2007年12月4日火曜日

Bedminsterの土地保全・環境保護


Bedminster, Where I Live-Where I Love

私が住んできるニュージャージー州ベッドミンスター(Bedminster)はNY/マンハッタンからハドソン川をこえて78 号線を真西に車で40分走ったところにある。 さらに西に40分走ればペンシルベニア州に入る。 287号線を北に50分でUpstate New Yorkに抜け南はプリンストンまで40分のとても便利なロケーションにある。 ニュージャージー州はアメリカで4番目に小さな州だ。

この地には今から350年ほど前に宗教の自由を求めてヨーロッパ各地から渡ってきた人々が次第に定着した。1794年には英国王ジョージ2世によりTownship of BedminsterとしてCharter(英国王から個人・商社などに下付された特許状により建設された植民地)されてから正式に英国の植民地になった。 当然英国の影響が強くなりイングランドや アイルランドからの移住が増えた。 郡(County)
の名前をサマーセット(Somerset)と云いベッドミンスターという町の名前も近郊の町(Oldwick, Bernardsville, Basking Ridge, Somerville, Somerset)もイングランドのサマーセット郡にある町の名前から取ったそうだ。 
私は1990年代の初めにこの近くのゴルフ場に来たときになんと自然の美しい田舎だと感動したがこの辺一帯の地形と景色がロンドン郊外の緑があふれるローリングヒルに似ていると思ったのは私だけではない。 しかし会社からは遠いし全くの田舎だと思っていたから10年ほどあとにここに住むことになるとは思ってもみなかった。

19世紀の終わりごろにNYの裕福なファミリーがカントリーライフを楽しために”Farm”と称する牧草地に大邸宅を建て始めた。 同じ頃にNYの大富豪Grand B. Schleyが将来の開発を見越して1500 Acresの丘陵地を買った。 この土地が1970年台の後半から25年かけて出来上がったニュージャージ州最大の新興住宅開発地 “The Hills”である。 50年ほど前は100戸もなかったこの田舎にいまや3600戸/8400人が住む町になった。 コンドミニアム, タウンハウス, 一戸建からなる22個のコミュニティとショッピングセンター, ドクタービル. 小中学校がある。

RuralとUrbanの境目にあるこの町が大規模開発にもかかわらず100年昔と変わらぬ美しさを保っているのは市の開発のビジョン, 住民の自然保護の精神と新たな開発ラッシュのプレシャーと戦う意思と努力を抜きには考えられない。
開発が急速に進んだのは1966年にHighway 287が、1970年にHighway 78が開通したことによる。 交通の至便さからAT&TやMerckなど巨大企業の本社・研究所が相次いでこの付近に移転してきた。同時にOfficeや住宅の需要が高まり周辺は次第に開発されてきた。
ベッドミンスターの開発の成功は町の一部に新規開発を集中し残りの自然を守ったことだろう。人口の95%が総面積(16,400 Acres)の9%の“The Hills”に集中的に住んでいて残りの91%(15,000 Acres)がFarmである。Farmとは大邸宅付きの牧場で勿論全部私有地である。 この土地が100年以上変わらぬ自然の美しさを保っているのは広大な土地の所有者もタウンハウスの住民も付近に散在する企業も全員がこの自然環境の保全を望みそれぞれにその費用を負担しているからだ。
しかし土地の所有は永遠ではない。個人であれ法人であれ事情があって手放さねばならない時もある。 これほど魅力にあふれまとまった土地なら売りに出されれば即時に売れるだろう。 不動産大手や投資家グループにとっては数百エーカーの土地を買収するのは大した金額ではない。
彼らと対抗しどうすればこの土地と自然を守れるのか市当局と住民は長年知恵をしぼってきた。いずれにせよ自然と土地を保全したい市当局・住民と開発のために是非手に入れたい業者の間ではなかなか話がまとまらない。土地売買と開発をめぐって両者の間で長年訴訟がいまも絶えないのである。 訴訟費の負担増加がまたこの町の財政を圧迫している。

