福島第一原発の事故に対し外国と日本の認識の相違を非常に感じている。
私自身が米国ワシントン州シアトル近郊の町に住んでおり直接アメリカのメディアの報道に触れていること。 長女の主人がフランス人で国と会社から東京よりの避難勧告が出ていることより長女と孫娘はシンガポールに緊急避難したまま七週間が経とうとしている。
フランスは世界で最も原子力発電に傾注しており安全態勢と緊急対策は進んでいると考えられる。 今回の事故に対しては最初からチェルノブイリ・クラス(Lebel 7)と取れえている節があり事故の翌日に東京以北の居住者に極秘に緊急避難の勧告を行ったようだ。
それを知っている長女と彼女の主人は3月13日にクラス会で東京に向かう私を必死で止めようとした。 新幹線に乗車中の私に数回電話をかけすぐ引き返すように忠告してくれた。 一方私は友人に電話しクラス会は行われるのか確認し東京は大丈夫という返事をもらったので何の心配もせず東京に向かったのである。 実際東京では交通機関はほぼ正常で全員集まった。 集合場所の日本橋でも少し人は少ないようだが平常どうりといった感じであった。
一方アメリカではCNN始めメジャーのメディアでさえ最初の2週間は地球がつぶれるほどの大騒ぎ。 確かな情報と知識がないまま大げさに報道している感があった。 2週間後はリビアの事態が深刻になり報道は完全にリビアにシフトし一ヶ月後は日本の地震・津波災害は殆ど報道されなくなった。
両方に共通しているのは日本政府と東京電力のアナウンスメントを全く信用していないということ。 日本の報道は推測による楽観にもとずく曖昧報道で新事実が現れるたびに訂正をくりかえした。 スポークスマンには専門的知識はなく単なるメッセンジャーに過ぎないことを翌日の記者会見で露呈してしまった。 科学的な質問に対しては専門家でないと答えられないのは当然で一気に日本国民と外国の信用をなくしてしまったのである。 かかる場合は政治的色はさけて専門家を置いて科学的に事態を説明し質問に答えるべきであった。
これができないのは政府が官僚的でありまた東京電力も政府に輪をかけて官僚的であったからである。 それもそのはず東電は民間では最も有力な官僚の天下り先なのだから。
官僚はルール造りとルールの遵守には長けているが想定外(ルール以外)の対応には全く向いていないのである。
2011年4月28日木曜日
2011年4月7日木曜日
何よりもスピードが大事
原発事故の対策が一向に進んでいるようには見えない。東電など当事者はもとより政府も必死で対策を講じているのは間違いないと思うのだが効果が見えずむしろ後退しているように見える。 このような状況にあっては直接の被害者(近郊の避難者と農漁業関係の間接被害者)はもとより国民全員のイライラが募るばかりである。一方地震・津波救済も遅々として進まず被災者と救援者・救援物資を結ぶルートや組織ができていない。 このような非常事態にこそ人を組織しものを動かすのが政治であるが今の政府は評定多くして実効がないので避難されてしかるべきであろう。政府は義捐金、救援物資の配分をいかに平等に配布するかに頭を悩ましあているようだがいかに早く被災者に届けるかが大事だろう。 今の1万円は明日の10万円よりも価値が大きいかもしれない。 今は何事もスピードが要求されている。
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