2011年1月27日木曜日

Korean Barber

平均して5週間に一回散髪に行く。 アメリカの散髪は雑だからシアトルに来るまでは殆ど家内にしてもらっていた。 ここに来て初めて散髪屋に行ったのはインターネットでSeoul Barbar という韓国人の散髪屋のReviewが非常に良かったので試しにやってもらったら評判通り丁寧でとても満足の行く仕上がりだった。 最近日本で散髪しても何がしか不満が残る。 ここのオヤジの仕事は完璧であり昔の日本の散髪屋を思い出した。 料金は$16、チップを$4プラスしても安い気がする。 

私の住んでいるリンウッド市は韓国人が多いと見える。市内の大きな通りにはあちこちハングルのサインが目立つからだ。 私が使っているサービスは殆ど韓国人。 上記散髪屋以外、クリーニング、家内のヘヤーサロン、郵便・小包取扱店、お気に入りの韓国レストラン、その他銀行、グローサリー、自動車ディーラー、修理店まで韓国人経営店がそろっている。 例外なく対応は丁寧で愛想がよい。 個人経営の小さな店でもこのような気持ちの良いサービスを続ければ人種や習慣を問わずお客は集まるだろう。 Samsungに代表される韓国ビジネスのみならず韓国パワーの秘密はこの辺(人)にあるのかもしれない。

私はここに来てから韓国ファンになってしまった。 

2011年1月26日水曜日

オバマ2回目の年頭教書

オバマ大統領就任から2年が経った。 1月25日は2回目の年頭教書である。 オバマの演説はいつも何をどのように話すのか内容と共に演説の調子を聴くのが楽しみだ。 
2週間ほど前に面白い提案が議員の中から出てきた。 名前は忘れたが民主党と共和党の一議員が会議場での席を交換して着席しようというのだ。 すぐにそれに賛同する議員が数人現れ両方から追随する議員が数多く現れた。 席の交換は個人的な話になるので具体的な数字は公表されていないけれどTVで見る限り3分の一ぐらいに達しているのではないかと思う。 女性議員が固まって陣取っているのはまるで女子学生の集まりのようで微笑ましかった。 毎年民主党は左の席、共和党は右の席にはっきりと色分けされて着席するのが長年の慣例である。 大頭領が演説中に拍手をして立ち上がるのは片方だけという場面がしばしば見られた。 いかにも双方の党が対立しているかのように見受けられた。 今年はばらばらに座っているのでそのような感じがしない。
オバマ大統領が演説で始めから終わりまで一貫して強調していたのは「やり方は違うかも知れないが目的は同じである。 この困難な時期にあたり両党とも強力して国家の難局を乗り切ろう」ということだった。 両党の席の交換はまるでオバマの意図を汲んで演出されたのではないかと思われるようなパーフォーマンスである(これは私の憶測で真偽の程はわからない) 
演説の内容はアメリカが直面する現実の問題(財政赤字、失業・創業、医療保険)を直視し民主党共和党のみならず国民全員が立ち向かわねばならないと国民の自覚を促した。 国防費削減、公務員給与の5年間の凍結を含む予算の大幅カットを提案した。
彼は”World is Change"という言葉を何回か使った。 「中国は世界最大のリサーチセンターを建設し世界最速のスーパーコンピュータを作り上げた」といって何でもアメリカが世界一ではない。 しかしアメリカは世界一を取り戻す力がある。 取り戻さねばならないと訴えた。 アメリカンドリームを取り戻すには教育を充実させなければならない。 韓国の先生はCountry Builderと呼ばれている。 先生の質の向上が大事であると。 (South Koreaという言葉は演説の中で4回も聴いた。 韓国はアメリカではRising SunでありYoung Partnerでもある。
オバマは云う ”We are argueing about everything. Democracy is mess. ......." "No matter where he is coming from, .... Anhyone has oppotunity. You can challenge anything. " This is America. The Best Country in The World.
オバマの理想は高いけれど非常に現実的で妥協もする。 政治の結果は妥協の産物なのだ。みんな勝手なことを言い合っているけれど最後のところではまとまり少しでも前進する。 それが民主主義というものだろう。

2011年1月23日日曜日

Negative Japan

最近朝夕インターネットでNHKラジオニュースを聴いている。 NJでは毎朝フジTVでニュースを見ていたが食事の時間はTVよりむしろラジオの方が良い。

さて今日は菅首相の施政方針演説を聴いたが内容・具体策の実効性は別として現在の日本の現状を何とか打破しなければならない、予算だけでも速やかに通したいという危機感というか意欲が感じられた。 仇敵・与謝野財務大臣の起用はその意欲の現われだろう。

しかしそれに対する野党の反応は社会保障制度の再構築、財政再建・消費税増、行政改革いずれも国民が必要と認めコンセンサスができているにも拘わらず反対一辺倒。 各政党とも最終目的は同じはずだが土俵に付くこともしないで非難を繰り貸す返す。これでは誰が政権を取ろうが現状の政治の貧困さから脱却できないだろうと思う。

残念だが日本の民主主義はこの50年成長していない。

 

2011年1月8日土曜日

日本の政治の柔軟性

最近家の内でも外でもあまり政治のに関わることを話ししなくなった。 日本の政治がお粗末でコメントする気にならないが政治に関心が無くなったわけではない。 むしろ日米問わず政治を心配している。アメリカも日本もこの半世紀で最も困難に時代にあり諸問題の解決は容易ではない。 オバマ大統領や菅首相の思惑どうりに世の中は動いてくれない。
私がアメリカの政治に興味を持ったのはアメリカに住んでいるからではない。 日本の政治を考える上でアメリカの民主主義、国民の政治意識と政治家の姿勢が大変参考になるからである。
民主主義の基本は自由な発言と他人の意見を聴く事。 少数意見を忖度、最終的には多数決で決まるがそれまでに歩み寄りの努力をしなければならない。
日本の政治にはそれが見られない。 全く柔軟性が無い。 その原因の最たるものが党議拘束である。 国会議員は各党に所属してはいるがそれ以前にここの意見を持った独立した個人であり各選挙区の代表である。 同じ党の議員ならすべて同じ意見を持っているとは限らない。
議員は個人としては政治家としてのビジョンと素晴らしい資質を持っている人が大半だと思う。 然るに党となると全く話にならない。 だから政治が硬直化して国が前に進まないのだと思う。 もし党議拘束をはずして個人投票にすれば国民の意見、意図するところが議会に反映されるのではなかろうか。