2008年3月21日金曜日

米大統領選挙 (その17) ネガティヴ・キャンペーンと人種問題

ネガティヴ・キャンペーンと人種問題

圧倒的注目を集めている民主党の予備選がクリントンとオバマのネガティヴ・キャンペーンで熱を帯びたエネルギーが変な方向に向かい始めた。 こういう雰囲気になってくると両サイドの極端で無責任な意見が(クリントン側のフェラロの発言 オバマ側のライト牧師の発言など)飛びだしひいきの引き倒しになってしまう。 ひいては民主党全体がモメンタムを失うことになりかねない。

もとはビル・クリントンのN.カロライナの予備選での“Fairy Tale” 発言がネガティヴ・キャンペーンの始まりだった。 彼がベンチ入りして声を出し始めてから選挙戦の質が低下し始めたのである。 アメリカの元大統領ならもう少し品格と余裕をもって行動して欲しいと思うのだが彼の場合は独特のレトリックと押しの強さで一般大衆を圧倒してしまう。 彼の応援がクリントン陣営の組織票固めには役立っただろうが新たに反クリントンも生み出したので総合的にヒラリーのプラスになったかどうかは非常に疑問だ。 

民主党候補の一人であったクリス・ドッド上院議員(コネチカット-2月にドロップアウト)はクリントン陣営よりSuper Tuesday直前に強引にヒラリーを支持する(Endorse)よう電話攻勢をかけられたためこれに反発して翌日オバマを支持することを記者会見で発表した。
州代議員(Pledged Delegates)の獲得だけでは勝てないとみたクリントン陣営は今もSuper Delegatesの獲得に全力をあげているはずである。 議会や民主党組織内での元大統領ビル・クリントンと元大統領夫人、上院議員暦7年のヒラリーの影響力は絶大だがそれでもクリントン側のSuper Delegatesの獲得に大きな伸びがなくオバマにどんどん差を縮められているのはクリントン支持勢力に限界がありMajorityである中立Super-Delegatesが次第にオバマに傾いていることを意味している。 

選挙が煮詰り対立が絞られてくると外野席の応援団の声が一段と激しくなってきてしばしば勇み足が出てしまう。

オバマ陣営の外交顧問ハーバード大のサマンサ・パワー教授はオフレコのインタビューの中でヒラリー・クリントンについて、「彼女は化け物。どんな卑劣なことでもする」との発言がもとで彼女は辞任した。

民主党の元下院議員ジェラルディン・フェラロ女史はクリントンの資金集めのメンバーであったがカリフォルニアの地方紙のインタビューでオバマ候補は「彼が白人なら今の地位にはいないでしょう。 また女性でも今の地位にいないでしょう。 彼は黒人だからラッキーでした」とコメントした事が差別発言であると黒人やメディアが非難し今までくすぶっていた人種問題に火がついた。
あわてたクリントン側はヒラリー自身が「そうは思わない」と即刻否定し発言は適切ではないと陳謝した。 フェラロ女史は「私は白人だから非難される」と不本意ながら辞任せざるをえなくなった。

人種問題は民主党共和党を問わず一般社会でもタブーであり誰もコメントしたがらない。
とにかく誰が発言しても得することはない。

オバマが一転有利な展開に動き出したと見られたときに大きく水をさしたのがシカゴのトリニティ・チャーチのライト牧師(Jeremiah Wright)でミサの説教とも思えない爆弾演説をぶった。 超訳すれば次のようになる。
「9/11のテロ事件は自業自得だ。 アメリカは白人社会で我々黒人は長い間しいたげられてきた。 こんなアメリカは祝福されない。 アメリカなんぞ糞くらえだ。」
問題発言というより常軌を逸した言葉で少なくとも公衆の面前で説教するような内容ではない。
普通なら地方の牧師の極端な発言として報道はされ一過性で済まされるニュースだがオバマがこの教会に20年間通っていてライト牧師を人生の師と仰ぎ結婚式と二人の娘さんの洗礼まで立ち会った人物であるからオバマはライト牧師との関係を追及され一挙に窮地に立たされてしまった。 オバマは個人的に親しい間柄であることは認めながらも彼の発言は100%受け入れられないと繰り返し完全否定した。 彼がいくら否定してもこの騒ぎは収まらない。 当然である。

