日本滞在中に訪れた店の中でもっとも賑わっていたのがユニクロである。
家内の実家の近くにユニクロがあったのでよくのぞいてみたが週末などは朝から夜までレジに行列ができていた。
商品は100%カジュアル衣料、 ベーシックなものが多いがその時期の流行も取り入れている。 カラーはベーシックながら選択に困るほど多く揃えてあった。 価格はセールでなくとも絶対的に安いからひとつ買うつもりが2枚、3枚と勝手しまう。 セールは30-40%オフがあたりまえだからかなり割安感があり”まとめ買い”を促す。
いくら安くとも品質が悪ければ今の時代に通用しない。 その点ユニクロはよくわきまえていて「安くても品質は良い」という評判を自ら演出しているように思う。 ただスタイルは全般に細くて短くタイトで今の若者向き。 おなかの出ている中高年にはちょっと苦しい。 いつもはSサイズの私でもユニクロ製品はM, 時にはLを買わざるを得ない。買う前に試着を忘れないことだ。 アメリカのサイズと比較してみればタイトで短く同じサイズでも布地が70%ですむのではないかと思われるほど窮屈だ。
現在、大多数の国民が耐久生活(消費者マインドとして)乃至は縮小均衡を迫られている状況だからユニクロの戦略は消費者の心理にマッチしている。 バブルの時代と違って実利主義の傾向が定着しつつある日本の大衆社会ではたとえ景気が回復したとしても高級差別化志向の消費者が大幅に増えるとは思えない。 安い商品を通じて可処分所得の低い若年層、ファッションには無関心だった中高年男性にファッションする機会、ファッションする楽しみを広げているように思われる。ユニクロは今の日本の文化を的確に把握している。
一方百貨店の売上げは毎年下降線をたどっている。 百貨店が対象とする客層は縮小するばかりだから売上げが落ちても当然だろう。 ディスカウントショップと同じ手法をとっててはいっそう顧客を失うばかりだろうし赤字は増える。 百貨店は下降トレンドを追っかけるだけではなく先手を打ってドラスティックに店舗の数と品ぞろえを縮小し総合専門店志向を目指すべきだと思う。 衣料品店であろうが食料品店であろうが老舗では価格は高いが品質は保障済み、長期にわたって固定客をつかんでいる。
百貨店のブランド商品はかなり大衆化して古びている。 しかし価格は大衆化していないしリーゾナブルといえる状態ではない。 専門店も多数入っているとはいえなんとなく時代遅れのマーケティングでちぐはぐな感じがするのである。 何でもあって品ぞろえが豊富というのが総合百貨店だというかも知れないがそれは物のない時代のきらびやかな消費の象徴であって今のように大衆がほぼほしいものは手入れることができる時代、しかも個人の趣向がめまぐるしく変化する時代では時代遅れの巨象といわれてもしかたがない。 何時までも同じ手法で量的拡大を計る時代ではないともうのだが。
2009年11月23日月曜日
2009年11月19日木曜日
マイケル・ジャックソン "This is it"
マイケル・ジャックソンのロンドン公演の8日前に亡くなってから5ヶ月、 スタッフのオーディションから最後のリハーサルまでを撮った映画ーThis is It-を見に行った。
リハーサルを中心としたドキュメンタリー映画だと思っていたがマイケルを中心としてProducer, Musician, Dancer, Choreographerや舞台裏のスタッフたちが一体となってStageを築き上げてゆくプロセスが感動の映画になっている。