1998年以降私が知っている環境保護と土地保全のための3つのエピソードをご紹介しよう。

(その1)
1990年代通信業界の最大手AT&Tは通信・IT革命に遅れを取り経営が悪化していた。 
1998年リストラクチャリングの一環としてBedminster/Far Hillsにまたがる”Moorland Farm” (250 Acres)を売り出すことになった。 NJ鉄道Peapack-Gradstone線・Far Hills駅のすぐ前である。 駅を降りて10mほどの道を横切ればそこが牧場の入口で草地と林が緩やかな丘の稜線まで続いている。 丘の上には大きなLandmark Farmにふさわしい大きな南欧風の邸宅と併設されたサイロと厩舎がみえる。 
しかしこの土地の売却には全体をオープンスペースとして残し”Steeple Chase Horse Race”(草競馬)とローカルのピクニックやマラソン以外に使用することは出来ないという条件がついていた。 
さらに市当局は買手が将来万一転売せねばならない事態になったとしても次の所有者は最大限10エーカーに18戸の建設のみ認められるという制限も付けていた。 これでは新たな開発は出来ない。
結局富豪の有志が集まって“こんな素晴らしい条件”の付いた物件はよそ者の手に渡る前に我々が買い取るべきであるということになりFar Hills Race Meeting AssociationというNPOを組織して買い取ることになった。 Moorland Farmは今もFar Hills駅舎と共にBedminsterのLand Markとして残っている。

(その2)
1983年にモロッコの王様・ハッサン2世は別荘としてFar Hills駅から西の丘陵一帯に広がる500 AcresのFarmを買った。 丘の上にあるこの大邸宅は1906年に建てられたEnglish County Houseで“Natirar”と呼ばれている歴史的建物である。 この丘の上から眺めるRaritan Valleyの景色はまさに"Gorgeous"というに相応しい。
ハッサン国王は2年かけてこの邸宅を改装したが完成したときに一度訪れただけでその後一度も泊まったことはなかったそうだ。 1999年にハッサン2世がなくなりこの土地は売却されることになった。 
不動産開発業者にしてみれば駅近くの広大な土地-主要Hwy287線とHwy78に数分でアクセスできる便利さ、しかもインフラはすべて整っている土地-は喉から手が出るほど欲しい物件だ。
“Natirar”の建物は文化財的価値のある一番大きな建物で敷地を流れるRaritan Riverの支流は水道源としても利用されている。 自然と文化財保護に熱心な住民の陳情でSomerset Countyが買取りCounty Parkとして一般公開することになった。  “Natirar”の建物と周辺の土地80Acresは英国の実業家・冒険家Sir R
ichard Bronsonがリースして“Virgin Spa at Natirar”というメンバー制高級リゾートホテルとして生まれ変わることになった。 現在改装中で2009年にオープン予定。 これで自然はそのまま残り歴史的な建物も改築して保存されることになった。 周辺
一帯が一般公開されたおかげで私の散策コースがまた1つふえたのである。

(その3)
Bedminsterの中央に495エーカーのFarmlandがある。 この地の所有者はボストンに住む85歳(2001年当時)の老婦人であった。 ここは牧草地で特に何かを経営しているわけではなかったが正式には毎年$210万ドル(¥2億3千万)の不動産税を払わねばならなかった。
何もしないでこれだけの税金を払えるのは相当の資産家でなければならないが2000年以降土地の価格が毎年上がるため不動産税も急激にあがってきた。 以前からこの土地の売却問題は何度もうわさされていたが市当局も土地評価を抑えたり税金を特別に割り引いたり個別交渉で売りに出されないよう協力していたのである。 この方法も限度があり老婦人はこの土地を手放さざるを得なくなった。
対策に窮した市当局は議会に諮り緊急避難的に市がこの地の税金を直接負担することにして彼女に売却を思いとどまってもらうことになった。ということは市民全員がそれぞれの土地の所有面積に応じて自然環境保護税を支払うことになったのである。 私のタウンハウスはわずか1/4エーカーだが$82.00の自然保護税を支払うことになった。 私は$82.00でこれだけの美しい自然を満喫させてもらえるなら喜んで支払う。 しかし100エーカーの所有者なら自分自身の不動産税に加えて$32,400を追加負担しなければならない。 何時までもこの方式が続くはずがない。 結局この土地は2002年にNYの不動産王Donald Trumpがゴルフ場建設のために買い取った。

