2014年9月13日土曜日

朝日の罪と罰

朝日の記事撤回と謝罪が続いている. 
何しろ誤報や誇張と知りながら長期に渡ってしらを切るか抗弁してきたのであるから基本的にそのような体質であったのかもしれない. 掘り下げてみればもっと多くのにたような記事があるかもしれないしその為に被害を被った人がいるかもしれない.
いわゆる<従軍慰安婦>の記事は一連の記事としては国家・国民にとって余りにも大きなダメージであり朝日の罪は言葉では云い表せないほど大きい. 数回の謝罪では国民として納得行かぬし朝日自身の名誉回復もない.
朝日は主要各国の大手メディアに数回に渡り全面広告を出し事の経緯と記事の訂正・謝罪を掲載するべきである.それが国家・国民への謝罪の仕方だろう. 
それでも長年にわたるダメージは回復できないのである.

このような事件はアメリカではまず有り得ない.ジャーナリズムの精神構造が違い事件と記事に関する国民の目が違い疑惑が有れば徹底的に追及し議論(Charenge)する国民性が違う.
真実の追究・情報公開とジャーナリズム(報道と表現の自由)とは民主主義の基本である.
これを実行するにはジャーナリズムの自覚しかない.
「筆は剣よりも強し」と言われるが間違って使えば剣より遥かに恐ろしい凶器になるのだ.