映像のすべてが演出の監修や広報のための記録フィルムなので映画のための演出は全くない。 リハーサルとは言え公演間近のほぼ完成された舞台はマイケルの素顔とダンスのプラクティスが覗けてコンサート以上に楽しめる。 歌とダンスはマイケル自ら手がけたものとは知らなかったが音のわずかなタッチ、映画のスクリーンからでは判らないリズムの調整、指先の動きに至るまで自分の感性に合わせて共演者をリードしてゆく。 共演者は分身でありその他の人も自分の神経そのものだ。 ProducerでありDirectorでありSingerでありDancerである彼は自らを中心においてすべての人の才能を極限まで高める。 彼は孤高の頂点にいながらいつも仲間と同じ目線で高度な舞台を追求しているのが伝わってくる。 偉大な演出家にありがちな傲慢さは微塵もない。 そこにマイケルらしい人間性を感じるのである。 リハーサルだから実際のAudienceはいないが舞台下に集まった仲間のMusician, Producer, Dancer, Staffたちは20人にも満たないがあたかもコンサートに集まった熱狂的なファンのように彼の歌と動きに魅了されて一体となる。 彼が100%コンサートの中心であってもチームが高揚して融合しないとこのような大きな公演のプロジェクトは成功はない。
マイケルの歌とダンスがいかに卓越していようコンサートだけの映画であればこれほど感動はしなかったと思う。 この映画の中にはコンサートの演出・舞台つくりの熱情・マイケルの歌とダンスの感性の素晴らしさ、それに加えてマイケルの人間性や子供たちに対する愛情、自然保護を訴える強いメッセージが含まれていて単なるスターを追悼する記録映画に終わっていない。 芸能ドキュメンタリーでこんなに楽しみまた感動したのは始めてのことだ。 天才マイケルを失ったのは真に残念。
リハーサルを中心としたドキュメンタリー映画だと思っていたがマイケルを中心としてProducer, Musician, Dancer, Choreographerや舞台裏のスタッフたちが一体となってStageを築き上げてゆくプロセスが感動の映画になっている。
映像のすべてが演出の監修や広報のための記録フィルムなので映画のための演出は全くない。 リハーサルとは言え公演間近のほぼ完成された舞台はマイケルの素顔とダンスのプラクティスが覗けてコンサート以上に楽しめる。 歌とダンスはマイケル自ら手がけたものとは知らなかったが音のわずかなタッチ、映画のスクリーンからでは判らないリズムの調整、指先の動きに至るまで自分の感性に合わせて共演者をリードしてゆく。 共演者は分身でありその他の人も自分の神経そのものだ。 ProducerでありDirectorでありSingerでありDancerである彼は自らを中心においてすべての人の才能を極限まで高める。 彼は孤高の頂点にいながらいつも仲間と同じ目線で高度な舞台を追求しているのが伝わってくる。 偉大な演出家にありがちな傲慢さは微塵もない。 そこにマイケルらしい人間性を感じるのである。 リハーサルだから実際のAudienceはいないが舞台下に集まった仲間のMusician, Producer, Dancer, Staffたちは20人にも満たないがあたかもコンサートに集まった熱狂的なファンのように彼の歌と動きに魅了されて一体となる。 彼が100%コンサートの中心であってもチームが高揚して融合しないとこのような大きな公演のプロジェクトは成功はない。
マイケルの歌とダンスがいかに卓越していようコンサートだけの映画であればこれほど感動はしなかったと思う。 この映画の中にはコンサートの演出・舞台つくりの熱情・マイケルの歌とダンスの感性の素晴らしさ、それに加えてマイケルの人間性や子供たちに対する愛情、自然保護を訴える強いメッセージが含まれていて単なるスターを追悼する記録映画に終わっていない。 芸能ドキュメンタリーでこんなに楽しみまた感動したのは始めてのことだ。 天才マイケルを失ったのは真に残念。
2009年11月16日月曜日
NY総領事館が松井を表彰?
