2007年12月4日火曜日

車のはなし

New Yorkの空港に降り立ったらすぐに必要なのが車である。 誰かに迎えに来てもらう以外はレンタカーかタクシーやリムジンで帰宅することになる。
日本のように荷物は宅配便で送って自分は電車やバスで帰ることはできない。

今回アメリカにきてから一番目立ったのは日本車の増加振りである。 日本車がシェアーを伸ばしているのは周知の事実だがこれほど目立つとは思わなかった。 ただしここで云う日本車とは”Made in Japan”車ではなく”Made in USA”を含む日本ブランドの車のことである。
私の住んでいるタウンハウスの中で外に停めてある車を数えてみたら全体で68台, その内日本車が36台(53%)、アメリカ車が20台(29%) 欧州車&その他が12台(18%)であった。 ガレージの中に入っている車はわからないから上記の数字はあくまで参考である。街中や幹線の高速道路を走りながらも同じ様な比率に感じたしショッピングセンターや図書館のパーキングでも数えてみると日本車の比率はもう少し大きかった。 それも一回限りではない。 癖になって違う場所でも数えてみたが同じ様な結果が出た。 しかしトヨタが販売台数でトップに躍り出たのはごく最近ことであり日本車のシェアーが36%を越えたことがなかったので統計上は決してそうはならないはずだ。 私の周辺で日本車が目立つのは私の住んでいる地域の特殊性のか原因はよくわからない。 誰かこの疑問に答えてくれる人はいないだろうか。

11月7日の新聞紙上で相次いで自動車メーカーの決算発表があった。(日米最大のメーカーの決算は対照的であった。)


米自動車最大手ゼネラル・モーターズ(GM)が7日発表した2007年7~9月決算は、純利益が389億6300万ドル(約4兆4400億円)の赤字となり、四半期ベースでは過去最悪の赤字幅となった。 (Google Online)

トヨタ自動車が7日発表した2007年9月中間連結決算(米国会計基準)は、海外での好調な販売を背景に営業利益が前年同期比16・3%増の1兆2721億円だった。(Google Online)

ここまで日本車が売れた直接の原因は原油・ガソリン価格の高騰で燃費の良い日本車が選ばれたのはまちがいないがアメリカ車も最近は改善されて数値的にそれほど大きな差はないと思われる。 しかし長年燃費のよさを売り込んできた日本車は神話に近い評判を得ている。 
もう一つ見逃せないのが故障率の低さである。 (1980-90年代前半のアメリカ車の故障率はひどかった。 新車でもよく故障した。) アメリカは車なしでは生活できない。車は何時故障するかわからないし故障すれば会社も学校も買い物にも行けない。修理に少なくとも2-3日はかかりその間の生活は他人に世話になるしかない。 
「故障が少ない」ということ燃費と違って数値化しにくいのであまりピンとこないが故障で苦労した人にとっては(殆どの人が経験している)もっとも効果のあるセールス・キャッチフレーズである。 誰も実際にはこの言葉で宣伝していないがアメリカ人の確固たる口コミは強力である。 

(環境問題と排ガス規制)
いまや環境問題は待ったなしで地球規模で取り組まねばならない。 日本車は排ガス規制もいち早くクリアーした。 

しかしアメリカでは
カリフォルニア州は地球温暖化対策のため、2009年製以降の車を対象に、ガスの排出量を30%削減するようメーカーに義務付ける法律を2002年に可決。しかし、連邦政府の規制より厳しい内容のため、同法の施行に際し、連邦規制の適用除外を環境保護局に求めていたが、承認を得られなかった。 自動車業界は、コスト高につながる同法の施行に強く反対している。 (Yomiuri online 11/9/07)

排ガス規制など環境保護に対する法案にたいして産業界を保護する名目で反対し続けたブッシュ政権が逆に自動車業界をはじめ産業の国際競争力を失わせる結果に至ったことはまことに皮肉である。

日本でも一時オレンジや牛肉、米の自由化で大騒ぎしたことがあるが業界として合理化が進み生残るものは生残って今も進化している。 消費者も質、量共に恩恵にあずかる結果となっている。 いずれにせよ業界保護は一時的対処できても長期的な解決方法にはならない。 
通信と物流が飛躍的に発展した今日、一人よがりの”政治的”経済政策はもはや通用しないことを日米両政府とも認識すべきである。

日本車がアメリカに輸出され始めてから約半世紀が経つ。 1960年代では日本車はアメリカのFreeway(高速道路)を走れる性能も耐久性もなかった。 長年のたゆまぬ努力が今日の地位を築き上げた。 今回の両社の決算発表は象徴的である。もはや日本車に対するバッシングは起こりえない。

アメリカの車はすべてOne Size
大きい。 日本の車に慣れてしまった私はAmerican Sizeを感覚的に忘れていた。 ちなみにアメリカでは大きくなった現在のモデルのToyota/CamryやHonda/AccordもMid Sizeである。昔はCamryもAccordももっと小さかった。アメリカ市場を重視すればするほどアメリカ人の標準と好みに合わせてモデルチェンジのたびに大型化してきた。 アメリカでは大きいこと(スペース)と強いこと(馬力)は常にいいことで車のみならず生活文化や政治の世界でも基本的精神である。
一般的なアメリカ人の体格からすればCamryがMid Sizeだといえば納得するしかないがセダンもSUVも必要以上に大きくなった 。 ”Eco/Green”生活を標榜しながら一人ひとりがこの大きな鉄の塊を毎日動かさねばならない生活には大きな矛盾を感じている。 
会社やコミュニティの取り組みがいまひとつ現実感を伴わないのは個人の生活や文化の基本姿勢にあまり変化が認められないからかもしれない。