リーマンショック、東日本大震災、タイの洪水、EU通貨不安 Etc. この3年ほどは経済事件や災害を通じて金融・経済のグローバル化を否応なしに見せ付けられた時期であった。
こんな事件をきっかけに昔なら戦争や恐慌が起っていたかもしれないが昨今は主要国間で武力衝突や経済的ダメージを回避するために早急にかつ頻繁に協議が行われるようになりわずか50ー60年の間に世の中随分進歩したものだと思うようになった。
いつの頃だったか忘れたが(20年前頃?)ロボットが自動車の組み立てをするTVの映像を見たとき日本車の優位性が失われるのではないか、アメリカの自動車産業が復活するのではないかと直感的に思ったことがある。 なぜならロボットが作業するなら日米の組立技術の差は無くつなり製造コスト差は縮小されるからである。(その頃自動車の生産は途上国ではあり得ないというかむしろまったく考えもしなかった。)
しかしそれはIT技術の発達で製造技術が新興国、途上国に容易に導入され部品の製造、加工から車の組み立てまで可能になり(現在進行形ながら)東西、南北の格差を取り払ったのである。 まさに時代は歴史的な転換期を向かえ政治にせよ経済にせよ頭を切り替えなければならない時期に来ている。
Japan Mail Media (11月14日)で 経済評論家・津田栄氏が主宰・村上龍の「話題の多かったG20についての所感」につき次のように述べられているので紹介する。
<抜粋と要約>
『1990年に東西対立の終焉とともに、経済のグローバル化によって旧東側、途上国も飲み込んで一つの世界市場ができあがり、同時に先進国の没落と新興国の成長がスタート、パワーバランスの変化は起こるべくして起きているといえましょう。同時に先進国の没落と新興国の成長がスタート、パワーバランスの変化は起こるべくして起きているといえましょう。
そしてIT技術の進展が、そのスピードを加速しているといえます。つまり、経済のグローバル化によって、28億人の限られた先進国の市場が現在の70億人の 世界市場に変化して、供給サイドが爆発的に増え、商品価格が下落して、労働者賃金 が世界的な平均水準へ収斂していこうとしています。
その結果、先進国の労働者の所得が減少し、新興国の労働者の所得が増加すること
になり、先進国では個人消費を中心に内需が伸び悩むのに対して、新興国は設備投資、
生産が好調ななかで個人消費が伸びるなどによって、世界的に経済の流れが変わって
いったといえましょう。
同時に、先進国の労働者の失業、賃金の下落が止まらないために個人消費が伸び悩
んで景気は低迷し、拡大した財政赤字の改善策が見いだせません。今や先進国は、財
政赤字削減のために増税や行政サービスのカットなどを行おうとし、さらに景気の足
を引っ張る恐れがでてきています。そうした経済、財政、金融が絡まった複雑な問題
を小手先の政策で先送りするたびに深刻化させて、力を失いつつあります。そうした
ことが、今回のG20で明らかになったといえます。
最後に、今回のG20では、あらためて政治と経済の関係がクローズアップされた
といえます。つまり、政治と経済は密接な関係にありますが、ギリシャで見せられた
ように、経済の抱える問題を解決する上で、政治のプロセスを間違えれば、大きな問
題になるということが分かったのではないでしょうか。すなわち、資本主義による経
済は、政治における民主主義があってはじめて発展していくものですが、その民主主
義が揺らいだ時には、経済は上手く回らなくなるということです。
このように、国民からの声を受け止めながら国民へしっかりとした説明と説得を行
うという民主主義政治の原点を忘れて、国民に向き合わずに重要な案件を決断してい
く政治トップのリーダーシップが、ギリシャ、イタリアだけでなく、先進国全体に見
られます。このままで行くと、資本主義経済にとってもっとも重要な民主主義の政治
が揺らぎ、経済をおかしくするのではないかと恐れています。そして経済がおかしく
なれば、政治でも民主主義が持たなくなり、中国などで見られるような国家資本主義
に合った政治体制を、国民が求めていく可能性があります。
その点で、今回のG20で、野田首相にも同じ政治姿勢が見られます。野田首相が、
国民に事前に説明することもなく、消費税引き上げを唐突に約束してくるなど、国民
に真正面に向き合わずに政治を行う手法を取っていることに、大きな疑問を感じます。
今度のTPP交渉参加表明にしても、野田首相は、国民には関係国との事前協議に入
ると曖昧な説明をしながら、ハワイでは交渉参加を表明するなど、国民へ十分な説明
をしないで政治を行う姿勢が見られ、民主主義のプロセスを踏まないことが多いとい
えます。個人的には、このように国民に説明しないで決断していく政治姿勢を進めて
失敗したときに、その反動として究極的に民主主義が否定され、経済の混乱を招くの
ではないかと危惧しています。』