私にはちょっと変わった同期の桜が2人いる。
一人は小学校の同窓生で近くに住んでいたH君。 もう一人は大学の同窓生、K君 当時それほど親しいという間柄ではなく就職してからもお互いに消息を知らなかったが2年ばかり経った頃大阪のお好み焼きでばったり会い同じ関西系の商社勤務、しかも同業であることを知った。 それから40年お互いに海外の同じ任地を行ったり来たり、時にはすれ違いもあったけれど顔を合わせてビジネスを語りゴルフをする仲になった。 結婚したのもほぼ同じ頃、子供の年齢も同年代で同じ日本人小学校に通ったこともある。
同様の経験をした人も多々あるが今も夫婦同伴でお付き合いが続いているのはこの二組しかない。 彼らが今も活き活きとした生活を送っておりそのつど魅力のある話題を提供してくれるからに他ならないがおそらく同期の桜の気安さもあって自然体でお付き合いできるからだと思う。
毎年クリスマスカードやメールで近況を知らせあっていると家族全体の動きを知って親しみが継続する。
2-3年に一度しか会わないがこの二人と旧交を温める楽しさはまた格別である。
2009年11月8日日曜日
2009年11月7日土曜日
久しぶりの日本(3)同期の桜ー2
昔の仕事の同僚と5年ぶりに会った。 前回は友人の葬儀で顔をあわせただけで実質的には25年振りである。 急に呼び出し彼の奥さんにもあいたかったので夫婦同伴で」彼の故郷岡山で会う事になった。 二人は元気いっぱい少しも変わっていなかった。 彼と私は入社以来の同僚だから顔を合わせばすぐ昔に戻る。 しかし嫁さん同士は2度しか会ったことがなくお互いに硬くならないか若干心配したがまるで旧知の中のごとく打ち解けて夫婦ともども楽しい時間を過ごしたのであった。
(海外勤務を経験するとプライベートな付き合いは原則家族単位となる。 今回会った友人は同窓会メンバーを除けば全部夫婦同伴で会った。 そうのほうが話題に広がりができて話がはずむ。)
彼は入社10年ぐらいで東京の機会部門に転勤となった。 もともとストレートな男で上司にも部下にも信頼され将来を嘱望されていたが40歳までに故郷の岡山にか帰ると言い出した。 東京本社に比べれば岡山支店はちっぽけな店でしかない。 彼はもともと故郷で花を咲かせようと考えていた節がある。 実際に彼は岡山に帰って大活躍していた。 岡山支店は彼の活躍で業績が伸び広島の中国支社の業績を凌駕するまでになった。 退職してからも彼の精力的な活動は衰えず肩書きが30ほどあるという。 ゴルフもやれは百姓もやる。 当日は稲刈りをしたばかりといってすこし汚れた手をみせてくれた。 都会育ちの奥さんには相当な抵抗と戸惑いがあったに違いない。 しかし本来明るくしっかりした奥さんのこと、夫唱婦随でがんばってきたことだろう。 正直なところ彼をとてもうらやましく思った。 彼は今回会った仲間のうちもっともHappyな人生を送っている。 彼の成功は自分の考え方がぶれなかったこと。 自分が活きる場所を知っていてそこに全力を傾注したことによる。
大きな組織のなかでも流されず自分の道を歩いてきた男。 だから今でも彼の顔には自信が満ちあふれている。
次に帰国したときはまた会いたいと思ったのであった。
(海外勤務を経験するとプライベートな付き合いは原則家族単位となる。 今回会った友人は同窓会メンバーを除けば全部夫婦同伴で会った。 そうのほうが話題に広がりができて話がはずむ。)
