2008年3月5日水曜日

メディア 日本とアメリカ (1)  NYフィル 北朝鮮訪問

メディア 日本とアメリカ

アメリカに来て約半年になるがこれといった日本関係のニュースを聴いた覚えがない。
ニュースがないということは基本的に日米関係は悪くないと考えてもいい。 だが良しにつけ悪しきにつけ話題にならないのはすこし寂しい気がする。  もっとも日本は政治的にも経済的にも優等生で問題を起こさないからアメリカは安心しているのかもしれない。

ニュース全体では現在は大統領選挙関係が圧倒的に多い。 国際ニュースでは大まかな推定でイラク戦争・イラン・アフガニスタン・パキスタン+イスラエル・パレスチナ問題など国際紛争に関するニュースが30%、中国の政治・経済・軍事関係が20%、 ロシアを含むヨーロッパのニュースが20%、その他が30%というところだろう。
国別では中国がダントツの一位 食品・玩具・薬品など商品の安全性から金融・貿易まであらゆる分野で問題があり、軍事・外交ではアメリカとしのぎを削っているわけだから関心が集中している。
中国抜きでは政治も経済も回らないのでアメリカの対外政策の中心は中国であり日本は忘れられても仕方がない。

国際ニュースの取り上げ方は各国の拘わり方、立場によって随分違う。 またメディアの基本姿勢、記者やレポーターの質、報道の仕方などにより必然的に異なってくる。
最近の二つの出来事を日米英のメディアの記事を比較してみてその違いがよく判った。

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News No.1  NY フィルハーモニー 北朝鮮でコンサート 2月26日
ニュースの概略
NY フィルハーモニーは民間としては初めて北朝鮮を訪問しコンサートを行った。
コンサートは観衆の感動を呼び指揮者を始め楽団員も大変意義のあるコンサートであったと喜びを隠さない。 コンサートは韓国、アメリカにも同時放送されるといった異例の措置であった。

(2008年2月26日 読売新聞の記事)
NYフィル、平壌で初公演…金総書記は姿見せず 
米国の名門オーケストラ、ニューヨーク・フィルハーモニックが26日夜、平壌中心部近くの東平壌大劇場で公演した。
北朝鮮の党、政府幹部ら約1500人が鑑賞するなか、米朝両国の国歌も演奏された金正日総書記が鑑賞するとの観測もあったが、結局、姿を見せなかった。
米国のオーケストラの北朝鮮公演は初めて。2007年夏の北朝鮮の招請に対し、同フィルが米政府の支援を得たうえで応じた。
公演では、同フィル音楽監督のロリン・マゼール氏がタクトを振り、ドボルザークの交響曲第9番「新世界より」、米作曲家ガーシュウィンの交響詩「パリのアメリカ人」などが演奏された。  アンコールで朝鮮半島の民謡「アリラン」が奏でられると、会場から大きな拍手が起きた。

公演の模様は米国や韓国などのメディアの協力で世界に配信され、韓国では生中継された。北朝鮮も国内のテレビで生中継する異例の措置を取った。
今回の公演には、複数の韓国企業が資金援助などでかかわった。各企業は具体的な金額を明らかにしていないが、韓国メディアの事前の報道によれば、アシアナ航空が移動に使う北京―平壌―ソウル間のチャーター機費用約7億ウォン(約8000万円)、韓国でのテレビ独占放映権を持つMBCテレビが公演料と団員の宿泊費などで4億~5億ウォン(約4500~5700万円)を負担したという。
 また、世界のオーケストラや音楽家の支援を続けている熊本出身でイタリア在住の日本人富豪チェスキーナ・永江洋子さん(75)も資金援助した。 
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080226-OYT1T00529.htm
(2008年2月27日 読売新聞社説)
核実験から1年半足らず。北朝鮮の核廃棄へ大きな進展があったわけでもない。そんな状況下での公演では、北朝鮮の派手な歓迎ぶりも空々しく映る。
世界的な交響楽団ニューヨーク・フィルハーモニックが、平壌で初の公演を行った。
単に、米国の「文化大使」としての公演ではない。昨年8月、北朝鮮側が招待し、米国務省の後押しを得て実現した。政治的な色彩の濃い公演である。
公演は、昨年10月の6か国協議で、「交流を増加し、相互の信頼を強化する」とした米朝間の合意に沿っている。しかし、核廃棄に向けた肝心の合意事項は約束通り果たされていない。
北朝鮮が核廃棄への行動をとらないのでは、金正日将軍を楽しませるために、米国が使節団を送ってきたと、専制独裁体制の政治宣伝に使われるだけだ、との批判がある。その通りではないか。 (原文はつづくがここでの掲載はここでストップ)
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読売 
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080226-OYT1T00781.htm
朝日 
http://www.asahi.com/international/update/0226/TKY200802260464.html
日経 
http://sankei.jp.msn.com/world/korea/080302/kor0803021005001-n1.htm

