2015年12月13日日曜日

テロに対するアメリカ人の反応

フランスのパリでテロ事件が起きて間もなくロスでも過激思想に染まったムルリム・カップルによるテロ事件が起きて公的にも私的にもテロ対策の論議が盛んである。
ロスの事件を見ているといくら水際の管理を強化しても国内の単独テロを阻止するのは非常に難しいと思われる。
今日のローカルTVを見ていると私の住んでいるカウンティ・コートの窓口には拳銃購入の許可を求めて行列ができていると伝えている。
並んでいる人は男女を問わず年寄りから若い主婦までどこでも見かけるような庶民ばかり
で拳銃とはほとんど関わりのない人たちばかり。 彼らは口を揃えて「ここまで来ては自分で家族を守るしか方法がなくなった。いざという時のために拳銃を買うのです」と言っている。
大統領はじめ銃規制の強化を求める意見が多いのだが現実にはテロは現実には銃所持拡大を後押ししている。

気候変動枠組み会議(COP21)


第21回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP21)は12日、「パリ協定」を採択した。 こんなに早く合意に達するとは思わなかったが世界各地での災害の多発と巨大化が各国に真剣にこの問題に取り組まねばならない現実を認識させたのかもしれない。
実際に南太平洋やインド洋の小さな島国では国全体が水没しつつある。 イタリアのベニスでも満潮時には通りが水に浸かっている。 今日合意したから明日から効果が現れてくるような問題ではないが早く行動に移さねば危機状態はますます回復できない状況に追い込まれるのだ。
会議は先進国と途上国との間で大変紛糾したらしいがまずは大量の炭酸ガスを排出する先進国が率先して実行することが第一だろう。
地球上最大の問題について最多の国が合意したのは歴史的な会議と結論だった。

2015年12月9日水曜日

ドナルド・トランプ



朝久しぶりにTVをつけると人気のトーク番組、CBSのKelly & Michealsだった。
ゲストはいま共和党の大統領候補としてトップを走るドナルド・トランプだ。
2ヶ月ほど前から共和党の候補者を集めたディベートが行われているが初めから
話題を集めてメヂアの注目を浴びているのがトランプでみんながそのうち消え去ると見ていたのにどのポールを取っても今だにトップをキープしている。
方言、失言にもかかわらずどうしてこんなに支持者が多いのか疑問だったので個人的な好き、嫌いは別として真面目に聞いてみることにした。
まず第一に考え方(目線)も喋り方も庶民レベル。 しかも切れ目のないエネルギッシュなトーク、 理屈は簡単、 最重要点を強調してその他は排除する。 極めてわかりやすい。
例えば先のムスリム入国拒否の問題も「国家・国民にとって一番大事なのは安全であるから今一番危険なイスラム教諸国からの入国は阻止すべし」中国に関しては「中国は職も技術も盗むばかりアメリカの国益を損じている。だから締め出さねばならない」メキシコ国境には巨大な壁を作って不法移民を締め出す。 もちろん正式に国境を越えてくる人には解放する。」 一点に集中、その影響などは考えない、しゃべらない。
まるでニュースをネタにした毒舌タレントの漫談を聴いているようだ。 
単純明快で庶民が直感的に感じることを庶民側に立って喋っているのである。
政治家の発言としては単純で質問があっても説明不足、整合性もない。大統領になる知性や品格は全く感じられないのでいずれ落ちてくるだろうが万一彼が共和党候補として指名を受けるようだと共和党だけでなくアメリカの質的低下の証拠でありはもはやアメリカではなくなる。