彼は入社10年ぐらいで東京の機会部門に転勤となった。 もともとストレートな男で上司にも部下にも信頼され将来を嘱望されていたが40歳までに故郷の岡山にか帰ると言い出した。 東京本社に比べれば岡山支店はちっぽけな店でしかない。 彼はもともと故郷で花を咲かせようと考えていた節がある。 実際に彼は岡山に帰って大活躍していた。 岡山支店は彼の活躍で業績が伸び広島の中国支社の業績を凌駕するまでになった。 退職してからも彼の精力的な活動は衰えず肩書きが30ほどあるという。 ゴルフもやれは百姓もやる。 当日は稲刈りをしたばかりといってすこし汚れた手をみせてくれた。 都会育ちの奥さんには相当な抵抗と戸惑いがあったに違いない。 しかし本来明るくしっかりした奥さんのこと、夫唱婦随でがんばってきたことだろう。 正直なところ彼をとてもうらやましく思った。 彼は今回会った仲間のうちもっともHappyな人生を送っている。 彼の成功は自分の考え方がぶれなかったこと。 自分が活きる場所を知っていてそこに全力を傾注したことによる。
大きな組織のなかでも流されず自分の道を歩いてきた男。 だから今でも彼の顔には自信が満ちあふれている。
次に帰国したときはまた会いたいと思ったのであった。
2009年11月6日金曜日
久しぶりの日本(2)同期の桜ー1
3週間の滞在中に多くの人と会った。 親類を除けば高校の同級生、大学ゼミの同期生、会社の同期生、いずれもほぼ齢が同じの同期の桜である。 10年目、20年目の再開であっても同期の桜は挨拶抜きに昔に戻る。 中には45年ぶりの再会もあり学生の頃よりも親しく話が出来るのが不思議である。 一年上でも一年下でもこうは行かない。
最近は同窓会が大流行だそうだ。 高校の同窓会は地元では春秋のゴルフ会、 東京でも有志のクラス会が毎年行われている。
大学のゼミのクラス会は毎年10月の末に東京、名古屋、大阪で持ち回りで行われているが昨年は京都になった。 私は出席できなかったが京料理に「御茶屋遊び」の体験、高台寺の夜間拝観、白沙村荘などとても面白かったそうである。 この会ではクラス会の初めに翌年のクラス会の日程を決めてしまうので出席率が極めてよい。 幹事は一年前から趣向を考え単なる観光にとどまらず随分内容的の面白い企画が出てくる。
今年は大阪、あまり観光名所の少ないところと思うが今年の幹事はそこを面白い企画で盛り上げた。 場所は大阪南のど真ん中、なんばの駅近くのビジネスホテルに夕方集合、 食事の前に1時間ほど散策することになりアメリカ村(御堂筋の西側) 宗右衛門町、道頓堀通、千日前通を歩いて法善寺横丁のすし屋になだれ込んだ。 大阪では通算9年勤務したが南は殆ど知らない。 今回のクラス会がなければ一生大阪・南を知らずに過ごしたかもしれない。日本にいる連中も今の年齢ではまず歩くことはないだろう。 法善寺のすし屋も昔ながらの横丁にはいった庶民的な感じのするすし屋だったが味は最高。 3時間ほどしゃべって帰りに全員コーヒーショップへ、これまた老舗の美味しいコーヒーであった。 この界隈を歩きつくした人でなければこの案内は出来ない。
翌日は難波宮遺跡を訪ねて幹事の説明を聴く。 30年ほど前に道路工事の際に発見された遺跡で大極殿あとに基石の台が築かれているだけで今は広々した難波宮跡公園となっており時折イベント会場に使われている。 幹事は用意した地図と資料を基に当時の難波の都を説明してくれるので想像力を生かして1500年前の景色を頭に描く。 (幹事はここに来るまでにあらかじめ想像力を働かせるよう各自にアドバイスしていた) 名所旧跡も適切な説明があって歴史を知りながら見学すると面白い。
それから道を挟んではす向かいのNHK大阪に併設された大阪歴史博物館を訪れた。10Fが入り口で9Fにかけて大阪の歴史が時代を追って閲覧できる趣向になっている。 スタートが難波宮で始まり東側半分が難波宮大極殿を再現したもので部屋の最上部に取り付けられたTVで飛鳥時代の歴史サマリーがビデオで放映され終わると同時に窓を覆っていた幅30mはあろうかと思われるスクリーンカーテンが巻き上げられ眼下には先ほど訪れた難波宮跡がパノラマとして見えるではないか。左手には修復された大阪城が間近に見える。 博物館としてはスケールの大きい素晴らしい趣向・展示方法である。 大阪は長らく日本の商都として栄えてきたが特に江戸時代堂島で米の先物取引まで行っていたこと知って驚いた。 大阪歴史博物館はお勧めである。 博物館見学の後は隣の大阪城に入り昼食に名物太閤うどんを食べてしばらくしゃべって散会した。 大阪には何もないと思っていたのは大間違い。 いい案内人が一緒だったおかげで楽しい2日間であった。 幹事さんありがとう。
