アメリカ連邦最高裁判所は6月26日個人が短銃を所持するのを禁じた首都ワシントンでの銃規制が、国民の武器所有の権利を明記した合衆国憲法修正第2条に違反している、との判決を下した。
憲法修正第2条は、「自由な国家の安全保障」のために「規律ある民兵」の必要性をうたい、「人民の武器保有の権利を侵してはならない」としている。連邦最高裁の判決は、第2条が個人の武器保有権を保証していると初めて認定したものである。 《Jun.26 読売online》
拳銃による犯罪が多発しているアメリカ社会で長い間個人の拳銃所持をめぐって論争が続いていたが法的に一応の結論が出た。
大統領選でも常にこの問題は取り上げられ一般的に共和党候補は拳銃所持に賛成、民主党は反対であった。 特にクリントン大統領時代に銃規制は一応の成果を挙げたがアメリカ社会の中で拳銃所持は基本的な個人の権利であるという考え方が強く民主党の中でも禁止に全面的に賛成する人は少ないと思われる。
こうした考えのバックグラウンドにはアメリカ社会の政治的・思想的・社会的保守主義 (Conservatism)がある。 キリスト教をバックボーンとする精神主義・道徳観と基本的に個人の自由を優先する自由主義的思想がある。
頭ではなかなか理解しがたいことであるがアメリカの広さを見れば直感的に自ら身を守らなければならない必然性を感じることができる。 危険は人間(強盗・窃盗)だけでなく熊やコヨーテ、ガラガラヘビなど自然動物の危険も身近にあるわけで文明社会といえどもいつでもどこでも安全が保障されているわけではない。
都市から何マイルも離れた田舎で隣家も見えないとことに住んでいる人が何百万人もいる。 助けを呼んでも何十分もかかるのでは無防備のまま裸でジャングルに住んでいるようなものである。 大都市の中でも状況は変わらない。 危険度はむしろ田舎よりも大きい。 助けはすぐ来るだろうけれど犯罪は瞬時でありすぐには対応できない。 拳銃所持は自己防衛のためであるが潜在的犯罪抑止力にもなっていると思う。
30年ほど前にテキサスで家を買うときにいろいろ売家を見て回ったがたいていの家のマスター・ベッドルームのクローゼットの棚にはピストルかライフルが置いてあった。 中には自分の車の中にいつもピストルを所持しているものもいた。 これはメキシコの田舎でも常識であった。
私は拳銃所持に賛成ではないが現実を見れば拳銃所持禁止に反対する気持ちは判る。 もし私がぽつんと離れた田舎家に住むことになれば拳銃を購入するだろう。 拳銃を使用するかどうか判らないがこれは警備保障システムを購入すると同じぐらい家族を守るためには必要だと思うから。