地震の起きた3月11日は妻の実家のある兵庫県にいた。 地震直後はマグニチュード8.4と伝えられそれだけで驚いたが地震と津波、原発の事故の詳細はまだ判らなかった。
東京でも大きく揺れたとみえ交通機関が麻痺し都心で働いていた人は歩いて帰宅しなければならなかった。 私は夕方から夜にかけて帰宅する人のTVの映像を比較的醒めた目で見ていた。東京は交通機関がストップしているとはいえダメッジは大きくなさそうだし何よりも人々が落ち着いて行動している。 東京とは大災害に備え広報と訓練を徹底しているのでさすがに落ち着いているなと感心した。
東京在住の娘夫婦は義父を見舞うため午後に東京を出て地震のときは新幹線の中だった。 幸い少しの遅れで兵庫県の妻の実家に到着した。
翌日12日(土)になって被害の状況が次第に明らかになってきた。 娘の主人はフランス人で東京にオフィスをもっている。 社交的でフランス大使館初め多くのネットワークをもっているので一日中情報収集していた。 夜になって薬局にヨードを買いに行くという。 原子炉の事故で放射能漏れの危険に対処するためという。 結局2軒回ってもヨードは一般には売っていないらいしいことがわかった。 実は地震直後パリの実家から安否を気遣った電話があり母親がパリでヨードを買いに走ったらヨードは政府が管理しており市販されていないらしい。 ヨードは劇薬のはずだから日本でもフランスでも当然のことだ。 いささかオーバーリアクションと思ったが行動のすばやさには驚いた。(あとで知ったがヨードは放射能被爆に濃くかはあるらしいが素人では遣えないし副作用も大きいので慎重に対処するよう政府からも注意を呼びかけていた)
13日(日)には高校の東京クラス会有志が久しぶりに帰国したの私のために懇親会を開く予定になっていた。 幹事とメンバーに見舞いと開催の有無を問い合わせる(当然キャンセルと思っていた)メールを送ったが大したことはないから予定どうり行うという。 別のメンバーからも人数が減ってもやろうと返事がかえってきた。 東京在住の人が大丈夫というので行くことに決めたが妻は大反対。 しかし14日には成田経由シアトルに帰るつもりだったので全く心配もせず東京に行くことにした。
13日朝早く新幹線で東京に向かう途中 妻、娘、娘の主人、アメリカの在住の息子も含めて入れかわり立ち代り携帯に電話がかかってきて東京は危険だからすぐ兵庫県の実家に戻れという。 この時点で娘の主人は東京のオフィスを閉め大阪で指揮を取ることに決め家族(娘と孫)はシンガポールに避難することを決めていた。 彼は友人から極秘情報をもらったので東京に止まるのはよくないと強い口調で引返すことを主張した。 娘は東京に直接大きな被害がなくとも脱出ラッシュで身動き取れなくなるかもしれないのでできるだけ早く東京を出るように薦めてくれた。 忠告は有難いがこの時点ではまだいささかオーバーだと思っていた。
東京は日曜のせいか人数は少なめだったが何事もなかったように落ち着いて静かだった。 交通機関は正常どおり。 レストランや小売店も全てオープン。 一昨日の帰宅混乱はどこの話かと思うほど平常だった。 クラス会のメンバーは定刻に集まり地震の話を中心に和気藹々いつもながら楽しい時間を過ごした。 地震当日M君は帰宅せずそのままオフィスのソファで一夜を過ごしたという。 N君は中央区から荻窪まで5時間かかって帰宅したという。 まるで他人事のようにたんたんとした話しぶり。 さすが喜寿ともなれば落ち着きが違うと感心した次第。 この齢になってクラス会に集まる連中はだいたい心身共に達者なのだ。
ホテルに入ってからアメリカ大使館とフランス大使館に電話した。 アメリカ大使館は自動音声で他のナンバーにコンタクトせよともメッセージだけ。 日曜だけに無理もない。 フランス大使館に電話するとフランス語の肉声で応答があった。 英語で「今回の地震、原発事故で日本在住のフラン人に対し避難勧告を出されましたか」との問いに「いいえ避難勧告は出していません。 私たちは日本政府の発表を信じそれに基づいて行動しています」との答えが返ってきた。 ”日本政府の発表を信じ” というところに少し引っかかりを感じたが大使館だからこういう言い方をするのかもしれないとも思った。
あとで判ったがフランス政府は地震の翌日12日にはすでに避難勧告を出していたのである。娘の主人も当然その情報を受け取っていたので私に忠告してくれたのだがフランスがすぐ避難勧告を出したとすると東京でパニックが起るかも知れず緘口令を強いていたのである。
フランス政府の決断は素早く判断は正しかった。