市としては商業地・宅地として開発されるよりはゴルフ場として開発されるほうがまだましという次善の策をとったのかもしれない。 現在はTrump National Golf Clubとしてオープンしている。(まだ一部工事中) US Openも可能な36 ホールの名門コースを目指して400本の巨木を移植し景観を整えたという。 以前に時々ドライブしていた美しいCountry Roadが今はゴルフ場の造成中になくなってしまったのは残念だが近い将来メジャートーナメントが開催されることを期待している。

いくらお金持ちといえども個人としては限度がある。 また時を経てこれらの資産を相続する人たちも経済的には大きな負担をしなければならない。 個人の資産に比べれば不動産業者、開発事業者、投資ファンドグループなど企業の資金は無限大といってよい。 
いつまでこの美しい自然と景観を保存し続けられるかはひとえに住民の意思と何処まで経済的負担に耐えられるかによるが、結局いくら個人の資産家グループが結束しても市民レベルでは大きな資金に対抗できないので公的機関が介入・買上げする以外開発をストップすることは出来ないだろう。

アメリカの待合室とジェネリック医薬品

アメリカの待合室とジェネリック医薬品

最近左小指の腱鞘炎で整形外科に行きその後左目の結膜炎で眼科に通った。
医療に関し日本でもすぐに見習って欲しい2つの課題があった。 
予約制とジェネリック医薬品である。

1.予約制
アメリカで医者にかかるにはまず電話して予約を取る必要がある。
電話で症状を説明し予約をとる。急患ならすぐにでも受け入れてくれるし個人の都合も考慮して柔軟に対応してくれる。
予約時間に病院に行けばたいてい数人の患者が待合室に居る。 初診の場合は簡単な手続きを済ませて10-15分待てば個別の診療室に案内されここでさらに10-15分ほど待つ。 Doctorはせいぜい5分程度診療および治療をしてたいていの場合は処方箋を書いてくれる。 支払いが必要な場合は数分で終わり病院を出る。所要時間の合計は大体30-40分。 
再診で一ヵ月後に整形外科に行ったときは待合室での待ち時間が5分、診察室で10分、診療と処置(注射)が3分、 支払いは月毎に請求書が郵送されてくるので支払いのための待ち時間はなし。 20分ほどですべてが終わった。
実質的な診療は日米とも大差はないがアメリカでは患者は長時間待たされることはない。 待合室は入れないほどの患者が待っていることはまずない。 

今年の夏に逗子の眼科と鎌倉の皮膚科に行ったがいずれも予約制はなく待合室にはいつも10-20人が待っていた。 待合室に入れない人は診察券だけ入れて外で時間を潰している。待ち時間は大抵1-2時間。 受付で何曜日の何時が空いているのか聴いてみたが殆ど毎日朝・昼・夕を問わず混んでいるようだった。 このような状況は上記2つの医院だけに限らず大病院から町の診療室まで殆ど同じ状態だと思われる。
平均待合室で待っている患者が5人であろうと20人であろうと一日の診察件数は限られており病院・医院も最大限対応するべく精一杯努力している。 だから予約制にして待ち人数を5人平均にしても医者の診療効率は全く変わらないはずだ。 
私がお世話になった逗子・鎌倉の先生はいつも「大変長くお待たせして申し訳ありません」と本当に気にされているようだった。 
インターネットで検索してみると多くのシステムが紹介されている。 価格もリーゾナブルで簡単に導入できるはずだ。
満員の待合室で2時間も待っていると病気でなくとも疲れてしまう。
予約制にして困る人はいないので何とかしてもらえないだろうか?

2. Generic医薬品
  日本でもTVコマーシャルでおなじみだから説明する必要はないと思うがジェネリック(Generic)医薬品とは特許が切れた後に製造される薬で成分・効能は全く同じでも価格の安い医薬品のことを云う。
アメリカでは医者がMedicare(65歳以上の高齢者を対象とする国家管理の医療保険)の患者に処方箋を書くときは常にGeneric医薬品を優先せねばならないこと。 特定の医薬品(Preferred Brand)を使用するときは医者が患者に説明する義務があることが法律で定められている。
日本の国民健康保険は国家が管理し掛金と税金でまかなっているのだから処方箋は自動的に価格の安いジェネリック医薬品を優先使用するべきである。 専門知識のない患者が医者にジェネリック医薬品の使用を申し入れる制度は本末顛倒で患者が特定医薬品の使用を希望するときのみ医者に申し入れするべきである。 医者が特にそれを使用する場合は医者に説明責任を負わせ患者の了承を得るべきだと思う。
社会保障・医療制度が財政的に危機的状況にある現状からすれば早くジェネリック医薬品優先使用を法律化して欲しい。 これが出来ないというのは厚生省と医師・薬品業界の関係が疑われても仕方がない。
薬品会社は特許期間中に充分利益を得たはずでありGeneric医薬品制度を優先すれば
一般的にも薬価は下がり財政・医療の改革にも随分貢献すると思える。

