2010年1月19日火曜日

ハイチ地震が示唆する国の質と概念

ハイチ大地震が起ってから1週間がたった。 世界の最貧国を襲った大地震の惨状は目を覆うばかりでどこまで被害が拡大するのか把握しかねているのが実情だ。 

地震の翌日からアメリカを中心とした世界各国の救助と援助活動がスタートしているが首都ポルトオプリンスか崩壊しハイチ政府の機能が麻痺しているので困難の極みである。必要なところに必要な物資と人的援助が届いていない。 こうしたことは大災害が起こった後に世界のどこでも見られる光景である。 しかしここでは何かが違う気がする。
ハイチでは国民の80%が貧困層だといわれている。 (年間所得約$1,000) 最貧国の貧困層だから先進国のそれとは次元が違う。 普通の生活が生存の限界でありこれ以上の悪化は国民生活と国家の崩壊を意味する。 隣のドミニカ共和国でさえ年間所得は約8,000だからいかに貧しいかが判る。 
今回の地震被害の大きさと救援活動の困難さは国家の貧困さと政治・体制の脆弱さに起因するところが多いのではないかと思われる。 国民の大半が生きることに精一杯であり国が頼りにならないとすれば秩序も教育もあったものではない。 このような国が世界の最富裕国アメリカの目と鼻の先にある。
40年ほど前にアメリカとメキシコ・中米を何度も行き来していた時のことを思い出した。
当時は日本も今ほど豊かではなく一方アメリカは眩しいほど豊かな国であった。 しかし一歩国境を越えるとまったく違う世界が広がっていた。 埃っぽい大地と楽天的で明日のことはあまり気にしない人々。 しかしそこには生活の楽しさとわずかではあるが将来への希望があった。 アメリカとの格差はあまりにも大きかったが人々は明るかった。
それぞれの国に歴史があり文化があり自然がある。 そこに生まれ育った人々は好むと好まざるとにかかわらずそれを引きずって生きて行かねばならない。 
この時ほどい自分が日本人であることを意識した時期はなかった。 日本がいい国だと思い自分が日本人であることをありがたく思ったものである。 

インドネシア大地震も中国重慶大地震も地球規模の大災害であったには違いないが国家の維持と国民全体の生活に不安はなかった。 人々は災害の中からすぐに立ち上がり復興の息吹をみせていた。 それは国の支えと国際的な援助が緊急の生活を支え復興に希望を与えたからであった。 
TVの映像を見る限り今のハイチは混乱している。 国が崩壊しているから秩序が無い。国民は目先の生活の不安に加えて長期的に頼れるシステムが無い。 
人間は将来に希望が無ければ生きて行くのがむずかしい。 
国家の役割は国民の生存と安全を保障するため秩序を維持し国民が生活を維持するために自由に平等に活動できる機会を保障することであると思う。