2009年12月12日土曜日

愛犬 Puddy

愛犬といってもうちの犬ではない。 息子の家族の犬である。 彼らがヴァケーション、長期出張、病気したときに我が家で預かるが平均して2ヶ月に一回、1週間から1月の滞在になるので我が家はセカンドハウスみたいなものだ。 1歳の時から預かっているので最早我が家の一員見たいなもので喜んでやってくる。 真っ白のビッション(雄犬)で名前をPuddyという。 目が可愛くハンサムだから誰にでも可愛いと声をかけられるので散歩に出るのが好きである。 私も同じ気持ち。 ほかの事は忘れても彼のことだけは忘れない。 今まで犬を飼ったこともないのに犬馬鹿の気持ちが判るようになった。


彼は11歳だから人間でいえば60-70歳とおもわれる。 歳はとっているがそれほど年寄りではない。 ちょうど自分と同じ年頃と思うだけで彼の気持ちが判りいっそう身近に感じるのである。 

犬にとっていいこととは

1.いい躾をされていること。

2.いい主従関係であること。

3.いい環境で適当な運動ができること。

だと思っている。

1.生まれた時から息子のワイフにいいしつけをされているのでこの点問題なし。

2.犬を人間同様に扱わぬこと。 犬目線で物事を判断しはっきりした意思表示をして彼に引っぱれないこと。

3.我が家の周辺は木々と芝生が多く犬の散歩には最適。

ということで私も彼の来訪を喜んで受け入れてきた。



しかし今年の夏に長い散歩を嫌がるようになり出ればすぐに帰ろうとする。 一時は途中で動けなくなってしまった。 駆け回ることも少なくなった。 やはり齢かなと思っていたが先日息子宅で彼が動けなくなり食事もできないと云ってきた。 緊急に入院したが獣医さん尾診断では赤血球が少なく血液癌かもしれないという。 点滴してもらって2日後には良くなり退院してきた。 1週間してまた具合が悪くなり再入院今度はステロイドを注射してもらい少しは元気になった。 しかしこの時もう先は長くないと覚悟した。 週末に再び動けなくなった。 仕事に忙しい息子は翌日休めないからといってその夜は彼のそばで一晩添い寝した。 翌朝息子のワイフが獣医さんのところに連れていったが臨終だった。 彼女はもう回復は無理と思い安楽死をOKし注射をしてもらった。 Puddyは死んだ。 

彼女は家から電話をしてきてPuddyが死んだことを知らせてくれた。 家内はPuddyの写真を10枚ぐらい引っ張り出しFamily RoomのBarのCounterにかざって線香をあげて声をかけていた。 それからまるで自分の幼子を失ったかのように1日中泣いていた。 

私は元気で散歩していたPuddyを思い浮かべるだけであまり悲しくもなく悲嘆にくれることもなかった。 犬の知識はあまりないが息子のワイフを除けば彼のことは一番よく知っているという自負があった。 犬を人間目線で見てはいけない。 犬は動物であり犬目線で見なければならない。 人間とは主従関係がはっきりしてなければならないことを基本に置いていた。

私は彼にベストを尽くしたと思っている。 だから涙は出ない。 

私たち二人にとってPuddyは特別の存在であった。 勿論人間ではないが動物でもないPuddy個人(個犬)として身近な存在であった。 Puddyの冥福を祈っている。

しばらく犬の顔を見たくない気持ちだ。