2015年11月30日月曜日

2015年11月20日金曜日

2015年11月13日金曜日

墓仕舞い

私は今年74歳になった。平均寿命から考えれば生きているのは後10年ぐらいだろう。
借金もないけど財産はないし私が死んでも揉めることはない。けれども霞になって消えるわけではないから死んだら少々の後始末は家内か子供がしなければならない。
長女は先月新しい仕事を見つけて東京に引っ越したばかり。 同時にシングルマザーになって子育てと仕事で超多忙。 外資系の会社に勤めていずれは日本を出て行くつもりだから将来どこに住むのかわからない。 また再婚する可能性だってある。
長男はニュージャージーに住んでニューヨークで仕事。 ワイフはアメリカ人でアメリカで生まれた3人の子供を持つ父親だから日本に帰る気は全くない。
そんな事情だからそろそろ身辺を整理しておかないと後に残ったものが困ると思ったので家族全員で相談の結果お墓を閉じることにした。 私はお墓は死んだ人のためにあるのではなく残ったもののためにあると考えていたので私と家内が死んだ後はいつでもお墓(兵庫県加古川市)を閉じていいよと遺言状に書いていた。
お墓を閉じるのは単にものを売ったり廃棄処分にするようには行かない。 勝手がわからないのでお墓の管理人の玉川さんに聞いて全部教えて貰った。 改葬申請書に霊園管理人の署名・捺印を取得、石屋の都合、供養のためのお寺さんの手配などすべてお願いした。親切な人で改葬申請書を市役所まで自分が取りに行くと言われたがさすがにそれだけは自分でとりに行った。
墓仕舞いの当日は快晴で10時にはお坊さんも含め当事者全員が揃いお経をあげてもらったのちお参りしてわずかに収骨、玉川さんが事前に準備してくれた骨壷に入れ収納袋に収めて無事終了した。 
墓仕舞いの手続きなどを前もってインターネットで調べていたが実際のところ要領を得ず思案していたが玉川さんのおかげでスムーズにことが運んだ。簡単なことではあるが自分で手配するとなると大変だった。 
後日京都知恩院に納骨するだけになった。今回のもう一つの大きな仕事を済ませて安堵した。

2015年11月12日木曜日

仏様と仏壇

家が売却・解体となると仏様・仏壇も当然引越しだ。 家内は義姉との二人姉妹で実家には継ぐ男性がいないので昔流に言えばお家断絶になる。仏様も行きどころがない。
こんな事態を経験した人は殆どないので誰に聞いても勝手がわからないのが実情だ。
昔ながらの仏壇は大きすぎて今様の家には似合わないし物理的にも難しい。
とりあえずは位牌は義姉が預かるとし仏壇は仏具屋さんにお金を払って引き取ってもらうことにした。 近くに住む義父の兄弟を招いて法事をし仏壇のお念を抜いてもらった。
みんな90歳前後でこの家には生まれてから長い間関わりがあるのでさぞ拘りがあるだろうと思っていたがいろいろ昔話をしながら楽しく最後の会食をした。

仏壇の中には過去帳なるものがあり古くてボロボロになったものを義父が裏打ちして綺麗に保存してあった。 しかも全てを筆で書き写し娘二人の家族まで付け加えてあった。
初代小松屋庄兵衛は明暦2年生まれ(1656)義父で10代目になる。
義父は3年半前に94歳で亡くなったが義父の「家」に対する執着はかなりのもので40年ほど前に義姉の次男が生まれた頃から後継にすると言い続けていたが結局は叶わなかった。 彼の気持ちは自ら書き写した家系図に表れていると思うが彼自身がどうすることもできなかった。 

2015年11月10日火曜日

妻の実家ついに売却

兵庫県加古川市にある家内の実家が売れたと義姉から連絡があったのは7月の終わり頃である。 契約は売り手が更地にして10月末までに引き渡さねばならないとのことだから家財の整理もあり3ヶ月あるとはいえ急がねばならない。 
家は家内の所有ではないが2007年に神奈川県逗子市からアメリカに引越す際に家財道具の殆どを裏の蔵に置いてきたので処分しなければならない。
実家は100年以上経った古い商家で全体的には広いとはいえ間口の狭い典型的なうなぎの寝床。 義父が4年前に亡くなってから誰も住んでいない。
同じ市内に住む義姉が時折見に行っているが家は誰も住まねば傷みが早い。
昔繁盛した旧街道(山陽道)は今は人通りも少なくご多聞にもれずシャッター街になってしまった。 誰もが売れるとは思っていなかったところに突然近所の人が買うと言ってきた。いくらで売れたのか詳しいことは知らないがこのご時世では売れてよかったというべきだろう。
加古川も少しずつではあるがJR加古川駅を中心に周辺が再開発されつつあり実家の裏の昔ニッケの工場跡地に中央病院が建設中だ。 近所の買手はおそらく将来この近辺は開発が進むと判断してのことと思う。

