2010年6月28日月曜日

引越しの旅 Day4




Cleveland, OH to Columbus, OH
Cleveland とColumbus の間にはArmish townが散在する。景色も人も映画の「Wittnes」-Harrison Ford 主演ーと全く同じ、髭面にカンカン帽、白いシャツにサスペンダーの付いたダークカラーのズボン、女性は単色の裾が足元まである長いドレス。 自動車には乗らず馬車でどこにでも行く。 電気もガスも使わない。
そんな生活をしている人々がアメリカ各地にいる。 そんな社会がこのアメリカで成り立っていると言うのが驚きだがそれがアメリカの多様性の証拠だろう。

引越しの旅 Day3


今日の目的地はCleveland, OH.
引越しの1月ほど前にTVでクリーブランド交響楽団がニューヨークで公演。そのコマーシャルでクリーブランドを紹介。 夏場にフリーコンサートがあるとのことでそれを聞きに行こうと計画をたてたが初日が7月1日でどう調整してもスケデュールをあわすことができない。 街や野外コンサートホールだけでも見ようと目的地に付け加えた。ところが93F(34℃)の暑さでその上蒸し暑い。 結局Downtownをぐるりと回って湖のそばの公園でしばらく休み郊外のモーテルに入ってしまった。
田舎の寂れた都会?だと創造していたが見当違いのきれいなDowntownn だった。
評判の高い交響楽団を維持するぐらいの都市だからスマートな都会なのだろう。

2010年6月26日土曜日

引越しの旅 Day2


今回の旅行のためにナビを買った。 まだ使い方をマスターしていないので時々思わぬ所を通ることになる。
今日はCumberland, MD からPittsburh, PA に行くべくナビをセットしたら地図上で最短距離を取るルート
になって(普通は時間的に最短ルートをとるはず)細い山道やローカルの田舎道を走ることになってしまった。
そのおかげでペンシルベニアの美しい田舎やTVコマーシャルに出てくる巨大な風力発電風車が何マイルにもわたって連なっている風景を見ることができた。
昼前にはPittsburg に到着。 土曜日でもDowntownは人が少ない。 新旧立派なビルが立ち並ぶ大都市に違いないがどこかしらさびしい気がする。 石油のロックフェラーや自動車のフォードに代表される鉄鋼のカーネギーの本拠地、米資本主義の栄枯盛衰を象徴するような都市である。 
水量豊富なオハイオ川の中洲にできたPittsburgはいくつもの橋と周りの山に囲まれた美しい街である。
自然の起伏は風景を美しくする一番の要素かもしれない。

2010年6月25日金曜日

引越しの旅 Day1

Gettysburg Battle Field



朝早くBedminster, NJを出発、Gettysburg, PAに立ち寄る。
アメリカの教科書には必ず出てくる歴史上もっとも有名な土地。
今は緩やかな丘陵の草原だが南北戦争の激戦地。夏休みで多くの人が
訪れていた。
目的地Cumberland, MDには3時前に到着。 200年以上前の古い町並みが
今も生きているきれいな町、アメリカでも多く町の古いDowntown寂れて
町全体が活気を失っているがDowntownが活き活きしていると人も多く
集まって経済も活気がみえる。


2010年5月31日月曜日

大腸がん?(3)

8日目に電話で生体検査の結果もNegativeだと連絡をもらった。 
100%癌の懸念がなくなりさすがにうれしかったがそれ以上に病院の事務処理の迅速さと医者のスピーディな診療、患者に対する思いやりのある言葉、接し方に感心。それでいて白は白、黒は黒、的確な説明で患者が納得するまで説明してくれる。 言葉が十分理解できない私がひつこく質問しても医者は快く応じてくれるのがうれしい。 医療は技術だけではない。 医者と患者とのコミュニケーションが充分あって信頼関係が出来上がって初めて良い医療といえる。 アメリカだからできるというのではなく世界中どこに行っても同じことだろう。 こんな環境にいることは真に幸せというものだ。

2010年5月30日日曜日

大腸がん?(2)