最近は同窓会が大流行だそうだ。 高校の同窓会は地元では春秋のゴルフ会、 東京でも有志のクラス会が毎年行われている。
大学のゼミのクラス会は毎年10月の末に東京、名古屋、大阪で持ち回りで行われているが昨年は京都になった。 私は出席できなかったが京料理に「御茶屋遊び」の体験、高台寺の夜間拝観、白沙村荘などとても面白かったそうである。 この会ではクラス会の初めに翌年のクラス会の日程を決めてしまうので出席率が極めてよい。 幹事は一年前から趣向を考え単なる観光にとどまらず随分内容的の面白い企画が出てくる。
今年は大阪、あまり観光名所の少ないところと思うが今年の幹事はそこを面白い企画で盛り上げた。 場所は大阪南のど真ん中、なんばの駅近くのビジネスホテルに夕方集合、 食事の前に1時間ほど散策することになりアメリカ村(御堂筋の西側) 宗右衛門町、道頓堀通、千日前通を歩いて法善寺横丁のすし屋になだれ込んだ。 大阪では通算9年勤務したが南は殆ど知らない。 今回のクラス会がなければ一生大阪・南を知らずに過ごしたかもしれない。日本にいる連中も今の年齢ではまず歩くことはないだろう。 法善寺のすし屋も昔ながらの横丁にはいった庶民的な感じのするすし屋だったが味は最高。 3時間ほどしゃべって帰りに全員コーヒーショップへ、これまた老舗の美味しいコーヒーであった。 この界隈を歩きつくした人でなければこの案内は出来ない。
翌日は難波宮遺跡を訪ねて幹事の説明を聴く。 30年ほど前に道路工事の際に発見された遺跡で大極殿あとに基石の台が築かれているだけで今は広々した難波宮跡公園となっており時折イベント会場に使われている。 幹事は用意した地図と資料を基に当時の難波の都を説明してくれるので想像力を生かして1500年前の景色を頭に描く。 (幹事はここに来るまでにあらかじめ想像力を働かせるよう各自にアドバイスしていた) 名所旧跡も適切な説明があって歴史を知りながら見学すると面白い。
それから道を挟んではす向かいのNHK大阪に併設された大阪歴史博物館を訪れた。10Fが入り口で9Fにかけて大阪の歴史が時代を追って閲覧できる趣向になっている。 スタートが難波宮で始まり東側半分が難波宮大極殿を再現したもので部屋の最上部に取り付けられたTVで飛鳥時代の歴史サマリーがビデオで放映され終わると同時に窓を覆っていた幅30mはあろうかと思われるスクリーンカーテンが巻き上げられ眼下には先ほど訪れた難波宮跡がパノラマとして見えるではないか。左手には修復された大阪城が間近に見える。 博物館としてはスケールの大きい素晴らしい趣向・展示方法である。 大阪は長らく日本の商都として栄えてきたが特に江戸時代堂島で米の先物取引まで行っていたこと知って驚いた。 大阪歴史博物館はお勧めである。 博物館見学の後は隣の大阪城に入り昼食に名物太閤うどんを食べてしばらくしゃべって散会した。 大阪には何もないと思っていたのは大間違い。 いい案内人が一緒だったおかげで楽しい2日間であった。 幹事さんありがとう。
2009年11月5日木曜日
久しぶりの日本(1)クリーンジャパン
クリーン ジャパン
飛行機が成田空港に着陸すると同時にWelcome Japanの機内アナウンスが始まった。
このFlight Attendantは日本がお気に入りとみえて何度も”Beautiful Japan"を繰り返した。