先のワールドシリーズでNYヤンキースの松井選手が大活躍、MVPに選ばれたことは誰もが知っている。 日本のすべての野球ファンとアメリカの在留邦人が理屈抜きでうれしく日本の誇りに思っている。
そこにのこのこNY総領事館が出てきて松井選手を表彰するという。 NY地区の日本人に多くの希望と名誉を与えてくれたというのが理由らしいがTVの映像を見ていれば領事館の自分へのパフォーマンスであることは見え見え。 表彰するというならNY在住の各界日本人を招待しディナーパーティぐらいはするべきだろう。 せめて挨拶は生の言葉で心からお祝いの言葉を述べるべきだが初めから終わりまで下を向いて原稿の棒読み、この方がNYで日本を代表する外交官のトップであるというところに日本の外務省、外交官の質の問題が明らかに見えてくる。
日本の大学をでて外務省に入りあちこち回って最終的にどこかの国の大使になるという典型的な順送り人事で外交官が務まると思うのは大間違い。
アメリカのように実業界やアカデミックな世界から一流の人物をスカウトして大使に任命しはどうか。 外務省は事務方として仕事をしたほうが余程有能さを発揮するだろうし国益に沿った仕事が出来るのではないだろうか。
そこにのこのこNY総領事館が出てきて松井選手を表彰するという。 NY地区の日本人に多くの希望と名誉を与えてくれたというのが理由らしいがTVの映像を見ていれば領事館の自分へのパフォーマンスであることは見え見え。 表彰するというならNY在住の各界日本人を招待しディナーパーティぐらいはするべきだろう。 せめて挨拶は生の言葉で心からお祝いの言葉を述べるべきだが初めから終わりまで下を向いて原稿の棒読み、この方がNYで日本を代表する外交官のトップであるというところに日本の外務省、外交官の質の問題が明らかに見えてくる。
日本の大学をでて外務省に入りあちこち回って最終的にどこかの国の大使になるという典型的な順送り人事で外交官が務まると思うのは大間違い。
アメリカのように実業界やアカデミックな世界から一流の人物をスカウトして大使に任命しはどうか。 外務省は事務方として仕事をしたほうが余程有能さを発揮するだろうし国益に沿った仕事が出来るのではないだろうか。
2009年11月14日土曜日
久しぶりの日本(6) 意識が変わった
日本に滞在中必ず話題になったのが政権交代。 みなの意見は政権が変わってよかったという。 しかし民主党に変わったからといってそれほど急激な変化を期待しているようには思えなかった。
以前には友達の間では政治の問題はほとんど話題にならなかった。
しかし今回は選挙・政治に深く関心を持ったという人が多かった。 今まで政治は別物と思っていた人が政治が自分の生活に大きな影響を及ぼすものであり自分たちもまた政治に影響力を持っていることを認識した。 これは非常に大事なことであり政権交代以上に大きな意味がある。
私が語らう仲間はほぼ大学卒Upper Middleの社会人だ。 一般的には中道保守のクラスに入るだろうがこの人たちが自民党に見切りをつけ政権交代を選んだのは日本はもはや経済的にも政治的にも下り坂であるという認識のもと何とかしなければ日本は持たないのではないかと思い始めたようである。 日本で国民による本当の政治が生まれつつあるように思う。
以前には友達の間では政治の問題はほとんど話題にならなかった。
しかし今回は選挙・政治に深く関心を持ったという人が多かった。 今まで政治は別物と思っていた人が政治が自分の生活に大きな影響を及ぼすものであり自分たちもまた政治に影響力を持っていることを認識した。 これは非常に大事なことであり政権交代以上に大きな意味がある。
私が語らう仲間はほぼ大学卒Upper Middleの社会人だ。 一般的には中道保守のクラスに入るだろうがこの人たちが自民党に見切りをつけ政権交代を選んだのは日本はもはや経済的にも政治的にも下り坂であるという認識のもと何とかしなければ日本は持たないのではないかと思い始めたようである。 日本で国民による本当の政治が生まれつつあるように思う。