これを書き終わった直後に次のような記事が掲載されていた。
  「11月9日に開催された中央社会保険医療協議会(中医協)の小委員会。厚生労働省が示した後発医薬品の利用促進案があっさり了承された。」-NB online-
  年間5000億程度の医療費削減になるようだ。

米大統領選挙(その1)  新たな争点:移民問題

あまりにも多い不法移民

TVで”不法移民(Illegal Aliens)に自動車運転免許証を与えるのをどう思うか”というCaptionが流れたときに私は一瞬上記2つの言葉がどう結びつくのか戸惑った。 アメリカ人でもその意味するところをすぐに理解できる人は少なかったと思う。
報道の内容は今年の9月21日にスピッツアーNY州知事(民主党)が提出した“不法滞在者も自動車運転免許証が取得できる”法案に対し反対意見が非常に多いということだった。 民主党支持者の間でも反対意見は多くCNNの調査では全体では86%が反対、11%が賛成、その他3%の結果だという。 私にしてみれば11%の賛成意見があるというのが驚きである。 
スピッツアー知事の法案提出理由は
1. NYには数万人の無免許・無保険の運転者がいる。 その大半が不法移民である。 彼らは運転教育もテストも受ける機会もないので事故率が高くひき逃げ事故も多い。 したがってNYの保険料率は非常に高い。(無保険者との事故に巻き込まれたときの損害・障害を補償するための保険は強制ではないが必須である。)
2. 彼らを正式に法的ネットワークの中に取り込み身元確認できるようになるのでテロリスト対策にも貢献する。
支持者(多くはラテン系住民)の理由は
  不法移民は“善良な”働き手であって犯罪者ではない。需要があるから彼等の労働力を提供しているだけである。 彼等を社会のネットワークの中に組み入れることにより社会の安定がはかられる。

しかしこの論理は少々無理がある。 そもそも不法入国・不法滞在者が身元を把握されるシステムに登録するであろうか? 彼らの大多数が低所得者であるから車に保険を掛けることができるか? 保険会社が彼等を対象に安い保険を販売できるのか? Social Security Number(社会保障番号)がないのにどうして正式に税金を納めることができるのだろうか? 答えはすべて“No”である。

そもそもアメリカには戸籍や住民票の制度はない。 自動車運転免許証が普通の人にとっては一般的な身分証明書である。〈パスポートは一般的ではない〉 この証明書を不法移民に発行しようというのは法的に矛盾しないか?
結局多くの反対にあってスピッツアー知事は11月になってこの法案を引っ込めざるを得なくなった。
しかしこれですべてが終わったわけではない。 
ヒラリー・クリントン民主党大統領候補は10月にNY州知事の法案支持を表明した。 しかし10月30日フィラデルフィアでの民主党大統領候補デベートではエドワード候補に賛成か反対かを突っ込まれ意見も言葉も濁したため彼女の言葉は信用できないと他の候補からも集中砲火を浴びてしまった。
これを機に彼女の独走にストップがかかり11月半ばのアイオワ州(最初に予備選がはじまる)での支持率が2番手のオバマ候補(30%)と逆転しクリントン 24%までに落ち込んでしまったのである。 アイオワの票数は少ないが1月8日に迫った最初の予備選であるためこの数字は非常に意味がある。 
この議論が続くなかで全米の8つの州(ハワイ, メイン, メリーランド, ミシガン, ニューメキシコ, オレゴン、ユタ、ワシントン)が不法移民に対して一定条件さえ満たせばすでに運転免許証を発行している事実を知ってさらに驚いた。 民主党大統領候補の1人であるロバートソン・ニューメキシコ州知事が上記デベートの最中にニューメキシコではすでに実施中であり問題ないと主張した。(候補の中でロバートソン氏のみがこの法案を支持している)

