2009年9月3日木曜日

衆議院総選挙(5)コミュニケーション

パブリック・コミュニケーションの重要性

麻生首相の失言癖や漢字の誤読が揶揄されているが広くパブリック・コミュニケーションの見地からすれば麻生首相一人が非難されるべきではない。 安部さんだって敬語の使い方は全くデタラメで聴いているほうが恥ずかしくなったものだ。 福田さんは他人の話を辛抱強く聴いて説得するタイプではなくぶっきらぼうで対話が苦手なように見えた。 細かいことで突っ込まれると切れてしまい最後は話にならない。 本来政治家のタイプではない。

民主党と言えば小沢新幹事長は自他ともに認めるしゃべり下手。 舞台裏で工作するのが得意なパブリック・コミュニケーションとはほど遠い存在。 管代表代理は何でもアグレッシブにしゃべりすぎ。自己主張ばかりしていては議論にならない。 岡田幹事長はもう少し砕けたしゃべり方をしたほうが聴く方もリラックスする。  鳩山新首相はしばらく様子を見ることにしよう。

いずれにせよ要人の発言は日本の顔として一時一句が報道されるから国内的にも国際的にも影響は大きい。 しゃべり方の巧拙によって真意が伝わるか、好意的に受け止められるかが決まる。 しかし政治家としてスマートなしゃべりかたが出来る人は殆どいないのは真に残念である。 対外的にも日本は随分 損をしていると思う。
しゃべるのが大事な仕事であるのはメディアのキャスターや評論家、またコメディアン、落語家だけではない。 政治家は議論と演説と対話がベースの仕事である。 選挙民との対話はもとより政治家同士、対官僚などコミュニケーション技術を磨けば彼らの仕事ももっとスムーズにはかどるだろうし国民の支持も増えるだろう。 このところ東国原宮崎県知事や橋下大阪府知事がもてはやされるのは政治的手腕よりもむしろ彼らの発言による政治的インパクトが大きいからだと思われる。 つまり常に県民・国民へのインパクトを意識しての発言だからである。

選挙を通じて感じたことは日本人はもっとコミュニケーション技術(特に政治家のパブリック・コミュニケーション)を磨かねばならないと言うことだ。 

追記; Yomiuri Online 9月4日によれば文化庁の国語に関する世論調査で

”言葉で伝えるより察し合って心を通わせる事を重んじる人がこの10年で1.4倍に増え全体の3割を越えたことが判った。 控えめな言葉を好む傾向も伺え同庁は「KY(気配が読めない)といわれることをおそれ、場の雰囲気に合わせようとする風潮の表れでは」と指摘している。”

これでは日本はダメになる。 国語教育を読み書き中心から話し方中心に変えなければならない。 話し言葉の教育は社会と人間そのものにかかわる教育であるから簡単ではないが。