2012年7月18日水曜日

原発再開必要「意見」はいけないのか?

原発の再開に関して活発な議論がなされているが最重要の国家的課題であるにも拘わらず感情的、情緒的な反対意見が多くまともな議論がなされているとは思えない。

2012年7月18日 読売新聞に下記の記事が掲載されている。

ーーー中部電力は18日、名古屋市で16日に開催された中長期的なエネルギー政策に関する政府主催の意見聴取会で男性課長(46)が発言した内容について、同社のホームページに、「福島第一原子力発電所事故の被災者の方々のお気持ちを傷つけるような不適切な発言があったことに関して、深くお詫(わ)び申し上げます」とした謝罪文を掲載した。

同社には18日までに電話やメールなどで「電力会社の社員は利害当事者だから、一般国民の意見を聞く場に出るべきではない」などの抗議が約470件あったという。
同社は「社員の個人的、自主的な参加であるが、指摘は重大であり、真摯(しんし)に受け止める」とのコメントを出した。ーーー

聴取会には賛成、中間、反対とそれぞれ3人を無作為で抽出したらしいので作為的な行為は全く無かったとしよう。
一般には原発再開反対が大勢をを占めるので賛成派はごく少数、しかも意見発表するとなれば余程強い意見を持つ人か関係者に当たる確率は大幅に上がる。 電力会社社員になる確率は非常に高い。 (九州電力、北海道電力の聴取会でも同じことが見られた) 電力会社の社員とことわっての意見であるから悪いことではない。電力会社の経営者でなければ聞く価値はあるだろう。大事なことは他人の意見を聴いて理解することであり言葉尻を捕まえて避難するべきではない。また電力会社社員だからといって発言の機会を封じるべきではない。
発表者が個人の自主参加であれば会社はどうして謝るのか。これもおかしい。 
電力供給という非常に現実的かつ最重要課題をどうして現実に基づいた議論が出来ないのだろう。 政府は需要が供給を上回った時点(Blackout)ではどうゆう事態になるのか(例えばニューヨーク大停電)切実に説明すべきである。
賛成派も反対派も頭ごなしに政府や相手のいうことは信用しないとなれば議論が成り立たない。相手のいうことがおかしいというなら事実や論理を持って論破しなければならない。要は事実と現実に基づいた将来のエネルギー政策を早急に決定することだ。
ドイツは原発事故のあと一ヶ月後に48時間ぶっ続けの国民会議で結論を出した。「30年後には原発を廃止する。 それまでは適宜発電、廃棄をしながら収束する」と言う結論を得た。メルケル首相は持論を曲げて原発廃止に賛成した。真に現実的でそれ以上でもそれ以下でもない。勇気のある賢明な変節だ。