成田周辺は形の良い針葉樹の林が点在し緑が多くてきれいである。 しかし都心に近づくにつれて雑然とした都会風景になり取り立てて美しい日本とは言い難い。 何が美しいかは個人の主観によるもののクリーンであることを美しさの条件に入れるならば日本は飛びぬけて美しい国になる。 空港のターミナルからバスに乗り都心のホテルへ、そこからタクシーで目黒の娘の家へ。 翌朝渋谷から原宿あたりをうろうろして横道に入ってもクリーン度は変わらない。午後は新幹線で兵庫県にある家内の実家に落着いたがこの間チリひとつ落ちていない。 このスーパークリーン度は以後2週間、大阪、西宮、岡山など親戚、友人を訪ね歩いた間パーフェクトに続くのである。 バスもタクシーも電車も新幹線も建物の内外も道も公園も例外なしに100%クリーンだった。 都内の目黒区の公園ではごみがないのに清掃している人がいる。つまり今の日本では掃除する人はいても汚す人がいないのだ。 ひと昔前は駅の線路沿いはタバコの吸殻が散らばっており、駅のホームはガムの跡形があちこちに見られたものだ。 こんなに何処ともきれいになればタバコを捨てる人は目立つだろうし捨て辛くなる。
ここでは良貨(クリーン)が悪貨(ダーティ)を駆逐している。 江戸時代の後期に日本の国内を旅行したイギリスの旅行家が田舎に行っても日本は清潔であることに驚いている。 クリーンであることは昔から日本の文化であるようだ。 感覚的にしかいえないが清潔さは何か日本の特別の付加価値のように思える。 清潔さは日本の文化だが漫画やアニメのように商品になり得ないし輸出も出来ないのは残念だ。 中国もインドも早かれ遅かれ経済的には数字の上で日本を凌駕するだろうし生活レベルも格段に良くなるだろう。 しかしクリーンさだけはなかなかマネが出来ないと思う。
飛行機が成田空港に着陸すると同時にWelcome Japanの機内アナウンスが始まった。
このFlight Attendantは日本がお気に入りとみえて何度も”Beautiful Japan"を繰り返した。
成田周辺は形の良い針葉樹の林が点在し緑が多くてきれいである。 しかし都心に近づくにつれて雑然とした都会風景になり取り立てて美しい日本とは言い難い。 何が美しいかは個人の主観によるもののクリーンであることを美しさの条件に入れるならば日本は飛びぬけて美しい国になる。 空港のターミナルからバスに乗り都心のホテルへ、そこからタクシーで目黒の娘の家へ。 翌朝渋谷から原宿あたりをうろうろして横道に入ってもクリーン度は変わらない。午後は新幹線で兵庫県にある家内の実家に落着いたがこの間チリひとつ落ちていない。 このスーパークリーン度は以後2週間、大阪、西宮、岡山など親戚、友人を訪ね歩いた間パーフェクトに続くのである。 バスもタクシーも電車も新幹線も建物の内外も道も公園も例外なしに100%クリーンだった。 都内の目黒区の公園ではごみがないのに清掃している人がいる。つまり今の日本では掃除する人はいても汚す人がいないのだ。 ひと昔前は駅の線路沿いはタバコの吸殻が散らばっており、駅のホームはガムの跡形があちこちに見られたものだ。 こんなに何処ともきれいになればタバコを捨てる人は目立つだろうし捨て辛くなる。
ここでは良貨(クリーン)が悪貨(ダーティ)を駆逐している。 江戸時代の後期に日本の国内を旅行したイギリスの旅行家が田舎に行っても日本は清潔であることに驚いている。 クリーンであることは昔から日本の文化であるようだ。 感覚的にしかいえないが清潔さは何か日本の特別の付加価値のように思える。 清潔さは日本の文化だが漫画やアニメのように商品になり得ないし輸出も出来ないのは残念だ。 中国もインドも早かれ遅かれ経済的には数字の上で日本を凌駕するだろうし生活レベルも格段に良くなるだろう。 しかしクリーンさだけはなかなかマネが出来ないと思う。
2009年10月11日日曜日
プレジデントカップと石川遼
プレジデント・カップはアメリカ vs. インターナショナルのマッチプレーによる国際対抗ゴルフゲーム
シーズンが終わったとはいえ世界の最高プレーヤーを集めたマッチプレーはライダーカップと同様に選手は個人とチームの面目にかけて必死でプレーするのでシーズン中のトーナメントでは見られない異常な熱気で盛り上がりを見せる。