さて解体する前に保存するものと廃棄処分にするものを整理仕分けしなければならない。
処分するものの中でも十分使用可能なもの、いくらの価値があるかわからぬが美術的骨董的価値のあるもの、書画などおびただし数の物品を仕分けするなど気の遠くなるような作業である。 また古い家は昔ながらの造りですばらしい材木がふんだん使ってあり私のものではないけれど単に取り壊してゴミにしてしまうのは耐えられない。
とりあえず骨董商とリサイクル業者、それに家の古材を生かすために古材商を呼ばねばならぬと考えた。
リサイクル業者はローカルでいくらでもあり最後にするとし骨董商と古材商をインターネットで探すことにした。 骨董商は近所にもあるが感触として田舎っぽい。さりとてどこがいいのか全く見当がつかないが幸い義姉が龍野の改野商店を探してきた。古材商は古材供給量と需要の多い京都中心である。 しかも自家倉庫まで持って来れば引き取るといい見に来るのは京都近郊、大阪北部、滋賀県西部までとのこと。思い余っていつも一時帰国するたびに会う高校の同級生に相談した。 西宮に住むM君が紹介してくれた3軒をネットで検索、ようやく「古材問屋」という気に入った先を見つけた。 ただしウエブサイトを見た限りではあるが創業の精神や古いものに対する愛着の念が伝わって来てビジネスだけではない気持ちが伝わって来るとれもいいサイトである。 
結果として大正解であることが後日判明する。

2015年7月24日金曜日

水彩画 (26)





ガレージセールで買ってきた額の中身が気に入らないので交換するために取り敢えず描いた。
気乗りがしないで描いた絵は上手い下手は関係なく(もちろん下手だが)面白くない。

2015年7月16日木曜日

Vegis in my Garden

Snow Peas (キヌサヤ)6月から収穫

鉢植えはバジル、シソ、ローズマリー、パセリ、その他オレガノ、タイムは地植え


Sun Goldというプチトマト、収穫始めて一週間、
色付いたのは取った後
キウリは本日収穫

イチゴは適していないのか身を結ばない。
たまに果肉が赤くだべられると思えばすぐに
鳥に食べられてしまう。

2015年7月10日金曜日

Humming Bird





Humming Bird likes this flower.

2015年7月8日水曜日

Summer Flowers

 April Shower birings May Flowers というがシアトルでは冬場の長雨が5月に終わりそれから一斉に色とりどりの花々が開花する。 4月から5月にかけて家の周りにはクロッカス、
水仙、チューリップ、バラ、背の高いところでは桜、梨、林檎、シャクナゲ、クチナシが花をつける。 6月も半ばを過ぎると下の様な夏の花へと交代する。
我が家の裏庭は海からの冷気で気温が3度Cは低いので花が長持ちする。











2015年7月5日日曜日

Happy Family

7月1日は息子のワイフの誕生日だ。今年40歳になる。
アメリカでは40歳は人生のTurning Pointとして大きなお祝いをする。
息子はサプライズ・プレゼントとして家族を含め彼女の親族、友人たち40人から密かにビデオ・メッセージを集め編集した。
勿論我々も頼まれたので練習をして短いビデオを作成した。 自分の映像を見ながら他人に話しかけるのは以外と難しい。 
ビデオとは別に家内は自分で編んだサマー・マフラー、私は以前から要望されていたフランスのカントリー(息子がMBA取得のため滞在していたフォンテンブロー近郊の町)の水彩画に大きいな生花を添えて贈った。 最近絵を描く楽しみを覚えたが他人のために一生懸命描いたのは初めてである。 他人にあげるのはおそらくこれが最後になるだろう。 


(上記は実際に贈った絵ではない。 6枚目の作品である。 最終作−8枚目は時間切れになりそうだったので描き上げると同時に梱包して贈ったので写真を撮るのを忘れてしまった)
後日息子は彼女に贈った40人のビデオをyoutube贈ってきたが彼と3人の子供達がそれぞれ感謝の言葉を述べていたビデオはお互いの愛情の証だった。  自分の直近のファミリーがハッピーであることは我々も同じようにハッピーである。

2015年6月5日金曜日

水彩画(24) Lake Como, Italy



Italy写真集よりLake Comoの風景を描く。 山の遠景と近景の色の差を出すのに数日試行錯誤した。静粛、清涼な山の湖の感じが描けていれば成功だが?

2015年6月3日水曜日

水彩画(25)Fericy, France


水彩画を習い始めてから9ヶ月になるがなかなか満足な絵を描けるものではない。
一部は良くてもその他はダメ、 これを修正しても他がダメ、 描くたびに色が変わる。
特に特定の景色(写真を見て)を描くときはある程度写真にこだわるので自由度が失われる(自分で自分を拘束してしまう)のである。
下の絵は7ヶ月前に描き始めたFericy, Franceの町はずれの散歩道。今回書いたのは6回目の作品だ。 前回までの作品を参考にまず構図をしっかり描いたのがよかった。 構図がよければ後の修正も迷いもない。 Fericyの散歩道はこれで終わり。