2009年11月9日月曜日
久しぶりの日本(5)修学旅行
大学ゼミのクラス会で大阪城を訪れた時のこと。 近辺でOO小学校と張り紙のついた観光バスが走っていたし昼食に時に場内のうどんやで制服姿の小学生の一団といっしょになった。 かれらは修学旅行の途中なのだ。 今も修学旅行が続いていることに少し驚き懐かしくも思った。
しかし私自身の修学旅行は殆ど思い出せない。 楽しかったこともないしとくにいやな思い出があるわけではない。 小学校6年生で兵庫県西宮市から兵庫県の真ん中播州平野の田舎に引っ越したので中学にあがってからも町の子、要するに田舎に溶け込めないよそ者であった。 1学年100-200人の中で田畑がないのは数人しかいない。 農繁期休暇中に学校に行くのは5-6名だった。 町の高校に行くと今度は自分自身が田舎者になった。 クラスのみんなが優秀でスマートに見えた。 成績は悪くなかったが学校で青春を楽しんだ思い出はない。 もともと大勢で遊ぶのは好きではなかったので修学旅行も楽しめなかったのだろう。
いまも団体行動は好きではないのでグループのツワー旅行は行ったことがな
私たちの子供のころは都会と田舎の格差は歴然としていた。 滅多と出ることのない都会は(私の場合は神戸)にぎやかで眩しかった。 今のように連休だからといって遠出の旅行をすることもなかった。中学を出るまで大阪でさえ一回しか行ったことがなかった。 まして東京など知る由もない。 だから中学旅行は見知らぬ世界を見聞する重要な機会であったのだ。
いまは映像とともに情報があふれている。 子供でさえ旅行する機会が大いにあるだろう。 だから修学旅行が今も続いていることに少なからず驚きを覚えたのであった。
しかし私自身の修学旅行は殆ど思い出せない。 楽しかったこともないしとくにいやな思い出があるわけではない。 小学校6年生で兵庫県西宮市から兵庫県の真ん中播州平野の田舎に引っ越したので中学にあがってからも町の子、要するに田舎に溶け込めないよそ者であった。 1学年100-200人の中で田畑がないのは数人しかいない。 農繁期休暇中に学校に行くのは5-6名だった。 町の高校に行くと今度は自分自身が田舎者になった。 クラスのみんなが優秀でスマートに見えた。 成績は悪くなかったが学校で青春を楽しんだ思い出はない。 もともと大勢で遊ぶのは好きではなかったので修学旅行も楽しめなかったのだろう。
いまも団体行動は好きではないのでグループのツワー旅行は行ったことがな
私たちの子供のころは都会と田舎の格差は歴然としていた。 滅多と出ることのない都会は(私の場合は神戸)にぎやかで眩しかった。 今のように連休だからといって遠出の旅行をすることもなかった。中学を出るまで大阪でさえ一回しか行ったことがなかった。 まして東京など知る由もない。 だから中学旅行は見知らぬ世界を見聞する重要な機会であったのだ。
いまは映像とともに情報があふれている。 子供でさえ旅行する機会が大いにあるだろう。 だから修学旅行が今も続いていることに少なからず驚きを覚えたのであった。
2009年11月8日日曜日
久しぶりの日本(4)同期の桜ー3
私にはちょっと変わった同期の桜が2人いる。
一人は小学校の同窓生で近くに住んでいたH君。 もう一人は大学の同窓生、K君 当時それほど親しいという間柄ではなく就職してからもお互いに消息を知らなかったが2年ばかり経った頃大阪のお好み焼きでばったり会い同じ関西系の商社勤務、しかも同業であることを知った。 それから40年お互いに海外の同じ任地を行ったり来たり、時にはすれ違いもあったけれど顔を合わせてビジネスを語りゴルフをする仲になった。 結婚したのもほぼ同じ頃、子供の年齢も同年代で同じ日本人小学校に通ったこともある。