その中にインターナショナルチームの監督であるグレッグ・ノーマンの推薦で日本の石川遼選手がプレーした。
いくら日本の賞金王になったとはいえ18才のプロ1年生にとって世界ランキングの上位を占めるトッププロとは格が違うといわれても仕方がない。
競技は4日間全5種目のマッチプレー。 最終日(個人対抗戦12試合)を除く3日間はパートナーと組んでのマッチプレーだから自分のパートナーとのケミストリーが大いにモノを云う。 また対抗相手との組み合わせが微妙に競技に影響するので面白い。
最初の2日間(木曜・金曜)はゴルフチャンネルを除いて放映されないので見られなかったが週末土曜・日曜はNBCがほぼ10時間ぶっ続けで放映したので全部競技を見ることができた。 石川選手が出ていなければこんなに興味を持ってみなかっただろうが話題のティーンエイジャー・プレイヤーが世界のヒノキ舞台でどこまでやれるか見届けたかったので最後までTVにかじりついていた。
TVカメラは成績が良かろうが悪かろうがタイガー初め人気の選手を追うことで視聴者の興味を満足させようとするのでアメリカでは無名の石川のプレイは殆ど映してくれない。 たまたま初日はタイガーの組とあたり勝負にならなかったが2日目以降は世界の一流プレーヤと比べても引けをとらない堂々とした成績であった。 特に最終日個人戦ではアメリカNo.4のJerry Perryを2&1で下しインターナショナルチームに貢献した。 特筆すべきは彼のパット。 試合の節目節目に当たる重要なパットをことごとく沈め決して引き離されることはなかった。 パットが素晴らしいのは一流選手の証拠である。
3勝2敗の成績はインターナショナルチームの中ではトップ。 物怖じしないで精一杯力を出し尽くすのは今までの日本人プレイヤーにない何かをもっている。 試合後のインタビューを通訳なしで英語で答えていたのも好感が持てる。ただインタビューの際「何が一番印象に残ったか?」という質問に対して「タイガーとプレイできたこと」と答えたのはいただけない。 この答えはまだ18歳のはにかみ王子そのものである。
「多くの一流プレイヤーと一緒にプレイできた事が一番うれしい。 特にYan選手と組んで一勝を挙げたのはYan選手のいいアドバイスがあったからだ。 大変勉強になった。 この大会に特別招待してくれたグレッグ・ノーマン監督に感謝したい」というのが優等生の答えだろう。 またトッププレイヤーとしての礼儀かもしれない。 特に今回のように選抜のチームプレーではなおさらのことである。
彼は18歳最年少のプレイヤーということで何度も紹介されていたが実力で評価される日は遠くないだろう。
近い将来アメリカに来てプレイすることになるだろうからまたひとつゴルフTVを見る楽しみが増えた。
シーズンが終わったとはいえ世界の最高プレーヤーを集めたマッチプレーはライダーカップと同様に選手は個人とチームの面目にかけて必死でプレーするのでシーズン中のトーナメントでは見られない異常な熱気で盛り上がりを見せる。
その中にインターナショナルチームの監督であるグレッグ・ノーマンの推薦で日本の石川遼選手がプレーした。
いくら日本の賞金王になったとはいえ18才のプロ1年生にとって世界ランキングの上位を占めるトッププロとは格が違うといわれても仕方がない。
競技は4日間全5種目のマッチプレー。 最終日(個人対抗戦12試合)を除く3日間はパートナーと組んでのマッチプレーだから自分のパートナーとのケミストリーが大いにモノを云う。 また対抗相手との組み合わせが微妙に競技に影響するので面白い。
最初の2日間(木曜・金曜)はゴルフチャンネルを除いて放映されないので見られなかったが週末土曜・日曜はNBCがほぼ10時間ぶっ続けで放映したので全部競技を見ることができた。 石川選手が出ていなければこんなに興味を持ってみなかっただろうが話題のティーンエイジャー・プレイヤーが世界のヒノキ舞台でどこまでやれるか見届けたかったので最後までTVにかじりついていた。