不法移民の数字は推定で1200万人といわれている。 国境を接しているメキシコから680万(57%)ラテンアメリカから300万(24%)とラテン系で81% を占める。農業労働者が圧倒的に多く建設、清掃など特定の業種では彼等を抜きには成り立たないほど経済的に組み込まれている。 だから不法移民は犯罪者(Criminal)ではなくアメリカに必要な労働者であり「彼等に運転免許証を与えなければならない」という論理が成り立つのだ。

アメリカは本来移民の国である。 何代かさかのぼれば殆どの人のルーツは移民である。
移民の理由はさまざまで新しい仕事をもとめてやってくるひと、宗教的、政治的、民族的迫害を逃れてきた人、革命や戦争による難民、それに統計にあらわれない不法移民を含めてそれぞれに希望と決意をもって来たに違いない。 アメリカは出来うる限りこうした人々を受入れてきた。 
US Census Bureau(人口統計局)は1776年独立以来、現在まで各年の詳細な移民の記録を残している。
約100年前の1910年には米国人口9200万のうち外国生まれが1350万(14.7%)もいた。
この統計にはアメリカ生まれの2世、3世は含まれていないから、いわゆる私たちのようなESL家族 (English as a Second Language-家庭では英語以外の母国語を話す家族)は3000万人近くいたと推測される。 
2000年の調査ではNY Cityの人口(800万)の35.9%(287万人)は外国生まれ(全米11.1%‐3000万人) ESL家族は47.6%-(380万人)(全米17.9%-4840万人)にもなるそうだ。 
アメリカは今でも外国人に対して限りなく寛大であるのはこの辺に理由がありそうだ。

11月28日に行われた共和党大統領候補デベートでも移民問題(移民受入、不法移民対策)は国際テロ対策や国内治安問題と絡んで候補者の間で最も熱を帯びた議論になった。 このデベーとでこれまでの世論調査でトップを走っていたジュリアニ元NY市長とロムニー・マサチューセッツ州知事が個人非難の泥仕合を繰り広げているうちに苦学と誠実さアッピールしたハッカビー・アーカンソー州知事が一躍
首位に躍り出た。 TVは議論の中身以上に候補者の表情、話し方、聴衆の反応まで即座にさらけ出してしまうので怖い。 意外な人が大統領になる理由はこの辺にあるのかも知れない。

民主党と違って共和党は全員が取締り強化に賛成しているがヒスパニック系住民の票を意識すれば現在はあまり強行策を打出し難い。 しかし共和党から大統領が選ばれた場合はメキシコとの国境線に沿って強固な取締り対策が取られることは間違いないと思われる。  いくらアメリカが外国人に対して寛大といえども毎年70-80万人の不法移民が定着しているといわれる現状は改善されねばならないだろう。
いずれ日本も10年20年先は近隣諸国から多くの移民を受け入れることになると思う。
アメリカの長い移民の歴史と現状は大いに参考になるとだろう。

車のはなし

New Yorkの空港に降り立ったらすぐに必要なのが車である。 誰かに迎えに来てもらう以外はレンタカーかタクシーやリムジンで帰宅することになる。
日本のように荷物は宅配便で送って自分は電車やバスで帰ることはできない。

今回アメリカにきてから一番目立ったのは日本車の増加振りである。 日本車がシェアーを伸ばしているのは周知の事実だがこれほど目立つとは思わなかった。 ただしここで云う日本車とは”Made in Japan”車ではなく”Made in USA”を含む日本ブランドの車のことである。
私の住んでいるタウンハウスの中で外に停めてある車を数えてみたら全体で68台, その内日本車が36台(53%)、アメリカ車が20台(29%) 欧州車&その他が12台(18%)であった。 ガレージの中に入っている車はわからないから上記の数字はあくまで参考である。街中や幹線の高速道路を走りながらも同じ様な比率に感じたしショッピングセンターや図書館のパーキングでも数えてみると日本車の比率はもう少し大きかった。 それも一回限りではない。 癖になって違う場所でも数えてみたが同じ様な結果が出た。 しかしトヨタが販売台数でトップに躍り出たのはごく最近ことであり日本車のシェアーが36%を越えたことがなかったので統計上は決してそうはならないはずだ。 私の周辺で日本車が目立つのは私の住んでいる地域の特殊性のか原因はよくわからない。 誰かこの疑問に答えてくれる人はいないだろうか。

