2015年11月30日月曜日

2015年11月20日金曜日

2015年11月13日金曜日

墓仕舞い

私は今年74歳になった。平均寿命から考えれば生きているのは後10年ぐらいだろう。
借金もないけど財産はないし私が死んでも揉めることはない。けれども霞になって消えるわけではないから死んだら少々の後始末は家内か子供がしなければならない。
長女は先月新しい仕事を見つけて東京に引っ越したばかり。 同時にシングルマザーになって子育てと仕事で超多忙。 外資系の会社に勤めていずれは日本を出て行くつもりだから将来どこに住むのかわからない。 また再婚する可能性だってある。
長男はニュージャージーに住んでニューヨークで仕事。 ワイフはアメリカ人でアメリカで生まれた3人の子供を持つ父親だから日本に帰る気は全くない。
そんな事情だからそろそろ身辺を整理しておかないと後に残ったものが困ると思ったので家族全員で相談の結果お墓を閉じることにした。 私はお墓は死んだ人のためにあるのではなく残ったもののためにあると考えていたので私と家内が死んだ後はいつでもお墓(兵庫県加古川市)を閉じていいよと遺言状に書いていた。
お墓を閉じるのは単にものを売ったり廃棄処分にするようには行かない。 勝手がわからないのでお墓の管理人の玉川さんに聞いて全部教えて貰った。 改葬申請書に霊園管理人の署名・捺印を取得、石屋の都合、供養のためのお寺さんの手配などすべてお願いした。親切な人で改葬申請書を市役所まで自分が取りに行くと言われたがさすがにそれだけは自分でとりに行った。
墓仕舞いの当日は快晴で10時にはお坊さんも含め当事者全員が揃いお経をあげてもらったのちお参りしてわずかに収骨、玉川さんが事前に準備してくれた骨壷に入れ収納袋に収めて無事終了した。 
墓仕舞いの手続きなどを前もってインターネットで調べていたが実際のところ要領を得ず思案していたが玉川さんのおかげでスムーズにことが運んだ。簡単なことではあるが自分で手配するとなると大変だった。 
後日京都知恩院に納骨するだけになった。今回のもう一つの大きな仕事を済ませて安堵した。

2015年11月12日木曜日

仏様と仏壇

家が売却・解体となると仏様・仏壇も当然引越しだ。 家内は義姉との二人姉妹で実家には継ぐ男性がいないので昔流に言えばお家断絶になる。仏様も行きどころがない。
こんな事態を経験した人は殆どないので誰に聞いても勝手がわからないのが実情だ。
昔ながらの仏壇は大きすぎて今様の家には似合わないし物理的にも難しい。
とりあえずは位牌は義姉が預かるとし仏壇は仏具屋さんにお金を払って引き取ってもらうことにした。 近くに住む義父の兄弟を招いて法事をし仏壇のお念を抜いてもらった。
みんな90歳前後でこの家には生まれてから長い間関わりがあるのでさぞ拘りがあるだろうと思っていたがいろいろ昔話をしながら楽しく最後の会食をした。

仏壇の中には過去帳なるものがあり古くてボロボロになったものを義父が裏打ちして綺麗に保存してあった。 しかも全てを筆で書き写し娘二人の家族まで付け加えてあった。
初代小松屋庄兵衛は明暦2年生まれ(1656)義父で10代目になる。
義父は3年半前に94歳で亡くなったが義父の「家」に対する執着はかなりのもので40年ほど前に義姉の次男が生まれた頃から後継にすると言い続けていたが結局は叶わなかった。 彼の気持ちは自ら書き写した家系図に表れていると思うが彼自身がどうすることもできなかった。 

2015年11月10日火曜日

妻の実家ついに売却

兵庫県加古川市にある家内の実家が売れたと義姉から連絡があったのは7月の終わり頃である。 契約は売り手が更地にして10月末までに引き渡さねばならないとのことだから家財の整理もあり3ヶ月あるとはいえ急がねばならない。 
家は家内の所有ではないが2007年に神奈川県逗子市からアメリカに引越す際に家財道具の殆どを裏の蔵に置いてきたので処分しなければならない。
実家は100年以上経った古い商家で全体的には広いとはいえ間口の狭い典型的なうなぎの寝床。 義父が4年前に亡くなってから誰も住んでいない。
同じ市内に住む義姉が時折見に行っているが家は誰も住まねば傷みが早い。
昔繁盛した旧街道(山陽道)は今は人通りも少なくご多聞にもれずシャッター街になってしまった。 誰もが売れるとは思っていなかったところに突然近所の人が買うと言ってきた。いくらで売れたのか詳しいことは知らないがこのご時世では売れてよかったというべきだろう。
加古川も少しずつではあるがJR加古川駅を中心に周辺が再開発されつつあり実家の裏の昔ニッケの工場跡地に中央病院が建設中だ。 近所の買手はおそらく将来この近辺は開発が進むと判断してのことと思う。

さて解体する前に保存するものと廃棄処分にするものを整理仕分けしなければならない。
処分するものの中でも十分使用可能なもの、いくらの価値があるかわからぬが美術的骨董的価値のあるもの、書画などおびただし数の物品を仕分けするなど気の遠くなるような作業である。 また古い家は昔ながらの造りですばらしい材木がふんだん使ってあり私のものではないけれど単に取り壊してゴミにしてしまうのは耐えられない。
とりあえず骨董商とリサイクル業者、それに家の古材を生かすために古材商を呼ばねばならぬと考えた。
リサイクル業者はローカルでいくらでもあり最後にするとし骨董商と古材商をインターネットで探すことにした。 骨董商は近所にもあるが感触として田舎っぽい。さりとてどこがいいのか全く見当がつかないが幸い義姉が龍野の改野商店を探してきた。古材商は古材供給量と需要の多い京都中心である。 しかも自家倉庫まで持って来れば引き取るといい見に来るのは京都近郊、大阪北部、滋賀県西部までとのこと。思い余っていつも一時帰国するたびに会う高校の同級生に相談した。 西宮に住むM君が紹介してくれた3軒をネットで検索、ようやく「古材問屋」という気に入った先を見つけた。 ただしウエブサイトを見た限りではあるが創業の精神や古いものに対する愛着の念が伝わって来てビジネスだけではない気持ちが伝わって来るとれもいいサイトである。 
結果として大正解であることが後日判明する。