同様の経験をした人も多々あるが今も夫婦同伴でお付き合いが続いているのはこの二組しかない。 彼らが今も活き活きとした生活を送っておりそのつど魅力のある話題を提供してくれるからに他ならないがおそらく同期の桜の気安さもあって自然体でお付き合いできるからだと思う。
毎年クリスマスカードやメールで近況を知らせあっていると家族全体の動きを知って親しみが継続する。
2-3年に一度しか会わないがこの二人と旧交を温める楽しさはまた格別である。
一人は小学校の同窓生で近くに住んでいたH君。 もう一人は大学の同窓生、K君 当時それほど親しいという間柄ではなく就職してからもお互いに消息を知らなかったが2年ばかり経った頃大阪のお好み焼きでばったり会い同じ関西系の商社勤務、しかも同業であることを知った。 それから40年お互いに海外の同じ任地を行ったり来たり、時にはすれ違いもあったけれど顔を合わせてビジネスを語りゴルフをする仲になった。 結婚したのもほぼ同じ頃、子供の年齢も同年代で同じ日本人小学校に通ったこともある。
同様の経験をした人も多々あるが今も夫婦同伴でお付き合いが続いているのはこの二組しかない。 彼らが今も活き活きとした生活を送っておりそのつど魅力のある話題を提供してくれるからに他ならないがおそらく同期の桜の気安さもあって自然体でお付き合いできるからだと思う。
毎年クリスマスカードやメールで近況を知らせあっていると家族全体の動きを知って親しみが継続する。
2-3年に一度しか会わないがこの二人と旧交を温める楽しさはまた格別である。
2009年11月7日土曜日
久しぶりの日本(3)同期の桜ー2
昔の仕事の同僚と5年ぶりに会った。 前回は友人の葬儀で顔をあわせただけで実質的には25年振りである。 急に呼び出し彼の奥さんにもあいたかったので夫婦同伴で」彼の故郷岡山で会う事になった。 二人は元気いっぱい少しも変わっていなかった。 彼と私は入社以来の同僚だから顔を合わせばすぐ昔に戻る。 しかし嫁さん同士は2度しか会ったことがなくお互いに硬くならないか若干心配したがまるで旧知の中のごとく打ち解けて夫婦ともども楽しい時間を過ごしたのであった。
(海外勤務を経験するとプライベートな付き合いは原則家族単位となる。 今回会った友人は同窓会メンバーを除けば全部夫婦同伴で会った。 そうのほうが話題に広がりができて話がはずむ。)
彼は入社10年ぐらいで東京の機会部門に転勤となった。 もともとストレートな男で上司にも部下にも信頼され将来を嘱望されていたが40歳までに故郷の岡山にか帰ると言い出した。 東京本社に比べれば岡山支店はちっぽけな店でしかない。 彼はもともと故郷で花を咲かせようと考えていた節がある。 実際に彼は岡山に帰って大活躍していた。 岡山支店は彼の活躍で業績が伸び広島の中国支社の業績を凌駕するまでになった。 退職してからも彼の精力的な活動は衰えず肩書きが30ほどあるという。 ゴルフもやれは百姓もやる。 当日は稲刈りをしたばかりといってすこし汚れた手をみせてくれた。 都会育ちの奥さんには相当な抵抗と戸惑いがあったに違いない。 しかし本来明るくしっかりした奥さんのこと、夫唱婦随でがんばってきたことだろう。 正直なところ彼をとてもうらやましく思った。 彼は今回会った仲間のうちもっともHappyな人生を送っている。 彼の成功は自分の考え方がぶれなかったこと。 自分が活きる場所を知っていてそこに全力を傾注したことによる。
大きな組織のなかでも流されず自分の道を歩いてきた男。 だから今でも彼の顔には自信が満ちあふれている。
次に帰国したときはまた会いたいと思ったのであった。
(海外勤務を経験するとプライベートな付き合いは原則家族単位となる。 今回会った友人は同窓会メンバーを除けば全部夫婦同伴で会った。 そうのほうが話題に広がりができて話がはずむ。)
