2012年2月13日月曜日

教育の目的は(1)

アメリカでも日本でも教育が問題になっています。 
1977年から家族と共にアメリカに住んでいるので私の子供は小学校から大学までアメリカで教育を受けました。(途中一年半日本の小学校に通った経験がある) また孫の二人は今アメリカの小学校と幼稚園に通っているので親の立場を離れてアメリカの教育を見ることもできます。

アメリカの子供は一般的に学力は低いようですがコミュニケーションの能力が高く社会性に優れています。 これは多民族国家でのコミュニケーション、社会性の必要が背景にあるように思われます。 しかし学力が低い生徒が多く授業についてゆけず高校でのドロップアウトが異常に高いのが問題です。 一方得意の分野では大人顔負けの専門知識を持っている子供もいます。 学校も社会も子供の素質を見出し出来るだけ才能を伸ばそうというバックグラウンドがあるからです。
一方日本の子供は平均的に学力は高く知識も豊富ですがコミュニケーション能力が弱く自立性、創造性、応用力に欠けているように思います。
よく云われていることですが日本の教育の目的は「良い大学に入る」ことです。良い大学に入れば就職は非常に有利というのが現実で大企業=高収入=幸福の公式が成立てば「有名校入学」が教育の目的となります。試験結果でほぼ人生が決まると考えるのであれば「受験戦争」になるのは当然のこと。 テストは知識をためすペーパーテストが中心であれば知識の習得に重きが置かれるのは止むを得ないことです。
現実に大企業と中小企業・派遣社員の給料や福利厚生の格差が歴然と存在ししかも不況が長引いて雇用の保証がない時代には寄らば「大樹の陰」の安定志向を誰も非難できません。 大企業でなくとも日本では群れているほうが安全です。 「リスクテーキングを恐れないチャレンジングな人間」を育てるなんて云うのは不可能なことです。

アメリカは競争社会です。 原則として国籍、人種、性別を問わず機会均等をベースとして個人の能力が問われます。 移民国家ですから学者、医者、技術者、プロ・アスリートなど専門知識・技術を持った人々がワンサとやってくる。 農業労働者、土木労務者などなど不法移民を含めて下級労働者もどんどんやってきます。 アメリカの国民は上でも下でも職をめぐって国際競争していると いえるでしょう。 この競争に勝ち抜くにはまず体力と自分を売り込む弁(舌)力が要求されます。 アメリカの幼年教育(3歳-10歳ぐらいまで)を見ていると競争社会で生活してゆくためのベーシックをまず始めに習得しているように思います。