オバマが「人種を超えて一つになろう」と訴えてきたが一気に色あせてしまった。 私はオバマがライト牧師とは違うと理解しながらもどうしてこんな人物と20年も身内同様に親しく付き合い師と崇めてきたのか疑問に思うのである。 大統領になる人の周りにこんな人がいてはいけない。 
大統領はすべての知識を持っているわけではない。 叡智を集めて国家を運営するためにはホワイトハウスに優秀な頭脳と人格を持った人々を集めなければならない。 この優秀な頭脳を使いこなしリードするのが大統領の仕事である。 ハーバード・ロースクール出身の彼でも意外と人種の壁があって優秀な人脈が集まりにくいのかも知れない。 この点が私の危惧するところである。

メヂアがこの報道を始めてから保守派はいっせいに反発し無党派層の支持率は低下し始めた。
Super Delegatesの中にも一歩引いた人がいるだろう。
こんな事態の中でオバマは緊急に事態の収拾を図らねばならなくなったが人種問題の取扱は非常に難しい。 個人や家族の経験で理屈では解決できない感情を持っている人は多くいる。 同じ人種・同じエスニックの中でなら何とか話しが出来ようが多くの人種の中で感情論を廃して人種問題を議論するのは難しいし大抵の人が敬遠する。 
しかしオバマは16日のフィラデルフィアの演説会で開き直って訴えた。
「この国はまだまだ人種的偏見が存在するのは事実である。 私の白人の祖母でさえ黒人とすれ違うときは不安を覚えたといっていた。 ライト牧師の言葉は全く受け入れることは出来ないがこの国の将来をよりよいものにするためにこの問題に蓋をせず皆で考え討論しようではないか。 それが私の使命であると信じている」
彼は現在でさえタブー視されている人種問題を公に論議するべきであると正論で正面突破を試みたのでる。 彼はこの時点でうまく切り抜けてもこの問題が本選でも出てくると見て先にこの問題に決着をつけておいた方が戦い易いと見たのだろう。 ただ人種問題は個人の感情に根ざす微妙な問題であるから取り扱いは難しい。 感情論を廃して高い次元で議論しなければ逆に対立を深めることになりかねない。 この問題は法的にはクリアーされており残るのは教育と社会的実践によって両極の人々の偏見を取り除く努力をしなければならない。 時間がかかる地味な仕事である。 しかし30-40年前と比べて見れば随分様変わりしているのは事実だ。 今の若い人々には個人の感情は別として殆ど偏見はなく社会的軋轢は薄れてきたように思われる。

私が40年前にテキサスのダラスに赴任したときはダウンタウンにあるキャトルマンという高級ステーキハウスには“We Reserve Right to Refuse Service” という小さなサインが受付の後ろの壁にかかっていたのを思い出す。 ”黒人お断り“のサインである。 オフィスのあるビルのトイレに表示はなかったが白人用のトイレと黒人用のトイレは完全に分かれていた。

1956年ハリウッド映画「ジャイアンツ」-(ジェームス・ディーン、ロック・ハドソン、エリザベス・テイラー)の一場面を私はいつまでも忘れることはできない。 メキシコ人への偏見を取り扱った映画である。
テキサスのキング牧場の主人ロックハドソンが奥さんのエリザベス・テイラーと次男の家族を連れてドライブ旅行をしている途中に田舎のドライブインで食事をすることになった。 次男の奥さんはメキシコ人で奥さんだけが入店を断られる。 怒ったロックハドソンとドライブインの主人が殴り合いの喧嘩になったがロックハドソンは店の主人に殴り倒されてしまう。 しかし店の主人はそのあとに店に掛かっていた小さなサインをロックハドソンに “持っていけ”と放り投げたのである。 その看板には“We Reserve Right to Refuse Service”と書いてあった。

いまやアメリカのあらゆる製品には英語とスペイン語が併記されるようになった。街中ではあちこちでスペイン語の話し声が聞こえ選挙でもHispanic/Latino (80%がメキシコ人)が大きな勢力として台頭している。 

黒人もヒスパニックも韓国人も中国人も含めてマイノリティは昔ほどマイノリティではなくなっている。 経済的にも成功している人は多いし実力があればこの国での成功の機会は開かれている。 偏見をなくする努力は社会的にも政治的にも必要だがマイノリティ側も悲観的、否定的な面ばかりを強調せず積極的に挑戦することが必要だろう。
オバマ候補がいい手本だ。 4年前までは黒人が大統領候補の一番手になるとは夢にもおもわなかった。  今回でも予備選が始まるまではこんな展開は予想もしなかった。
アメリカは今回の選挙で大きく前進しようとしている。 オバマ候補はそのためにも大きな役割りを果たしている。