11月7日の新聞紙上で相次いで自動車メーカーの決算発表があった。(日米最大のメーカーの決算は対照的であった。)


米自動車最大手ゼネラル・モーターズ(GM)が7日発表した2007年7~9月決算は、純利益が389億6300万ドル(約4兆4400億円)の赤字となり、四半期ベースでは過去最悪の赤字幅となった。 (Google Online)

トヨタ自動車が7日発表した2007年9月中間連結決算(米国会計基準)は、海外での好調な販売を背景に営業利益が前年同期比16・3%増の1兆2721億円だった。(Google Online)

ここまで日本車が売れた直接の原因は原油・ガソリン価格の高騰で燃費の良い日本車が選ばれたのはまちがいないがアメリカ車も最近は改善されて数値的にそれほど大きな差はないと思われる。 しかし長年燃費のよさを売り込んできた日本車は神話に近い評判を得ている。 
もう一つ見逃せないのが故障率の低さである。 (1980-90年代前半のアメリカ車の故障率はひどかった。 新車でもよく故障した。) アメリカは車なしでは生活できない。車は何時故障するかわからないし故障すれば会社も学校も買い物にも行けない。修理に少なくとも2-3日はかかりその間の生活は他人に世話になるしかない。 
「故障が少ない」ということ燃費と違って数値化しにくいのであまりピンとこないが故障で苦労した人にとっては(殆どの人が経験している)もっとも効果のあるセールス・キャッチフレーズである。 誰も実際にはこの言葉で宣伝していないがアメリカ人の確固たる口コミは強力である。 

(環境問題と排ガス規制)
いまや環境問題は待ったなしで地球規模で取り組まねばならない。 日本車は排ガス規制もいち早くクリアーした。 

しかしアメリカでは
カリフォルニア州は地球温暖化対策のため、2009年製以降の車を対象に、ガスの排出量を30%削減するようメーカーに義務付ける法律を2002年に可決。しかし、連邦政府の規制より厳しい内容のため、同法の施行に際し、連邦規制の適用除外を環境保護局に求めていたが、承認を得られなかった。 自動車業界は、コスト高につながる同法の施行に強く反対している。 (Yomiuri online 11/9/07)

排ガス規制など環境保護に対する法案にたいして産業界を保護する名目で反対し続けたブッシュ政権が逆に自動車業界をはじめ産業の国際競争力を失わせる結果に至ったことはまことに皮肉である。

日本でも一時オレンジや牛肉、米の自由化で大騒ぎしたことがあるが業界として合理化が進み生残るものは生残って今も進化している。 消費者も質、量共に恩恵にあずかる結果となっている。 いずれにせよ業界保護は一時的対処できても長期的な解決方法にはならない。 
通信と物流が飛躍的に発展した今日、一人よがりの”政治的”経済政策はもはや通用しないことを日米両政府とも認識すべきである。

日本車がアメリカに輸出され始めてから約半世紀が経つ。 1960年代では日本車はアメリカのFreeway(高速道路)を走れる性能も耐久性もなかった。 長年のたゆまぬ努力が今日の地位を築き上げた。 今回の両社の決算発表は象徴的である。もはや日本車に対するバッシングは起こりえない。

アメリカの車はすべてOne Size
大きい。 日本の車に慣れてしまった私はAmerican Sizeを感覚的に忘れていた。 ちなみにアメリカでは大きくなった現在のモデルのToyota/CamryやHonda/AccordもMid Sizeである。昔はCamryもAccordももっと小さかった。アメリカ市場を重視すればするほどアメリカ人の標準と好みに合わせてモデルチェンジのたびに大型化してきた。 アメリカでは大きいこと(スペース)と強いこと(馬力)は常にいいことで車のみならず生活文化や政治の世界でも基本的精神である。
一般的なアメリカ人の体格からすればCamryがMid Sizeだといえば納得するしかないがセダンもSUVも必要以上に大きくなった 。 ”Eco/Green”生活を標榜しながら一人ひとりがこの大きな鉄の塊を毎日動かさねばならない生活には大きな矛盾を感じている。 
会社やコミュニティの取り組みがいまひとつ現実感を伴わないのは個人の生活や文化の基本姿勢にあまり変化が認められないからかもしれない。