彼は入社10年ぐらいで東京の機会部門に転勤となった。 もともとストレートな男で上司にも部下にも信頼され将来を嘱望されていたが40歳までに故郷の岡山にか帰ると言い出した。 東京本社に比べれば岡山支店はちっぽけな店でしかない。 彼はもともと故郷で花を咲かせようと考えていた節がある。 実際に彼は岡山に帰って大活躍していた。 岡山支店は彼の活躍で業績が伸び広島の中国支社の業績を凌駕するまでになった。 退職してからも彼の精力的な活動は衰えず肩書きが30ほどあるという。 ゴルフもやれは百姓もやる。 当日は稲刈りをしたばかりといってすこし汚れた手をみせてくれた。 都会育ちの奥さんには相当な抵抗と戸惑いがあったに違いない。 しかし本来明るくしっかりした奥さんのこと、夫唱婦随でがんばってきたことだろう。 正直なところ彼をとてもうらやましく思った。 彼は今回会った仲間のうちもっともHappyな人生を送っている。 彼の成功は自分の考え方がぶれなかったこと。 自分が活きる場所を知っていてそこに全力を傾注したことによる。
大きな組織のなかでも流されず自分の道を歩いてきた男。 だから今でも彼の顔には自信が満ちあふれている。
次に帰国したときはまた会いたいと思ったのであった。
2009年11月6日金曜日
久しぶりの日本(2)同期の桜ー1
3週間の滞在中に多くの人と会った。 親類を除けば高校の同級生、大学ゼミの同期生、会社の同期生、いずれもほぼ齢が同じの同期の桜である。 10年目、20年目の再開であっても同期の桜は挨拶抜きに昔に戻る。 中には45年ぶりの再会もあり学生の頃よりも親しく話が出来るのが不思議である。 一年上でも一年下でもこうは行かない。
最近は同窓会が大流行だそうだ。 高校の同窓会は地元では春秋のゴルフ会、 東京でも有志のクラス会が毎年行われている。
大学のゼミのクラス会は毎年10月の末に東京、名古屋、大阪で持ち回りで行われているが昨年は京都になった。 私は出席できなかったが京料理に「御茶屋遊び」の体験、高台寺の夜間拝観、白沙村荘などとても面白かったそうである。 この会ではクラス会の初めに翌年のクラス会の日程を決めてしまうので出席率が極めてよい。 幹事は一年前から趣向を考え単なる観光にとどまらず随分内容的の面白い企画が出てくる。
今年は大阪、あまり観光名所の少ないところと思うが今年の幹事はそこを面白い企画で盛り上げた。 場所は大阪南のど真ん中、なんばの駅近くのビジネスホテルに夕方集合、 食事の前に1時間ほど散策することになりアメリカ村(御堂筋の西側) 宗右衛門町、道頓堀通、千日前通を歩いて法善寺横丁のすし屋になだれ込んだ。 大阪では通算9年勤務したが南は殆ど知らない。 今回のクラス会がなければ一生大阪・南を知らずに過ごしたかもしれない。日本にいる連中も今の年齢ではまず歩くことはないだろう。 法善寺のすし屋も昔ながらの横丁にはいった庶民的な感じのするすし屋だったが味は最高。 3時間ほどしゃべって帰りに全員コーヒーショップへ、これまた老舗の美味しいコーヒーであった。 この界隈を歩きつくした人でなければこの案内は出来ない。
翌日は難波宮遺跡を訪ねて幹事の説明を聴く。 30年ほど前に道路工事の際に発見された遺跡で大極殿あとに基石の台が築かれているだけで今は広々した難波宮跡公園となっており時折イベント会場に使われている。 幹事は用意した地図と資料を基に当時の難波の都を説明してくれるので想像力を生かして1500年前の景色を頭に描く。 (幹事はここに来るまでにあらかじめ想像力を働かせるよう各自にアドバイスしていた) 名所旧跡も適切な説明があって歴史を知りながら見学すると面白い。