TVカメラは成績が良かろうが悪かろうがタイガー初め人気の選手を追うことで視聴者の興味を満足させようとするのでアメリカでは無名の石川のプレイは殆ど映してくれない。 たまたま初日はタイガーの組とあたり勝負にならなかったが2日目以降は世界の一流プレーヤと比べても引けをとらない堂々とした成績であった。 特に最終日個人戦ではアメリカNo.4のJerry Perryを2&1で下しインターナショナルチームに貢献した。 特筆すべきは彼のパット。 試合の節目節目に当たる重要なパットをことごとく沈め決して引き離されることはなかった。 パットが素晴らしいのは一流選手の証拠である。
3勝2敗の成績はインターナショナルチームの中ではトップ。 物怖じしないで精一杯力を出し尽くすのは今までの日本人プレイヤーにない何かをもっている。 試合後のインタビューを通訳なしで英語で答えていたのも好感が持てる。ただインタビューの際「何が一番印象に残ったか?」という質問に対して「タイガーとプレイできたこと」と答えたのはいただけない。 この答えはまだ18歳のはにかみ王子そのものである。
「多くの一流プレイヤーと一緒にプレイできた事が一番うれしい。 特にYan選手と組んで一勝を挙げたのはYan選手のいいアドバイスがあったからだ。 大変勉強になった。 この大会に特別招待してくれたグレッグ・ノーマン監督に感謝したい」というのが優等生の答えだろう。 またトッププレイヤーとしての礼儀かもしれない。 特に今回のように選抜のチームプレーではなおさらのことである。
彼は18歳最年少のプレイヤーということで何度も紹介されていたが実力で評価される日は遠くないだろう。
近い将来アメリカに来てプレイすることになるだろうからまたひとつゴルフTVを見る楽しみが増えた。
2009年10月9日金曜日
オバマ大統領ノーベル平和賞
オバマ大統領のノーベル平和賞受賞は誰もが驚いた。
就任10ヶ月、 内外に問題山積の中彼の精力的な政策遂行は米国のみならず世界各地で多くのポジティブな論議を巻き起こしている。 (ブッシュ政権のときは平和に対してネガティブでアメリカは孤立化を深めていった。)
受賞理由は核廃絶に対する欧州と国連での演説と国連安全保障理事会でのロシア・中国を取り込んだ全会一致のリーダーシップが大きく評価されたという。
実績的に見ればか核軍縮や中東和平はまだ何も実現していないし地球温暖化対策も具体策は出ていない。
しかしオバマ大統領が就任以来、米国と世界の潮流が大きく変わった事は万人が認めるところだろう。
これを後押しする意味でノーベル平和賞が授与されたといえば充分納得がいくことである。
紛争の絶えない世界で平和は築くのは難しく壊れ易い。 政治の世界では表で見える以上に裏でいろんな取引や駆け引きがおこなわれているので「平和に対する貢献」の定義も難しいだろう。 近年ノーベル平和賞は夙に政治的な意図と期待がこめられているように思える。 そう考えればオバマ大統領のノーベル平和賞受賞は納得行くところだが他の世界が素直にこの意味を受け入れるかどうかは別問題である。 将来この受賞が納得できるかどうかはオバマ大統領の時代が歴史にならなければ判らない。
就任10ヶ月、 内外に問題山積の中彼の精力的な政策遂行は米国のみならず世界各地で多くのポジティブな論議を巻き起こしている。 (ブッシュ政権のときは平和に対してネガティブでアメリカは孤立化を深めていった。)
受賞理由は核廃絶に対する欧州と国連での演説と国連安全保障理事会でのロシア・中国を取り込んだ全会一致のリーダーシップが大きく評価されたという。
実績的に見ればか核軍縮や中東和平はまだ何も実現していないし地球温暖化対策も具体策は出ていない。
しかしオバマ大統領が就任以来、米国と世界の潮流が大きく変わった事は万人が認めるところだろう。
これを後押しする意味でノーベル平和賞が授与されたといえば充分納得がいくことである。
