2009年3月13日金曜日

日米レイオフ事情

失業は最大の社会悪-日米レイオフ事情

不況が深刻化する中で日米とも人員削減が広がっている。 
特にアメリカでは不景気ともなればすぐにレイオフに走るのは通常の手段で今回の場合は金融、製造業、サービス業などほぼ全産業にわたり企業の大小を問わず大幅なレイオフが行われている。 失業率が26年ぶりに8.1%と示すとおり経済は急速にに縮小しつつある。 
NJは比較的ましなのか身の周りに失業者がいないのでそれほど実感はないが産業全域に不況が拡がっているのでレイオフされた人は以前のようにすぐに他の職場が見つかるわけではない。 本人は収入を閉ざされるだけでなく保険も失い生活は破壊されてしまう。 本人のみならず子供も学業を放棄しなければならないのは悲劇だ。失業の数字はAverageだが失業した人は99%を失いそうでない人との差は天と地ほどの違いが出てしまう。 失業は最大の社会悪といってもよい。
レイオフはアメリカの企業で日常茶飯事、合理化の常套手段といえどもセンシティブな問題に変わりなく下手すると訴えられるがゆえにレイオフには神経を使う。 最も一般的に行われるのがSeniority Rule といわれるもので入社年度の若い人から順番にレイオフするわけだ。 これなら基準がはっきりしていて問題は起らない。 つまり解雇に際して訴訟問題を避けるために優秀で重要なポジションにいる人材でも入社暦が若ければレイオフの対象になってしまう。 会社が伸びていて毎年採用をしている状況であれば一般的に従業員の平均年齢は若く保てるがSeniority Ruleでレイオフを繰り返していると年配の従業員ばかり残ってしまう。 現在会社存続の危機にあるGMがよい例である。 恒常的に経営困難にさられレオオフを繰り返している航空各社にも同じことが云える。 企業のリノベーションが成功するには内部にそのリノベーションを受け入れるだけの柔軟さがあればこそで、GMには経営者にも従業員にもUAWにもその柔軟さは認められない。 GMはうまく破綻(管理倒産)するしか生きる道はないだろう。 文字どうりご破算で再出発を願わなければならないのだ。

日本では派遣切りが問題となっている。 私は派遣制度そのものが悪いと思っていない。
派遣は短期的に必要な労働力を効率的に使うシステムであって採用側も応募する側にもメリットがある。 私はアメリカで採用する側にいたが初めはパートタイマーで雇って仕事をさせたあと優秀であればよく正社員として採用したものだ。 アメリカでは時間をかけて従業員を教育するような余裕もなく一般に即戦力を採用するからしばしば期待を裏切られることが多い。 一旦採用するとすぐ首を切るのは難しいから初めにパートで試してみてよければ正社員にするほうがリスクが少ないのである。 アメリカでは労働の流動性がありは働く方にとってもチャンスとチョイスが多くある。 
派遣制度でも正社員に採用されるチャンスが開けており途中入社でも能力に応じて社内で相応の給与が支給されるというのであれば問題はないはずだ。 要は会社側がいつでも外部の人間を採用できるだけの柔軟性を持ち合わせているかどうかの問題である。 単に派遣切りはいけないといるのでは日本の労働問題は一歩も前に進まないと思う。

正社員も聖域でなないと思うが今のところそれほど深刻とは思えない。 しかし不景気がもっと深刻になれば正社員の首切りも始まるだろう。 この場合はアメリカと逆で高給取りの年配者が対象になることが多い。 なぜならば日本の会社ではまだ年功序列が一般てきだから年配者ほど給料が高い。 経営効率だけ考えれば高給者をレイオフするほうが人件費を削減できる。 
永い間日本の会社はなるだけレイオフを避けできる限り雇用を維持してきた。 それは自体は悪くないが年功序列と平行して維持されてきたためきわめて労働効率はわるかった。 バブル崩壊後実力主義・実績主義が叫ばれ試行錯誤されてきたが日本の社会と日本人のセンチメントには合わないのかあまり成功例を聴かない。 労働のインフラ・労働市場の概念を政治的にも観念的にも転換しないと欧米の制度だけ真似ても実効はないだろう。
派遣制度、年功序列、定年制、医師 看護士不足、医師のインターン制度、 残業問題、移民受入れなどすべて労働にかかわる問題が山積している。ワーキングシェアーを含めて早急に労働(力)問題を考えなおさなければならない時期にきている。