支持層は白人労働者(ユニオンでまとまっている最大の組織票)中年以上の白人女性(人格や政策よりも女性大統領誕生そのものを期待している)高齢者(感情的にまだ黒人大統領を受け入れがたい古い世代)でこの人々は選挙が始まる前からおおむねクリントン支持で固まっていた。  だから初期のポールでは確実な支持層を持つヒラリーが1位を占めていてもおかしくはなかった。  

ヒラリーは “ミドルクラス”という言葉をよく使う。彼女の演説をよく聴いてみると彼女のミドルクラスは経済的にも社会的にも平均以下の人々を指しておりこの層に対してのリップサービスが目立った。
クリントン陣営はマーケティングのやりすぎでポールに流されてしまい本来のヒラリーのキラメキを失ってしまった。 だから長丁場では矛盾を露呈してしまう。
ヒラリーはまだ意思を決めていない中間層、キャンペーンや人格をよく分析してから投票しようとする高学歴の人々、変革を求める若者たちに支持を広げることができなかった。  
金持ち優遇もよくないが低層社会に焦点を当て対立を煽るようなキャンペーンもよくない。 彼女の演説は敵対的であり内容よりも言葉が先にたつようなアジテーションが感じられる。 立場が逆であると非常に反発を感じてもおかしくない。 

一方オバマは特定層に訴えるようなキャンペーンはしなかった。 クリントンからブッシュにわたる16年間でアメリカの正義と権威は地に落ち唯一の超大国は政治的にも経済的にも迷走している。 オバマはこのような閉塞したアメリカを変えようと訴えた。 彼は医療保険の充実や低所得者の教育に対する援助については語っても特定層の支持を得るためのリップサービスは一切していない。 彼は党派的でもなく分派的でもない。 彼は“私が”ではなく“我々”が主体で全員参加で国を変えようと訴えている。
 時には党の枠を超えてレーガンをたたえたりリンカーを引き合いに出したりする。 時折見せる笑顔とユーモアがしばしば先鋭化するキャンペーンを和らげそれとなく人の良さ(人格)を感じさせる。
1年近くまず例外なしに毎日TVのスクリーンに登場し話すのを聴いていると自然と人柄が表れてくるものだ。 オバマはいかなる時もぶれなかった。 苦境に立った時でも(たとえばJeremiah Wrightの説教問題)冷静に自然体で対処した。 これがかえって彼の評価を高め支持を拡大することになった。 

ヒラリー陣営は選挙戦略にも失敗した。  前半に大都市・大票田のメジャー州中心にキャンペーンを続けた結果、地方で大きな取りこぼしが出た。 Caucus Statesでは全く勝てなかった。 特に緒戦のアイオワ州で3位になったのはショックだったに違いない。 もう一人の有力候補、全ニューヨーク市長ジュリアニも同じ間違いを冒して早々に撤退した。 
逆にオバマがアイオワで1位になった意味は大きい。 オバマは(都会・田舎)(大きな州・小さな州)(所得の高低)(学歴の高低)に関係なく全員に「よいアメリカを取り戻そう」「新しいアメリカを創造しよう」と訴えたのである。
だから民主党内だけでなく独立派の人々、白紙の若者たちにも支持された。

もうひとつの大きな敗因は夫、ビル・クリントンにある。 今でも民主党内の影響力は絶大でクリントンシンパの表固めには大いに貢献したとおもう。 しかし選挙はあくまでヒラリーであり彼ではない。 彼のキャンペーンは強引で時として感情的であった。 反発を買うことも少なくなかった。 しかも大統領を辞めるときのネガティブな記憶が付きまとっている。
ビルが表に出ずに裏方に徹していれば展開は変わったかもしれない。
 
選挙のシステムもオバマに見方している。 もし予備選が短期決戦であれば無名に近いオバマが指名を獲得することはできなかっただろう。
またPrimary(Popular Votes)のみであれば彼は指名を獲得することができなかったであろう。 Electra Vote System と Caucusおよび5ヶ月間各州で繰り広げられたキャンペーンを通じてオバマは自分を売り込むことができた。
それでなければ全国的に知名度の高い有名人か選挙資金を贅沢に使える超大金持ちが常にトップになることは目に見えている。 これでは政治の平等を目指す近代国家とはいえない。

リンカーンの奴隷解放宣言(1862年)から146年、ケネディ・ジョンソンの公民権法案成立(1964年)から44年、ようやく黒人大統領が誕生しつつある。 
オバマがアメリカの大政党の大統領候補になったことは歴史的な出来事であるのは間違いない。
アメリカでしか起りえないエポックメーキングである。
しかしそれ以上に感慨深いのは一般にアメリカの国民は民主党がオバマを選んだことをアメリカの進歩であると受け止めていることだ。 ヒラリーが選ばれていると初の女性大統領候補選出で大いに意義があることだがこうした進歩的な感動は国民全体に広がらなかったと思う。

民主主義は個人と社会が成熟しないとうまく作用しない。
-すべての人が発言の機会と権限を与えられること。
-すべての人の発言は聴かねばならないこと。
-ルールと論理にもとづいて議論されること。
-多数決で決定されること。
-決定されたことには従うこと。