紛争の絶えない世界で平和は築くのは難しく壊れ易い。 政治の世界では表で見える以上に裏でいろんな取引や駆け引きがおこなわれているので「平和に対する貢献」の定義も難しいだろう。 近年ノーベル平和賞は夙に政治的な意図と期待がこめられているように思える。 そう考えればオバマ大統領のノーベル平和賞受賞は納得行くところだが他の世界が素直にこの意味を受け入れるかどうかは別問題である。 将来この受賞が納得できるかどうかはオバマ大統領の時代が歴史にならなければ判らない。
2009年10月5日月曜日
家売れません
家を売り出してから一ヶ月以上になる。 最初の3週間は期待以上に家を見に来る人は多かった。 中には3度も見に来た人がいてかなりチャンスがあるかと思っていたが結局オファーはなし。 9月末より殆ど来客はない。
最近はインターネットで不動産売買データはすぐに見ることが出来るので定期的に市内の競合する売り家のデータを見ているが下見に来る人の数に比べて成約は極端に低い。 特に売り急いでいる人は当然のことながら売値(リストプライス)を下げて買手の興味を引こうとしているが殆ど効果はない。 先月一ヶ月で10件のうち3軒が値段を下げたが一向に売れる気配がない。 そのうちさらに安値の新規売り家のオファーが出てますますマーケットを下げることになっている。 買手は安心して買い控える。
景気刺激策として政府はFirst Time Home Buyerに$8000のインセンティブをオファーしているが(11月までの成約対象)First Time Home Buyerということになれば当然20代から30代の若い人が殆どだろう。 彼らの収入から考えれば大半が$30万以下の住宅が対象にである。 私の家は$40万以上だからまずは自力のFirst Time Buyerの対象にはならない。
ストックマーケットがそこを脱したとはいえ全国の失業率が9.8%と一向に改善する気配がなく個人所得も増えないとなるとHousing Market は下寄せせざるを得ないだろう。 過去に2回ほど経験したが不動産価格の調整は時間がかかる。 冷静に考えればアメリカの不動産価格はまだまだ下がるのではなかろうか。
幸いに家を売らねばならない緊急性はなくこの土地が嫌いでもないので静観することにしている。
最近はインターネットで不動産売買データはすぐに見ることが出来るので定期的に市内の競合する売り家のデータを見ているが下見に来る人の数に比べて成約は極端に低い。 特に売り急いでいる人は当然のことながら売値(リストプライス)を下げて買手の興味を引こうとしているが殆ど効果はない。 先月一ヶ月で10件のうち3軒が値段を下げたが一向に売れる気配がない。 そのうちさらに安値の新規売り家のオファーが出てますますマーケットを下げることになっている。 買手は安心して買い控える。
景気刺激策として政府はFirst Time Home Buyerに$8000のインセンティブをオファーしているが(11月までの成約対象)First Time Home Buyerということになれば当然20代から30代の若い人が殆どだろう。 彼らの収入から考えれば大半が$30万以下の住宅が対象にである。 私の家は$40万以上だからまずは自力のFirst Time Buyerの対象にはならない。
ストックマーケットがそこを脱したとはいえ全国の失業率が9.8%と一向に改善する気配がなく個人所得も増えないとなるとHousing Market は下寄せせざるを得ないだろう。 過去に2回ほど経験したが不動産価格の調整は時間がかかる。 冷静に考えればアメリカの不動産価格はまだまだ下がるのではなかろうか。
幸いに家を売らねばならない緊急性はなくこの土地が嫌いでもないので静観することにしている。
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