朝日も日経も毎日も同じ様な論調で各記事はいたって事務的で愛想がない。  6ヶ国協議が行き詰るなか文化交流だけ進めるのは北朝鮮、金正日総書記を利するだけのことではないかと批判的である。
しかし日本は直接当事者ではなくとも一方は最も関係の深い同盟国アメリカでありもう一方は現在の問題の相手国・北朝鮮がである。 このような状況の中でなぜ両国がこのようなイベントを実行したのか新聞は解説していない。
もう少し深く考えてみる必要があるのではないだろうか。
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New York Times February 26
Philharmonic Stirs Emotions in North Korea

PYONGYANG、North Korea— As the New York Phiharmonic
sang out the opening notes of “Arirang,” a beloved Korean folk song, a murmur rippled through the audience. Many in the audience perched forward in their seats.
The piccolo played a long, plaintive melody. Cymbals crashed, harp runs flew up, the violins soared. And tears began forming in the eyes of the staid audience, row upon row of men in dark suits, women in colorful high-waisted hanbok dresses and all of them wearing pins of Kim Il-sung, the nation’s founder.
And right there, the Philharmonic had them. The full-throated performance of a piece deeply resonant for both North and South Koreans ended the orchestra’s historic concert in this isolated nation on Tuesday in triumph.
The audience applauded for more than five minutes, and orchestra members, some of them crying, waved. People in the seats cheered and waved back, reluctant to let the visiting Americans leave.
“Was that an emotional experience!” said Jon Deak, a bass player, backstage moments after the concert had ended. “It’s an incredible joy and sadness and connection like I’ve never seen. They really opened their hearts to us.”
The “Arirang” rendition also proved moving for the orchestra’s eight members of Korean origin. “It brought tears to my eyes,” said Michelle Kim, a violinist whose parents moved from the north to Seoul during the war. …. (to be continued)

記事は全体で上記の倍以上の長さがあり聴衆と楽団員の感動振りが伝えている。 音楽や芸術に国境は無くストレートに人々を感動させる。  文化交流そのものは政治的意図は持たないが結果として政治的役割やメッセンジャーとしての役割を果たす事がある。 今回のコンサートが1956年ソヴィエトを訪問したボストン・シンフォニーや1973年中国を訪問したフィラデルフィア・オーケストラのように音楽を初めとした相互の文化交流が始まり両国の雪解けのきっかけとなることを期待する。  
USA Today, Reuter, Times, CNN.comも同様 Positiveな姿勢でこの音楽交流を評価し今後の展開に大きな期待を寄せている。

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日本政府、日本国民、 日本のメディアは北朝鮮というと「拉致問題」と「国交正常化」強いこだわりがあるように見える。 私も関心がないわけではないがあまり拘りすぎると流動的な世界についていけないばかりが国際的に孤立し“世間知らずのボンボン”扱いされてしまうのではないかと危惧している。 
 