日曜に入って下血は止まったが不安な気持ちで週末を過ごした。 とりあえず主治医には話しておかないと思い月曜あさ一番に電話した。 緊急の場合はいつでも割り込みでアポイントを受け付けてくれる。 
金曜日のPracticionistの診察結果はファイルに入っており問診のあと簡単な診察をしてとにかくすぐに検査をすることが必要とDoctor自らその場で受話器をとりCT ScanとColonoscopyの最速の手配をしてくれた。 通常は医師の指示でオフィスが手配するが時間がかかる。 ドクターが直接依頼するのは緊急だから他の施設は最優先で検査をしてくれる。 (保険によっては手続がまことにややこしい)
CT Scanは診察が終わると同時に同じビルのImage Centerにゆき早速バリュームを飲むことになった。 一時間後にCT Scanを取って結果はすぐに主治医のもとに送られる。帰りにDoctor's OfficeにFaxで送られてきたColonoscopyの準備要領をピックアップした。 帰宅途中でドラッグストアにより下剤と飲料を買う。  4時ごろにドクターから電話がありCT Scanの結果異常は認められないといわれとりあえず安心する。 その後は24時間病人食で柔らかいものばかり食べた。 火曜日の夜から絶食し胃腸に残っているものを全部排出しColonoscopy検査の準備ができた。 
水曜日12:30pmにHanover Endoscopy Centerにはいり1:30pmより看護婦の問診,2:00pmに検査室に入ると麻酔ドクターと検査ドクターが来て手順を説明する。 麻酔の点滴がはじまると20秒ぐらいで意識を失った。 
目が醒めると検査は終りとドクターにポリープもないもないので癌の心配ないと。 ただし少し荒れて赤くなったいるところがあったので念のためにその部分の生体検査をするので組織をとって検査にまわす、結果は一週間後にわかるから電話してくれといわれた。
この時点で99%大丈夫と確信した。 
私の検査に関わった5人のドクターと病院、2つの検査機関。すべてが迅速な連携プレイで週末を挟んでも6日ですべたが終わった。 信頼できる医療とその有難さを実感した6日間であった。

2010年5月28日金曜日

大腸がん?(1)

一週間前の金曜日午前3時過ぎ突然の激しい腹痛で目が醒める。 トイレに行くが便秘気味、ガスばかりで腹痛は続く。 その後朝食までに2回トイレに行ったが激しい下痢になってしまった。 痛みは軽くなり朝食はいつものように取ったけれどすぐにトイレに行きたくなる。 昼食のあとまたトイレに行ったら今後は血便が出た。 血便というより粘血の塊で今まで経験したことも見たことも無いが大腸がん・直腸がんではないか?
との懸念が頭をよぎった。 午後2時半かかりつけの医院に電話すると今すぐ来いと言う。 3時に医院に到着したが主治医は患者がいっぱいで時間が無いのでPractionist(医師の代理で診断ができる看護士)が診てくれた。 問診のあと肛門から直接触診、簡易検査した結果痔ではない、感染性大腸炎の可能性が大きいが何らかの要因で腸壁が荒れたり傷ついて出血している、または大腸がんの可能性も否定できないと云われた。
とにかく一刻も早くCT ScanとColonoscopy(内視鏡検査)するようにといって処方箋(両検査の許可証)を書いてくれた。
今は緊急入院して検査しなければならない状態ではないけれどこのような状態が今後も続くようなら明日(土曜日)はすぐに救急病院に行くよう言いわたされた。
オフィスでは緊急に両方を手配するよう電話してくれたが4時を過ぎていたので来週になるという。
さて帰宅してからも軽く食事はしたが相変わらず同じ状態で下血する。 トイレに行く回数は減ったものの翼朝まで状態は変わらなかった。 前日に救急病院にいくよう言われたいたのでMorristown Memorial Hospital の救急に電話すると24時間オープン、医師が待機しているからいつでも来いという。 Morristown Memorial Hospital はCounty最大の病院だが質的にもこれ以上の病院は無い。
ワイフの運転で30分後に病院に到着、受付は「何のために着たのか?」目的を聴く。 保険証を確かめて次の部屋へ送られると係員が症状を聞きPCでベーシックな医療情報をYes/Noで入力。 少し詳しく説明しようとするとYes or Noだけで答えよという。 5分もかからずに診療室に送られた。カーテンで仕切られた部屋で着替えしベッドに横たわると看護士が来て血圧と脈拍を測る。 10分ほどして最初のドクターが来て問診、すぐに血液検査すると云って入れ替わりに採決の看護師が来た。 30分ほどで同じドクターが現れビールス性大腸炎の可能性が高いがとにかくCT ScanとColonoscopyを見なければ結論は出せない。 今日の状況では緊急性はないという。 血液検査の結果が1時間ほどすれば出るのでそれを待つように云われる。
結局病院に入ってから2時間ほどしてから別のドクターが来て血液の状態が安定している(白血球の数値が正常)なので今日は帰っても良いといわれた。 ただし来週早々にはCTとColonoscopyを取るようにと云われた。 この段階でなんとなく大したことはないだろうと楽観する気持ちになった。
朝9時に電話をいれて今日の結果が出るまでわずか3時間。病気の心配もさることながらこの仕事ぶりで気持ちがすっきりしてしまった。 徹底した緊急病院のモデルをみるようだった。