2015年6月2日火曜日

BETTE MIDLER 公演



アメリカの歌手、女優の大御所Bette Middlerのコンサートを見に行った。
いつ頃からファンになったかわからないが少なくとも1985年に家族を連れて2度目の米国赴任して以降は間違いない。 彼女のヒット曲「From A Distance」は何度聞いたことか。 今でもいつでもどこでも流れているALL AMERICANのヒット曲である。
歌だけではない。 Singing, Dancing, Talking いずれを取っても超一流。これほど観客を楽しませてくれるタレントは彼女以外にない。 数多くの映画にも出演。シリアスもコメディもこなせる大女優である。
年齢はを聞いてびっくり、 今年70歳になるとか。それにしても彼女は若くて綺麗でエネルギッシュ。 まだ40台にしか見えない。
観客の6割は50年前のティーン・エイジャー。 彼女と共に半世紀ほど過ごしてきただけに余計に親しみを感じるのだと思う。 歌の合間のトークにも観客は大いに湧いた。もっともジョークは私にはわからなかったがこれほど舞台と観客の距離(物理的ではない)が近い公演は見たことがない。
アメリカのエンターテインメントの真髄を見た気がする。
また彼女を見ていると動き回って喋りまくって大いに笑うのが若さを保つ秘訣かと思う。 

濱崎浩一



女子サッカー W杯







女子サッカー W杯 予選リーグ 日本対スイス がカナダのバンクーバー行われた。 
バンクーバーは我が家から車で3時間。 このような国際試合の公式戦を近くで見る機会は滅多とない。 しかも”なでしこジャパン”は前回優勝のチャンピオン。
1週間前にチケットを購入早朝に車を飛ばしてバンクーバーに向かった。 W杯といえばスタジアム周辺は早くから混雑するに決まっている。 アメリカーカナダのボーダーも時間がかかると思って早く出たのであった。 
シアトル周辺は早朝出勤の車で混雑。しかしカナダに近ずくにつれ車の数は少なくなった。 
国境では手前に車が一台だけ、通関するにはパスポートを提示するだけだけで1分もかからなかった。 スタジアムまで約30分。 到着したのは午前10時半。心配していた駐車場はどこもガラ空き。 人が集まりかけたのは午後3時第一試合(エクアドル対カメルーン)開始一時間前だった。 地元カナダや隣のアメリカが出場しないためか街全体が静かでW杯の盛り上がりは全く感じられなかった。
私たちは第2試合開始45分前にスタジアムに入った。 まず10万人収容のスタジアムの広さに圧倒された。 時間が経つに連れて一階席は8割がた埋まり次第に気分が盛り上がった。

選手が入場してまず感じたのはスイスの選手はたくましく背が高く逞しく日本の選手は肉体的に見劣りする。 
しかし試合が始まるとすぐにこの心配は払拭された。 
日本女子チームのパス回しの速さと足さばきに感心した。 そのうえ澤選手は攻守にわたる素晴らしいプレイは評判どうりだった。目に見えないけれど全員が澤選手に繋がっているようにみえた。
後半澤選手が抜けたらパスはつながらずボールは取られて攻められるばかり。 勝ったのはラッキーとしか言いようがない。

早々に決勝トーナメントに進むことになったが徐々に調子をあげてくれることを期待している。

2015年5月19日火曜日

水彩画(23)無題ー静物


いい画題が見つからないのでファミリー・ルームの暖炉の上にあるビールの空ビン(土瓶)を持ってきてキッチン・カウンターに置いてあったレモンを添えた。 それでもまだバランスが取れないのでグラスを加えた。
iPadで写真を撮ってこれをベースにスケッチし本番に入った。 
テーブルには格子柄のテーブルクロスが敷いてあり背景は雑然としたキッチンが写っている。 もちろん両方とも省きテーブルは木製プレイン な板の色。 背景は迷ったが明るいブルーにした。
ビールビンとレモンはほぼ満足に描けたが透明なグラスの描き方がわからない。一般的には薄いグレイかブルーにするはずだが不用意に背景をライトブルーにしてしまったのでコントラストが 出てこない。
翌日のクラスで先生に質問したが案の定背景がブルーでは難しいが軽いブルーで試してみたらと云われた。
ガラス越しに物を見ると線や模様は歪んで見える。 これを表現するのは非常に難しい。
何度か試みたが満足に描けなかった。結局グラスにビールをいれてみたらうまく収まったのである。

2015年5月12日火曜日

水彩画(22)Puget Sound Beach

Lynnwood Beach Park

Picnic Point, Edomonds

2015年5月6日水曜日

水彩画(20)静物


影の描き方が悪いので果物が浮いて見える。 
影の部分には白を残さないようにとアドバイス受けた。