それから道を挟んではす向かいのNHK大阪に併設された大阪歴史博物館を訪れた。10Fが入り口で9Fにかけて大阪の歴史が時代を追って閲覧できる趣向になっている。 スタートが難波宮で始まり東側半分が難波宮大極殿を再現したもので部屋の最上部に取り付けられたTVで飛鳥時代の歴史サマリーがビデオで放映され終わると同時に窓を覆っていた幅30mはあろうかと思われるスクリーンカーテンが巻き上げられ眼下には先ほど訪れた難波宮跡がパノラマとして見えるではないか。左手には修復された大阪城が間近に見える。 博物館としてはスケールの大きい素晴らしい趣向・展示方法である。 大阪は長らく日本の商都として栄えてきたが特に江戸時代堂島で米の先物取引まで行っていたこと知って驚いた。 大阪歴史博物館はお勧めである。 博物館見学の後は隣の大阪城に入り昼食に名物太閤うどんを食べてしばらくしゃべって散会した。 大阪には何もないと思っていたのは大間違い。 いい案内人が一緒だったおかげで楽しい2日間であった。 幹事さんありがとう。
最近は同窓会が大流行だそうだ。 高校の同窓会は地元では春秋のゴルフ会、 東京でも有志のクラス会が毎年行われている。
大学のゼミのクラス会は毎年10月の末に東京、名古屋、大阪で持ち回りで行われているが昨年は京都になった。 私は出席できなかったが京料理に「御茶屋遊び」の体験、高台寺の夜間拝観、白沙村荘などとても面白かったそうである。 この会ではクラス会の初めに翌年のクラス会の日程を決めてしまうので出席率が極めてよい。 幹事は一年前から趣向を考え単なる観光にとどまらず随分内容的の面白い企画が出てくる。
今年は大阪、あまり観光名所の少ないところと思うが今年の幹事はそこを面白い企画で盛り上げた。 場所は大阪南のど真ん中、なんばの駅近くのビジネスホテルに夕方集合、 食事の前に1時間ほど散策することになりアメリカ村(御堂筋の西側) 宗右衛門町、道頓堀通、千日前通を歩いて法善寺横丁のすし屋になだれ込んだ。 大阪では通算9年勤務したが南は殆ど知らない。 今回のクラス会がなければ一生大阪・南を知らずに過ごしたかもしれない。日本にいる連中も今の年齢ではまず歩くことはないだろう。 法善寺のすし屋も昔ながらの横丁にはいった庶民的な感じのするすし屋だったが味は最高。 3時間ほどしゃべって帰りに全員コーヒーショップへ、これまた老舗の美味しいコーヒーであった。 この界隈を歩きつくした人でなければこの案内は出来ない。
翌日は難波宮遺跡を訪ねて幹事の説明を聴く。 30年ほど前に道路工事の際に発見された遺跡で大極殿あとに基石の台が築かれているだけで今は広々した難波宮跡公園となっており時折イベント会場に使われている。 幹事は用意した地図と資料を基に当時の難波の都を説明してくれるので想像力を生かして1500年前の景色を頭に描く。 (幹事はここに来るまでにあらかじめ想像力を働かせるよう各自にアドバイスしていた) 名所旧跡も適切な説明があって歴史を知りながら見学すると面白い。
それから道を挟んではす向かいのNHK大阪に併設された大阪歴史博物館を訪れた。10Fが入り口で9Fにかけて大阪の歴史が時代を追って閲覧できる趣向になっている。 スタートが難波宮で始まり東側半分が難波宮大極殿を再現したもので部屋の最上部に取り付けられたTVで飛鳥時代の歴史サマリーがビデオで放映され終わると同時に窓を覆っていた幅30mはあろうかと思われるスクリーンカーテンが巻き上げられ眼下には先ほど訪れた難波宮跡がパノラマとして見えるではないか。左手には修復された大阪城が間近に見える。 博物館としてはスケールの大きい素晴らしい趣向・展示方法である。 大阪は長らく日本の商都として栄えてきたが特に江戸時代堂島で米の先物取引まで行っていたこと知って驚いた。 大阪歴史博物館はお勧めである。 博物館見学の後は隣の大阪城に入り昼食に名物太閤うどんを食べてしばらくしゃべって散会した。 大阪には何もないと思っていたのは大間違い。 いい案内人が一緒だったおかげで楽しい2日間であった。 幹事さんありがとう。
2009年11月5日木曜日
久しぶりの日本(1)クリーンジャパン
クリーン ジャパン
飛行機が成田空港に着陸すると同時にWelcome Japanの機内アナウンスが始まった。
このFlight Attendantは日本がお気に入りとみえて何度も”Beautiful Japan"を繰り返した。
