2008年2月20日水曜日

米大統領選挙(その15) オバマのモメンタム(2)

オバマのモメンタム(2)

前半戦のヤマ場は2月5日のSuper Tuesdayであった。 後半のヤマ場は3月4日の大票田テキサス州とオハイオ州といわれている。 しかし今のオバマの勢いからすれば2月19日のウィスコンシン州の予備選が決定的に重要だと思っていた。 クリントン陣営としてはここでオバマに勝利しないとオバマの勢いを止められず残りの州がなだれをうってオバマに傾いてしまうからだ。 結果は58%対41%の大差でオバマの勝利となった。  同日のハワイではオバマ76%対クリントン24%だった。

クリントンとオバマの演説は何十回も聴いたし時折Scriptも読んだ。 クリントンの演説は迫力もあり説得力もあるがいつも同じ内容で同じ調子だから何回か聴いていると飽きが来てしまう。 その場にあわせてリップサービスも忘れないがこれがかえって白々しさを感じさせるのだ。

オバマのスピーチは流れがあり時間を経るたびに内容が少しずつ成長している。 彼のスピーチを聞いていると自然に彼の政治姿勢と人格が理解でき共感が沸いてくる。 
1961年ハワイ生まれ。 父親はケニヤ生れのイスラム教徒 母親はカンザス州出身のスウェーデン系移民の子孫。 父親は彼が2歳のときにケニヤに帰り母親はその後インドネシア人と再婚し6歳から10歳までインドネシアで過ごした。 
1960年代から70年代にかけてのアメリカはまだ人種や異宗教間での結婚に対して根強い偏見があり黒人の子供を抱えたシングルマザーの苦労のほどが察せられる。 
その彼がコロンビア大学を卒業後、数多の有力企業への就職機会があるにも拘わらずシカゴに住む貧しい人々をサポートするためのNPOに勤務した。 ここで政治の力で社会を改革するという現実的な課題と夢に挑戦するためハーバード・ロースクールに入学。 卒業後はシカゴにもどり人権派弁護士として頭角を現した。 草の根運動を通じて1997年から2004年までイリノイ州の上院議員、2004年からイリノイ州選出の上院議員を務めている。

彼の厳しい生い立ちと華麗な経歴が何の違和感も無く結びついているのは自分の夢を実現するために草の根運動を通じて一歩一歩階段を上ってきた彼の実績があるからだ。 
彼の演説に説得力があるのはこうしたバックボーンがあるからで決してヒラリーの云うようなレトリックではない。 若者たちが熱狂して支持する所以である。 

彼は出馬の当初から人種の壁を越えている。 もし彼が黒人層・貧困層を基盤として社会改革を唱えていたとしたらここまで支持は得られなかっただろう。  中産階級対富裕層という対決軸を取っていたとしてもここまで支持派得られなかっただろう。 
過去に予備選に出馬した黒人候補、民主党ジェッシー・ジャックソン(1984 & 1988) や共和党アラン・キース(2000)がいるがたとえ今回彼らが出馬したとしても今のように予備選が盛り上がったとは考えられない。

父親がケニヤ人、母親がスウェーデン系白人という生れながらに人種の壁を越えた生立ちが大きな器を生んだのかも知れない。 一般的にマイナスの条件と考えられていることでもその人の生き方によってはプラスにもなるものだと考えさせられるのだ。
彼が言うのは“家庭は貧しくとも母親や祖母は愛情と教育と希望を与えてくれた。 私がここまでやってきたのは希望(Hope)があったからだ”と。 こんな言葉が若者を奮い立たせ閉塞感に満ちた現在のアメリカを改革しようとする動機となっている。


時代は変わり偏見は薄れたとはいえ1月3日に僅か人口1%のアイオワ州が選んだオバマ候補を僅か45日の間に多くの候補を篩(ふるい)にかけながら彼を大統領に最もふさわしい候補として選び支持してきたアメリカ国民の情熱と公正さと寛容さに改めて敬意を表したい。 

願わくば新しいアメリカの象徴として来年一月にはオバマに是非ホワイトハウス入りを実現して欲しいものである。