民主主義がオールマイティではないことはイラクの現状を見ればよく判る。 説明するまでもなくこの国では独裁が倒れても民主主義は作用していない。 政治システムだけの問題ではないのである。



2008年6月5日木曜日

米大統領選挙(その25)Day After

6月4日 Day after Final Primary


全部の予備選が終了してオバマが過半数を獲得し事実上指名を確定にしたあとオバマはヒラリーに非常に友好的で相手をたたえる演説をしたにもかかわらずヒラリーはオバマに祝福のメッセージを送らなかったこと、また自分の進退につき言及せず(負けを認めず)まだキャンペーンを続けるような発言をしたことにつきその夜から翌日午前中までアメリカ中の評論家、識者、すべてのメディアから非難の集中砲火を浴びた。
クリントン陣営は8月の党大会までにスーパーデレゲートを引き込んで大勢をひっくり返そうと画策していたようだが無意味な抵抗、悪あがきとしか見えない姿勢にアメリカ社会が強烈に反発した。 フェアプレイを原則とし戦い終われば握手してすぐに関係を修復するのがアメリカ社会の常識である。

クリントン陣営もさすがにこの四面楚歌の状況を見て昨日午後、今週土曜日(7日)に選挙撤退を発表すると非公式に伝えている。

目前の関心はヒラリーのアナウンスメントと副大統領選択に向けられているが民主党関係者の過半数はヒラリーがランニングメートになる琴をきたいしている。 
オバマは労働者階級、白人女性、高齢者に弱いので彼らを支持層とするヒラリーがエンドーズすればまずオバマ大統領は確実というわけだ。
今水面下でオバマとヒラリーが話しあっていると思われる。

すでに3週間ほど前からオバマは本選モードに入っておりマッケーンもオバマを対象にキャンペーンを続けている。 両者の舌戦がメディアの中心でクリントン関係は何時どのような形で選挙戦撤退をアナウンスするのかの興味だけである。


オバマはGreat Spiritual LeaderでありヒラリーはGreat Operaterであるという。そのとおりである。 でも二人が協力しあってキャビネットがうまく行く可能性は少ないと思う。

2008年6月4日水曜日

米大統領選挙(その24) オバマ指名確定

予備選終了 オバマ指名確定

5ヶ月かけての予備選がようやく終わった。
プエルトリコではクリントンが大勝しモンタナではオバマに負けたがサウス・ダコタでもクリントンが勝った。 Popular Votes(投票総数)でもオバマを上回った。
しかし選挙規程でElectra Votes(代議員獲得数)ではオバマがはるかにクリントンを上回って過半数以上を獲得したので民主党大統領候補の指名はオバマに確定したわけである。 もう選挙の数字を追うのは止めよう。 今まで大勢を注視していたUndecided Super Delegatesもなだれをうってオバマに投票しはじめた。

クリントンはいまからどんなに画策しても99%オバマに決定した指名をひっくり返すことは無理である。 オバマは勝利宣言しヒラリーにも友好的なメッセージを送った。 それなのにヒラリーはまだドロップアウトを表明していない。 これからどうしようというのか?  ヒラリーの支持者は狂信的なヒラリー信奉者が多いが彼らに引きずられて8月の党大会までキャンペーンを続けるようならますます大統領としての素質・資格はないことを証明したようなものだ。
彼女は何のために大統領選挙に立候補したのであろうか。 ここで悪あがきするならば立候補はクリントン夫妻の私的な野望を達成するためと見られても仕方がない。 国の将来のため、民主党が勝利するためにはここで潔く敗北宣言し民主党の統一を図るべきである。 それでこそ長期にわたる選挙戦を戦いぬいた粘りと勇気がたたえられる。
選挙はあくまで政治ゲームであって終わればもとのサヤに収まり共通の目的に向けて協力するのが民主主義の原則だ。 特にアメリカはこの点がすがすがしくFair Playの精神がアメリカ社会のベースだと思っていたがクリントン夫妻には残念ながらこの点が欠けている。 
ヒラリーの敗因はここにある。

逆にオバマは“私”が中心でなく党派的でもなく「国の将来のために」というのが立候補の原点だ。 その上彼にはすがすがしいFair Playのイメージがある。 長い間選挙を戦っていると自ずとこの点は見えてくる。 だから過去にいくらクリントンに近い人たちでもリチャードソン元アリゾナ州知事のようにまじめに考えれば考えるほどオバマにシフトせざるを得ないのだ。 
昨日がオバマとクリントンが手を握る絶好のチャンスだった。 オバマはメッセージを送ったがヒラリーはこれに答えなかった。 識者・解説者の間ではオバマ・クリントン-ドリーム・ティケットを望む声が大きい。 民主党とオバマ指名候補が本選を確実にものにするのはこの戦略がもっとも有効なことは知っている。 クリントン夫妻以外は早くすっきりと一本化してこれから副大統領候補選びに入りたいところだ。 
これからが本番であることを忘れてはならない。