成田周辺は形の良い針葉樹の林が点在し緑が多くてきれいである。 しかし都心に近づくにつれて雑然とした都会風景になり取り立てて美しい日本とは言い難い。 何が美しいかは個人の主観によるもののクリーンであることを美しさの条件に入れるならば日本は飛びぬけて美しい国になる。 空港のターミナルからバスに乗り都心のホテルへ、そこからタクシーで目黒の娘の家へ。 翌朝渋谷から原宿あたりをうろうろして横道に入ってもクリーン度は変わらない。午後は新幹線で兵庫県にある家内の実家に落着いたがこの間チリひとつ落ちていない。 このスーパークリーン度は以後2週間、大阪、西宮、岡山など親戚、友人を訪ね歩いた間パーフェクトに続くのである。 バスもタクシーも電車も新幹線も建物の内外も道も公園も例外なしに100%クリーンだった。 都内の目黒区の公園ではごみがないのに清掃している人がいる。つまり今の日本では掃除する人はいても汚す人がいないのだ。 ひと昔前は駅の線路沿いはタバコの吸殻が散らばっており、駅のホームはガムの跡形があちこちに見られたものだ。 こんなに何処ともきれいになればタバコを捨てる人は目立つだろうし捨て辛くなる。
ここでは良貨(クリーン)が悪貨(ダーティ)を駆逐している。 江戸時代の後期に日本の国内を旅行したイギリスの旅行家が田舎に行っても日本は清潔であることに驚いている。 クリーンであることは昔から日本の文化であるようだ。 感覚的にしかいえないが清潔さは何か日本の特別の付加価値のように思える。 清潔さは日本の文化だが漫画やアニメのように商品になり得ないし輸出も出来ないのは残念だ。 中国もインドも早かれ遅かれ経済的には数字の上で日本を凌駕するだろうし生活レベルも格段に良くなるだろう。 しかしクリーンさだけはなかなかマネが出来ないと思う。
飛行機が成田空港に着陸すると同時にWelcome Japanの機内アナウンスが始まった。
このFlight Attendantは日本がお気に入りとみえて何度も”Beautiful Japan"を繰り返した。
成田周辺は形の良い針葉樹の林が点在し緑が多くてきれいである。 しかし都心に近づくにつれて雑然とした都会風景になり取り立てて美しい日本とは言い難い。 何が美しいかは個人の主観によるもののクリーンであることを美しさの条件に入れるならば日本は飛びぬけて美しい国になる。 空港のターミナルからバスに乗り都心のホテルへ、そこからタクシーで目黒の娘の家へ。 翌朝渋谷から原宿あたりをうろうろして横道に入ってもクリーン度は変わらない。午後は新幹線で兵庫県にある家内の実家に落着いたがこの間チリひとつ落ちていない。 このスーパークリーン度は以後2週間、大阪、西宮、岡山など親戚、友人を訪ね歩いた間パーフェクトに続くのである。 バスもタクシーも電車も新幹線も建物の内外も道も公園も例外なしに100%クリーンだった。 都内の目黒区の公園ではごみがないのに清掃している人がいる。つまり今の日本では掃除する人はいても汚す人がいないのだ。 ひと昔前は駅の線路沿いはタバコの吸殻が散らばっており、駅のホームはガムの跡形があちこちに見られたものだ。 こんなに何処ともきれいになればタバコを捨てる人は目立つだろうし捨て辛くなる。
ここでは良貨(クリーン)が悪貨(ダーティ)を駆逐している。 江戸時代の後期に日本の国内を旅行したイギリスの旅行家が田舎に行っても日本は清潔であることに驚いている。 クリーンであることは昔から日本の文化であるようだ。 感覚的にしかいえないが清潔さは何か日本の特別の付加価値のように思える。 清潔さは日本の文化だが漫画やアニメのように商品になり得ないし輸出も出来ないのは残念だ。 中国もインドも早かれ遅かれ経済的には数字の上で日本を凌駕するだろうし生活レベルも格段に良くなるだろう。 しかしクリーンさだけはなかなかマネが出来ないと思う。
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