そもそも「拉致問題」を「北の核放棄」と同じレベルで考えてはいけない。
小泉元首相が訪朝し拉致された5人を帰国させそのまま引き止めてさらに家族の5人を帰国させたことは大成功であった。 それ以上を望むならば現在の外交的手段(手腕)ないし制裁手段に依存している限り進展を望むのは無理である。   
日本には最後まで拉致家族を救済する義務があるが手段としての選択肢がなさ過ぎるのだ。 戦後60年にわたる平和を当然のこととして外交努力を放棄してきた付けが回ってきたように思える。 特に北朝鮮に関してはその仮面をかぶった代表・朝鮮総連に50年間やりたい放題されっぱなしでどれだけ国益が損なわれたか考えてみて欲しい。  小泉元首相以外でやったことといえば1990年金丸訪朝団の「国交正常化」「日本による統治時代の補償」「南北朝鮮
分断についての補償」の約束である。 幸いこの約束は自民党の反対にあって反故にされたが歴史上最悪の外交交渉、無能外交の象徴的事件である。 言い換えれば過去の北朝鮮政権を支えてきたのはすべてを知りながら何もしなかった日本政府なのである。  

「拉致問題」は国家の主権が絡んだ重大な問題であるけれども影響するのはごく限られた国々、限られた人々、 しかも過去の問題で将来起こる可能性は少ない。 
一方「北の核問題」は日本だけではなく周辺国に対する直接の脅威および核拡散に関する世界的に重要な問題である。
しかも現在のようにイランやシリアなど核開発・保有をめぐって国際関係が緊張している中でこの問題の取扱がいかに大きな影響を及ぼすのか充分認識せねばならない。

日本政府は「日本は拉致問題解決なくして6カ国協議の決着も国交正常化なし」との強硬な姿勢を貫いているがそれが正しい選択であろうか。  外交は一次方程式ではなく幾通りもの答えがあるような高度の数学を解くようなものだ。 もう少し柔軟に考える方がよい。

ブッシュ大統領やヒル国務次官補が「拉致問題」は忘れていないというのは外交上のリップサービスである。 アメリカにとっては「核拡散防止」が「拉致問題」より100倍も重要なのだ。  (日本にとっても実はそうであるが誰も言う人がいない。 政府もメディアも世論の平均値に標準をあわせ正論を吐露しない。)  アメリカは最終的には北朝鮮は崩壊すると見ているもののそれまでに核の脅威が広がるのを恐れている。 核保有国が広がればアメリカのスーパーパワーも失われる。 これまでのアメリカの世界戦略を根本から見直さなければならない。   
アメリカは北朝鮮が崩壊するのは時間の問題と見ているからあえて武力行使しようとは思っていない。 外交努力は勿論だが大きな可能性は内部崩壊である。  ポーランドをはじめとする東欧諸国、旧ソ連も含めてすべてが西欧文化の浸透とビジネスによる内部崩壊で開放された。 北朝鮮は必死で情報をコントロールしているが国民が外の世界を知れば一気に崩壊するだろう。 文化交流はこの糸口を作る。 多くの人が世界を知れば知るほど崩壊と開放は早くなる。 芸術に対する人々の感動は純粋で素晴らしい。 政治に利用することは好ましくないが国を動かす力にはなる。  アメリカはここを見ている。   

日本の新聞は誰が資金を提供したかについて仰々しく伝えているけれど資金提供者の情報がそんなに重要だろうか。  わざわざ資金提供者をリストアップするぐらいならその人にインタビューしてこの事業をサポートした理由を聴くぐらいのことはして欲しい。 
最近両方の記事を読んでみて日本の新聞の国際ニュースは概ね外国メディアの報道の簡約である事がわかってきた。  日本のメディアは一般に情緒的、批判的、悲観的で記者個人の個性感性が感じられない。 簡約でもいいから外国メディアに見られるような活き活きとした人間性を表現して欲しい。

メディアは中立の立場でなければならないといって報道が無味乾燥なものになってはいけない。 好むと好まざるにかかわらずメディアはオピニオンリーダーであり世論の形成に大きな役割を担っている。
どうせ国民に大きな影響を与えるなら社説は勿論のこと一般の記事を通じて自らの意図を世間に訴えるような積極性があってもいい。 そうすれば新聞もTVももっと面白く賑やかものになると思う。